新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

那覇市 壷川東公園の機関車

2020/03/12(Thu)

久高島奥武島日本最南端猫ヨシヨシ島2箇所見て、当日は
ソレで終わる予定だったんですが、時間があるので保存施設を1箇所
前倒しする事にしましたクラ駅長です。

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那覇市内壷川という地区まで戻ってきました。
ゆいレール(沖縄都市モノレール)壷川駅から歩いて5分程度の所
にある壷川東公園にも、保存車両があるとの事なのですよ。

後で地図を見たら、前日に行った与儀公園から1km程度の所でした。
流石の私も沖縄の土地勘ナイので、関連付けて考える至りません
でしたが、コレならマトメても行けた距離だな。

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敷地内には沖縄らしいガジュマルの樹が植わっています。
自生してた物か植えられた物かは不明ですが、間近で見るのは初めて
なので、車両より先に割と見入ってしまいました

そんなガジュマルの樹の下に、小さなディーゼル機関車がありますね。
似たような形の車両は昔、入替作業を要する貨物ヤードなどで見かけ
たりもしましたが、軽便規格なのかカナリ小型の機関車です。

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その後ろに台枠だけ小型の貨車みたいな物が並んでますが、説明
によるとコレは蒸気機関車下回りの部分だけが残ってる状況なの
だそうです。…まぁ確かにシリンダーとかロッドが見えますわ。

これらの車両は元々沖縄本島にあった物ではなく南大東島貨物
(主としてサトウキビ)の運搬に使われた軽便鉄道の車両だそうな。
何かの縁でココに展示される事になったのでしょう。

調べてみるに南大東島軽便鉄道1980年頃トラック輸送に切り
替えられるまで存在したようで、島を一周する本線と各所に分岐した
支線合計距離は27km程度だったようです。

サトウキビは5月~11月ぐらいの長期間で収穫可能なので、ほぼ通年
精製工場へ向かう列車が走ってたそうな。
現地にも保存車廃線跡若干あるようですが、行きますか?

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そして話は沖縄の軽便鉄道戻りますが、与那原町の資料館写真
転載禁止だったのでココにあった路線図を載せておきますが、この
公園廃線跡の一部のようなのです。

公園を整備する際にレールが出土した旨が案内板に書かれてました。
沖縄本島南大東島も、共に762mm軽便鉄道ありがち線路幅
だったので、上手く合ったという事ですかね?

現在はバスターミナルになっている旭橋付近に始発那覇駅があり、
ソコから程近い場所のようです。…その先で3方向へ行く路線が分岐
してますので、東北新幹線で言うと上野ぐらいの位置でしょう。

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 「KATO」と言うのは加藤製作所の事でしょう。現在はクレーン車など
建設重機がメインの会社ですが、昭和中期まではこの手の機関車
を多く製造していた事で知られています。

連結器2段ある必要はナイので、下のは後方にあったヤツかな?
状況から見て、もしかしたら高さの調節が出来たのかも知れません。

エンジンカバー失われてるので中がよく見えました
番号の通りにエンジントルクコンバーター動輪へと動力が伝わる
のだと思われます。「41年12月」の記載があるのは昭和41年か?

…しかし自転車の太くしただけのようなチェーンなのですね。
せめて連結棒じゃないと、切れたらどぅするんでしょ?ぃゃ、流石に
コレは発電機に連動してるやつとか、そっちの用途だと信じたいけど。

最後の最後細かい所気になってしまった保存機関車でした。

2日目はコレで終了してホテルに戻ります。…翌日最終日昨年秋
延長開業となったゆいレール乗り潰しに行きますよ。

→次回に続く



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No.347 鉄道保存施設を探る

那覇市 与儀公園のD51

2020/02/28(Fri)

さて沖縄ですが、与那原町軽便鉄道資料館を見て、那覇市内まで
戻ってきましたクラ駅長です。

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…流石の私も陸続きでナイ所土地勘が全くナイので、カーナビ
頼りに走ってるワケですが、那覇市寄宮という町にある与儀公園
という所が次の目的地です。

後で地図を見たら、国際通りにも近く予約してあるホテルまで約2km
と言う、カナリの中心部でした。…那覇という町は規模だけ見てると
奈良市よりはるかに都会ですね。

公園の入口に適当な表札が見当たらなくて、近くにあった交番代用
那覇警察署の本署にも近い所のようでした。
…そして入口には、沖縄らしく左右にシーサー鎮座しております。

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この公園には、D51型蒸気機関車保存車があります。
金網に囲まれた機関車だけ見てると、特に珍しくナイ風景ですが、
問題はココが国鉄とは無縁沖縄であるという事。

どんな理由でココに蒸気機関車保存される事になったんでしょう?
詳細後で述べるとして、先に細部から見て行きましょう。

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D51型のうち製造番号ゾロ目222号機です。…いわゆる「標準型」
に分類される量産タイプですが、1000両以上の大所帯だったD51型
中では初期のグループかも知れません。

雨ざらしなのでカナリ傷んでます塗装時々直されるのか、まだ
塗り直されて間もない印象でした。そして傷んだ部分鉄板などを
貼り替えるらしく、随所に補修の跡が見られます。

給水温め器中心からズレてる気がするのはソノためでしょう。
てか、ヘッドライトにハマってるのは自動車のホイールじゃないの?
なかなかイイ代用品を見つけたもんだと思います。

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プレートの類盗まれずに残ってるのは珍しいと言うか、やはり沖縄
って鉄ヲタの人口少ないのかな?とか思ったりもしました。

説明書きによると最後日豊本線延岡機関区の所属だったようで、
[延]という区名札が付いています。…てかコレも、差し替えるタイプ
ではナイ厚みのあるプレートなんですよ。

そしてソノ説明書きを読むと、この機関車がココに保存される事に
なった経緯が書かれています。…昭和47年本土復帰で、九州
訪れた沖縄の子供たちへの贈り物だったようですね。

カナリ巨大なプレゼントですが、当時は蒸気機関車引退時期でも
あって、機関車そのものを贈る事は難しくなかったと思われますが、
問題は輸送費方法でしょう。

寄付を募って、当時の お金1,400万円が集まったそうな。当然に
船で運ぶんでしょうが、鹿児島からでも600kmはあるんですな。

そんな苦労の賜物であるからなのか、今でも土地の人たち大切に
扱われ
てる感じが伺い取る事が出来ました。

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炭水車テールランプ欠損してますが、キレイに塗り直されています。

…てか途中から気になってたんですが、左の画像キャブの近く
が居ますでしょ?何匹かがコノ機関車に住んでるらしく矢鱈と出入り
してるんですよ。その他にも公園内ソコソコの数が居ますので…

折角ですから与儀公園でも「臨時 猫ヨシヨシ」と参りましょう。

→次回に続く



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No.334 鉄道保存施設を探る

与那原駅 軽便鉄道展示資料館

2020/02/27(Thu)

…さて沖縄ですが、那覇市内から約50分与那原町に到着しました
クラ駅長です。

与那原は位置的には那覇市の東側にあり、翌日に行く予定にして
いる猫ヨシヨシ島のある南城市への通り道です。…しかし曜日の関係
翌日が休館日と判明しておりますので前倒しにしました。

…また沖縄バス路線が充実してるものの、複数の会社入り乱れた
状態で路線が絡まっており(…という私のイメージ一覧出来る路線図
ナイので、いまいち分かりにくかったんですよ。

今回の最初の目的地…ココで鉄道保存施設を1軒、見学させて頂きます。

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大正時代から戦時中にかけて、沖縄にも軽便鉄道路面電車が存在
しました。…このうちの軽便鉄道沖縄県営鉄道と言う会社でして、
主な路線として那覇を中心に名護糸満与那原3方面への路線
が存在しました。

しかし何れも戦争が激しくなると運行出来なくなり、1945年の3月頃に
休止され、戦後は米軍によって施設が破壊されたので、車両や遺構
は殆ど残っていません

その与那原線終着駅だったのがココ与那原駅なんですが、廃止後
は建物が町役場になり、更に農協の支店として2012年まで使われてた
のだそうです。

その農協の支店も流石に建物の老朽化移転する事になって、同じ
場所に資料館として2014年復元されたのが現在の建物だそうです。

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当時のデザインを元に復元されたと言う事ですから、昔からこんな
感じの駅舎だったのでしょう。戦前沖縄だとコンクリート製の建物
自体がカナリ珍しかったんじゃナイですかね?

軽便鉄道と接続して、ココからは馬車鉄道の路線があったようです。

コレも戦争の激化1945年には休止してしまうんですが、一般的な
馬車による運送業は存続したと見えて、その馭者らしきオッサン
人形が出迎えてくれました。…無駄にリアルだな。

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入館料大人1人100円でした。入館券切符サイズの大きさであり、
裏返すと当時の乗車券再現したようなデザインになっています。

紙の劣化なども再現された芸の細かい物であり、窓口付近に日付
の器械があって、駅員さんの体験?も出来るのだそうです。

館内には各種の写真年表、そして戦後もドコかに残れさていた
あろう書類備品類が展示されていましたが、何れも写真は撮っても
イイけど無許可でのネット掲載禁止だと言う事で掲載出来ません

町の様子を再現したジオラマもあったんですが、1/150だから
Nゲージサイズではあるものの、軽便だから合うパーツ少なかった
のでしょう。殆どが手造りの感じでした。

雰囲気だけ絵に描いた物を、先日の記事前説に出してますので、
ソレを御参照の上、見たい方現地まで見に行って下さい。

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建物外の施設載せても大丈夫なので、駅舎の裏に回ってみます。

…ココにコンクリート製の柱9本残っております。
コレは戦争で破壊された駅舎が、戦後修理されて使われていた
痕跡を残すために保存されている物なんだそうです。

沖縄近代の戦争に於いて日本で唯一地上戦が行われた土地
ですので、飛行機による爆撃だとは限らないですよね。

戦後米軍による占領が続いた影響で、鉄道施設破壊されて
遂には復活しなかったワケですが、国鉄規格の鉄道じゃなく軽便
ですから、自動車が発達してくると仕事を取られてしまうでしょ。

他の地域のソレと同じように、戦争被害とは無関係でも現代まで
残らなかった可能性はあります。

現代の鉄道モノレールしか無く、遺跡も殆ど残ってナイ沖縄
あって、ココの施設カナリ貴重な物だと思われます。…遠かった
けどコレだけでも見に来た価値はありましたわ。

気が付いたら16時半を過ぎてましたが、2月でも沖縄ではまだ明るい
時間帯なので、那覇市内へ戻りつつもぅ1箇所保存車両を見に行く
事にします。

→次回に続く



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No.333 鉄道保存施設を探る