新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

南海平野線を探る ⑥

2020/07/16(Thu)

日々集まりつつある鉄道模型や、勝手に溜まる書籍類などが部屋
を圧迫して日常生活が困難なレベルになってきましたので、外部に
トランクルームを借りる事にしましたクラ駅長です。

20200716i.JPG 20200716j.JPG

公称では約2畳の広さだそうですが、ハシゴでの昇り降りが必要な
上段(2階)を選びました。2階だと出し入れが面倒な分、安いんです。
…昔のA寝台同じだな。
 
よっしー商品の在庫単なる自動車用のガレージに保管してて、
洪水カナリの損害を(社長のCDが100枚とか!)出したらしい
ですが、ココなら大丈夫だ

今では年に2回ぐらいしか着なくなった鉄道制服の類も移しました。
車で10分程度の所なんですが、仕事でもよく通るエリアなのでさえ
持ってれば仕事中でも寄り道は可能でしょう。

…てか一番邪魔になるのは現時点で使ってるジオラマなのですが、
流石にコレは乗用車では運べないし、手元に置いとかないと困る
場合もあるんですよね。

さて南海平野線跡地を探る旅ですが、次は短距離の区間に駒川町
中野電停が続きます。

20200716b.JPG 20200716a.JPG

駒川町電停跡地付近ですが、次の中野も似たような感じで
双方とも特に鉄道の痕跡全く残ってません。もう慣れました。
面白いのが、同じ区間を振り替えた地下鉄谷町線ですね。

駒川町中野ほぼ真ん中に駅を作って、ココが駒川中野と言う名前
になりました。…はい、地下鉄谷町線ってのは、この手の「複合駅名」
矢鱈と多い事で知られてますわな。

北から順に太子橋今市千林大宮関目高殿野江内代四天王寺前
夕陽ヶ丘駒川中野喜連瓜破…と、ほぼやけくそで集めた感じですよ。

…大抵が「双方の住民意見が対立して面倒だから両方付けた」の
パターンなのですが、太子橋今市駒川中野と同じように2つの電停
(こちらは大阪市電)の名前を合わせた物です。

20200716c.JPG 20200716d.JPG

駒川中野駅真上近鉄南大阪線が通ってますが、ココに近鉄の
なく今川針中野真ん中付近になるようですね。

どちらも高架沿いに歩いて約500mなのですが、関西人の感覚では
ココに乗り換え駅のイメージありません。やはりどっちも天王寺
方面通じてるからでしょう。

…逆に東京だと、そのぐらいの距離なら地下道などで無理矢理に
繋げて「乗り換え出来ます」みたいな事にしてるケースが多くナイ?
田舎者にとってはアレが複雑で仕方ありませんのよ。

20200716f.JPG 20200716e.JPG

そして中野電停の跡地がココら辺だそうです。相変わらず阪神高速
14号松原線頭上にあるワケですが、高架道路の支柱がココだけ
T字型の物になっており、脚の中心が微妙にズレています

Wikipediaによると、コレは元からあった中野電停避けるように
作った事の名残りだそうですが、実際の所はどぅなんでしょう?

場所によっては駅のホーム削られたり、又は2本脚の橋脚にして
完全に真下を線路が通ってた区間もあるらしいんですよ。

高速道路開通平野線廃止と同じ1980年3月なのですが、
計画段階で決まってたのかどうか気になる所です。

20200716g.JPG 20200716h.JPG

晴れたり曇ったりのお天気ですが陽が射すと暑い分、道路沿いの
紫陽花キレイに映える気がします。

ずっと頭上にあった阪神高速地下を走る地下鉄谷町線はコノ先で
右へ曲がり、ココから先は廃線跡単独で存在する区間です。

そろそろ先が見えてきましたが、公園になった所があるようです。

→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.473 鉄道廃線跡を探る

南海平野線を探る ⑤

2020/07/15(Wed)

…ココ最近のあまりの蒸し暑さに耐えかねて、10年振りぐらいにアタマ
を短かく
刈りましたクラ駅長です。

今の仕事に転職し、木村鉄道駅ノート絡みの趣味を始めてからは
の事なので、初めて見る方も多いかも知れません。

20200715i.JPG 20200715j.JPG

コレは決して自慢ではナイのですが、私の髪ってのはコノ歳になっても
減る事がなく(額は後退しましたが)密度が濃くて夏場は暑いのです。
そのくせ結構な本数抜けるらしく、部屋が散らかって困るの。

要するに細胞の働きが活発で、減ってもすぐ補充されるんでしょう。
年相応減ってくれても構わないのですが。

そんな事情もあって久し振りに思い立ったワケですが、私の後頭部
頭皮シワになって波打ってる箇所があり、短かくすると山と谷密度
に差が生じ、天然のトラ狩り状態になるんですよ。

タクシーってのはお客に後頭部を見せっ放しの仕事ですが、ハイヤー
仕様車ヘッドレスト大きいので何とか隠れてますけどね。

このまま続けるか、秋以降は元に戻すかはまだ決めてません。しかし
将来的にはコレで固定丸坊主にする予定です。

さて南海平野線跡地を探る旅ですが、続いては地下鉄谷町線にも
同名の駅がある田辺駅周辺にやって来ました。

20200715a.JPG 20200715b.JPG

高架(阪神高速)駅の入口があるから、知らない人が左の
カットだけ見たら地下鉄の駅だとは思わないでしょう。羽沢横浜国大
以上の紛らわしさです。

ちなみにココの田辺駅ってのは地下鉄谷町線と、ソノ前に同じルート
を走ってた南海平野線の駅名ですが、近くの近鉄南大阪線北田辺
JR阪和線南田辺の各駅が存在します。

当然に南北の田辺駅南海平野線よりに開業しました。相互間の
距離は少し離れており3路線とも乗ってれば天王寺(又は阿部野橋)
に着くから、ココで乗り換えてる人少ないと思われます。

20200715c.JPG 20200715d.JPG

付近の交差点に、周辺の町の歴史を解説した説明書きがありました。
この近くに存在した南海平野線の駅イラストで紹介されています。

「昭和14年頃」とあるので末期とは形態が異なってた可能性もあり
ますが、駅舎があるから有人駅だったのでしょう。そして僅かながら
ココで折り返す運用
があり、渡り線が設置されてたそうな。

実際の写真はナイものか?と「田辺駅」で検索したら紀伊田辺駅
関する物ばっかり出てくるし、「田辺電停」だと高知とさでん交通
ある田辺島通という電停が出てきます。…まぁ仕方ありませんね。

20200715e.JPG 20200715f.JPG

その田辺電停は、現在の田辺駅より少し南東方向にあったようで、
商店街との交差点を挟んで千鳥式のホーム配置だったそうな。
左の画像の位置だと思われますが、鉄道の痕跡見当たりません

コレまたWikipediaによると付近の飲食店などは当時(とは言っても
末期昭和50年代でしょう)のままの感じで残ってるそうです。
で、左端に写ってる喫茶店をよく見てみたら…

20200715g.JPG 20200715h.JPG

当時の物と思われる駅の案内標が置いてありました!
…恐らくは廃止になる時に記念に貰ったとか、そう言う類の物だと
思われますが、コレはどこのサイトにも見当たらない私の発見です。

前に朝顔と思しき植物のプランターがあるから、もう少し育ってたら
葉っぱで覆われて見えなくなる所でしたね。…例によってこの喫茶店
事情を訊けば良さそうな所ですが、面倒なのでカットします。

また付近には「N」の文字が入ったコンクリート製の杭が幾つかあり、
コレも南海電車の土地だった事を示す痕跡だそうですよ。

廃止昭和55年だから私は8歳ぐらいであり、なかなか味のある
路線なのに存在自体を全く知らなかったのが残念な物件ですね。

→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.472 鉄道廃線跡を探る

南海平野線を探る ④

2020/07/14(Tue)

さて南海平野線廃線跡を探る旅ですが、続いてが地下鉄谷町線
駅と同じ名前の、文の里電停に向かっておりますクラ駅長です。

20200714a.JPG 20200714b.JPG

…当然に南海平野線の方がだから、大正時代から「文の里」なの
ですが、Wikipediaによると元々は近隣を宅地開発した不動産会社
が付けた名前であり、付近に学校が多かったからの命名だそうな。

その7番出口から出た付近に、記念碑があると聞いておりますので
早速探してみましょう。

20200714c.JPG 20200714d.JPG

地上出口阪神高速高架下にありますが、周辺は主に駐輪場
として使われています。…流石にココまで来たら酒盛りをやってる
オッサン居ないようですが。

んー、あるにはあったんですが、記念碑と言うか錆びた説明看板
1枚だけの物です。…説明によると電停ながら有人駅だったようです。
現在でも乗務区のある我孫子道などは有人駅ですね。

20200714e.JPG 20200714f.JPG

高架道路町の区割りに対して斜めに通ってるので、45度の角度が
付いた交差点があり、昔ながらの商店街がありました。

…どうも活気がナイように見えますが、ウイルス騒ぎ自粛による物
なんでしょうか?そう言う事情が無くても、最近は古い商店街ってのは
寂れがちだと聞きます。高い割に品揃えも少なかったりするし…。

ともあれ先に向かって進みましょう。…歩道の植え込みには季節柄、
紫陽花キレイに咲いています。

20200714g.JPG 20200714h.JPG

更に進むと大きな池がある公園が出てきました。…桃ヶ池公園と言う
そうですが、この近くに平野線股ヶ池電停があったようです。

地名でよくある漢字のすり替わり「桃」「股」になったそうですが、
そんな説明が無ければ「またがいけ」と読んでしまう所ですね。
 
20200714i.JPG 20200714j.JPG

近くをJR阪和線が走っており、二重の立体交差になってます。

阪和線最初に開通したのが昭和4年の事であり、天王寺駅には
既に関西本線城東線大阪環状線東半分)があったので、当初
からコノ南海平野線跨いだ先まで高架線として建設されました。

…そしてコノ地点の南側地上に降りてた物が、2004年~2006年
掛けて連続立体交差として高架化されたので、今ある阪和線高架
開通当初の物とは違うんだそうです。

地上を走ってる鉄道高架化する場合、営業しながらだと既存の線路
高架線新しく造って切り替えるケースが多いですよね。

だから完成後は、元々あった線路跡空地になるか他に転用されるか
ですが、ココは空地のまま残っていました。

厳密にはコレも廃線跡と言う事になるんでしょうが、探っても面白く
ナイと思われますので放置しておきます。

そろそろ半分ぐらいは来たんでしょうか?…発想から抜けてましたが、
近くで調達出来るなら自転車で回った方が良かった物件ですね。

→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.471 鉄道廃線跡を探る