新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

下津井電鉄を探る ⑥

2022/04/11(Mon)

そんな感じで1日開きましたが、下津井電鉄廃線跡を探る旅です。

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廃線跡を転用したサイクリングロード児島の街中に入り、住宅地
路地裏を縫う感じで走るようになりました。

軽便鉄道と言うかローカル私鉄だと、今でもこんな感じの風景
所が普通に存在するような気がします。当然に家の建物は何年かで
建て替えられるでしょうが、小さな電車が似合いそうな風景ですよ。

そして町の中心街に入る直前、橋台だけが残る鉄橋跡に出ました。
右の画像の感じで鉄橋が存在したと思われますが、流石にココ
は向こう側に見える道路橋を迂回するしかナイようです。

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そもそも国鉄四国との連絡船の発着地宇野にしてしまったので、
児島と言う町は瀬戸大橋線が出来るまで鉄道と言えば下津井電鉄
しか無かった所です。

…後にJRになる児島駅海沿い塩田の跡地に作られたらしく、
元は下津井電鉄児島駅周辺町の中心地だったと思われます。

現在のJR児島駅周辺と下津井電鉄廃線跡との間には公園など
も整備されてますが、距離にして数百m離れており、この不便さ
のせいで残った区間もソレほど観光客来なかったらしいです。

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ともあれココから下津井までの区間は平成2年まで残ってました
駅跡最末期の状態に近いで残されており、ココからの廃線跡
新たなサイクリングロードとして続いています。

瀬戸大橋線が来るまでは他の鉄道路線から全く離れた所にある
小さな電車だったワケですね。乗っておけば良かったかなと後悔
させられる所ですが。

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通常なら日中に限って開放されており、自転車中を通り抜けて
下津井方向へ行けるようですが、微妙なタイミング工事期間
入っており、閉鎖されてました。

…窓から無理矢理に中を見た限り、信号機などの鉄道用品が展示
されてるようです。下津井駅ノート2巡目として来る機会
ありそうなので、ソノ時に寄ってみる事にしましょう。

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茶屋町からココまで約15km約2時間半で来た事になりますか。
このまま先を続けてもいいんですが、休憩がてら一度JR児島駅
に行って自転車駐輪場に入れました。

瀬戸大橋線電車茶屋町まで、車を取りに戻る事にしましょう。

→次回に続く



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No.1107 鉄道廃線跡を探る

下津井電鉄を探る ⑤

2022/04/09(Sat)

そんな感じで下津井電鉄廃線跡ですが、引き続き茶屋町~児島
第一期廃止区間(私が今適当に考えた呼称です)を電動自転車
走っておりますクラ駅長です。

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また不自然急カーブが出てきました。地図は平面なので集落を
除けた結果だろうと考えてたんですが、コレも地形に沿って線路を
敷いた結果だと分かりました。

やはり実際に走ると色々と見えて来るものですね。一般的な鉄道
ならカナリの小半径ですが、軽便鉄道車両が小さいので可能
だったのでしょう。

そして同区間で最も駅間が長かった所を経て稗田と言う駅跡に到着
しました。…ココは土地の幅が広いので、恐らく交換設備があった所
なのでしょう。駅跡の大部分公園になっています。

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茶屋町から10km近く走ってきて、ようやく下津井電鉄そのもの
説明書きに類する物が出てきました。

鉄道全国に普及して行った明治~大正期、国が手を付けない
ようなローカルな地域軽便鉄道ブームが起こり、昭和30年代
全盛期を迎えるも、自動車の普及で段階的に衰退した。

下津井電鉄に限らずドコでも大抵は同じような歴史を辿ってます。
平成に入っても残ってたのは珍しい部類でしょう。

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続いて柳田と言う駅跡が出てきました。この付近から現在の児島
の市街地に入る感じです。

ココにもレプレカ駅名票の横に看板があるので、何か鉄道ネタの
情報が拾えるかな?と思ったんですか、コレは付近の案内図か。

地元の方が恐らくはボランティア的に花壇などを整備して、
廃線跡サイクリングロード快適に走れるように努力されてる
事が伺えました。

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更に行くと自転車通行可能歩道橋が出てきました。
下を見ると水路に沿って両側に道路がある構造になっており、
ココを越えるための物のようです。

鉄道時代は勿論、普通に踏切と鉄橋だった所でしょう。歩道橋
の真下に水道管があり、コレも水路を越えています。地上では近く
渡れる所見当たらないので、歩道橋水路を越えます。

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段々と家並みが増えてきて、第一期廃止区間最後の駅となる
児島小川駅跡地に着きました。…センターラインが引かれて
結構な広さですがサイクリングロードです。

次の駅名「あじの」となってますが、コレが児島駅の事でして
開通当時は付近の地名から「味野」と言う駅名だったようです。

もう少しでソノ児島駅に着きますが、その前に毎週日曜日と決めた
「考えるシリーズ」の記事を挟みます。

→次回に続く



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No.1105 鉄道廃線跡を探る

下津井電鉄を探る ④

2022/04/08(Fri)

さて下津井電鉄廃線跡を探る旅ですが、引き続き電動自転車
まずは児島駅を目指して走っておりますクラ駅長です。

…この辺りの廃線跡は現在の瀬戸中央自動車道水島インター
チェンジ付近を通ってたようですね。

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先述の岡山県道21号線はココからへ曲がり、児島を経て鷲羽山
方面へ通じており、廃線跡代替ルートとしても機能してるようです。

…てか現役当時から岡山駅倉敷駅へのアクセスは、自社のバス
路線の方が早くて便利だったそうな。

直進すると県道62号線として水島方面へ至ります。今回泊まってる
ホテルそっちの方向にあるので、今朝通ってきたルートですね。

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途中が地下道のようになってますが、軽便鉄道だから恐らくは地形
に沿って忠実に線路が敷かれてたと思われ、廃止後県道の拡幅
などで上に道路が載ってしまったのでしょう。

この地下道を抜けると新しい住宅地が形成されてました。
なので部分的自動車の通行が可能公道になってるようです。

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続いて福田と言うが出てきました。…廃止から50年を経て
しまえば殆ど分かりませんが、道路廃線跡ならば一段高い住宅
や駐車場ホームや駅舎の位置なんでしょうか?

この付近も地図で見れば些か不自然急カーブが続いています。

…コレまた地形に沿って走ってるからでして、道路なら直線で昇降
出来るような高低差でも鉄道(しかも軽便)にはツラい坂だった事
が伺えますね。

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実際の所、電動アシストない自転車だと結構キツそう登り坂
続いてました。実際に福田から次の稗田までが最も駅間の長い区間
だったようです。…この峠を越えてたと言う事か。

しかしコノ区間、走ってると時々路面自動車用と思われる矢印
制限速度の数字痕跡が見えるんですよ。…資料として見つから
ないんですが、車道として使われてた時期もあるようです。

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暫く行って勾配が緩やかになった所で、県道21号線平行になり
ました。…恐らくココを拡幅する前は一時的に、廃線跡県道の
代わりに使ってた事があるんじゃないかなと思われます。

線路に沿って平行する生活道路ユルい角度で交差する踏切とか、
ローカル線ならドコでも見れそうな風景の地点もありました。

昭和40年代なら道路未舗装ガードレール無かったかも
知れません。往時の風景を想像しつつ走るのが、廃線跡巡り
楽しい所だと思います。

→次回に続く



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No.1104 鉄道廃線跡を探る