新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

野上電鉄を探る ⑨

2020/06/27(Sat)

さて野上電鉄廃線跡を探る旅ですが、引き続き付近の保存車両
求めて寄り道しておりますクラ駅長です。

20200627a.JPG…先程の「くすのき公園」から100m
ほど離れた地点に、もぅ1両保存車
があると聞いて歩いてきました。

道路から見るとガレージ隙間から
僅かに車体が見える程度でしたが、
反対側田んぼなので全体がよく
見えます

コレは野上電鉄ではモハ20型27号
だった車両だそうな。

元は阪神電鉄701型として、やはり戦前木造車両鋼体化して誕生
した形式です。小型使いやすかったようで、廃止時まで走ってました。

20200627b.JPG
資料によると「個人所有」になっており、
付近で開業してるお医者さんの持ち物
なんだそうです。…しかし現場にあった
建物は、資料と同じなのにエステサロン
の看板が出ていました。

…病院は無くなって別の人が入居した
のか、商売替えしたのかは不明ですが、
車両そのまま残ったようですね。

20200627c.JPG 20200627d.JPG

…テレビの旅番組だと、偶然持ち主が通りかかって「良かったら
近くで見ますか?
」と鍵を開けてくれたりするもんですが、そんな都合
のいい展開にはならず金網の隙間から勝手に見学しております。

やはり屋根付きなので保存状態はイイですね。コレまた先に見てきた
資料によると車両本体タダだったようですが、輸送費に(20年ほど
前の話で)200万円程度掛かったそうな。

線路屋根建設費も、一般人の感覚からすると高価でしょうな。
内部見学出来るように階段も取り付けてあります。

…しかし一緒にあるキロポストですね。一般的には500m単位
筈であり、11.4とか0.03とか細かすぎない?
小数点第2位まで数てたとしたら、10m置きに建ってた事になるぞ。

20200627e.JPG 20200627f.JPG

そんな感じで2両の保存車があった下佐々駅から1km足らずの所
終点登山口駅になります。

野上電鉄廃止後バス転換され、現在は概ね元の鉄道と平行する
ルートで大十バスと言う地場資本のバス会社路線バスを走らせて
います。駅跡は同バス会社の車庫などになったようですね。

20200627g.JPG 20200627h.JPG

元は野上電鉄にもバス部門がありましたが、鉄道廃止後分社化
して、現在は野鉄観光と言う観光バス会社として存続しています。

大十バスは地場の運送会社親会社になるそうで、専門分野
地域密着かで後者が選ばれたような感じなのかも知れません。

車庫前の商店が、いかにも田舎の終着駅駅前な雰囲気ですね。
と言う事で、海南駅前から辿って来た野上電鉄廃線跡を探る旅は
ココまでとなります。

20200627i.JPG 20200627j.JPG

…ついでの事に子供の頃からの疑問を1つ解決しておきましょう。
「登山口駅」とは言うものの、どこ山登山口なのか?

付近に昔からありそう看板がありました。駅から6.5kmの所に生石
(おいし)高原と言う所があるようです。

隣県と言う比較的近くに住んでる筈なのですが、初めて聞いたかな。
例えば学校の休み時間の雑談とかで「今度、生石高原ハイキング
に行こうぜ。」ってな話は、少なくとも 私は聞いた事がありません

野上電鉄も、その生石高原への観光用に特化した路線ではナイし

そして更に「おまけネタ」なのですが、野上電鉄廃止後に上記の
2両の保存車とは別に、阪神電鉄里帰りした車両があると言う話を
聞きました。

別に日に少し探りに行ってきましたので、その報告へと続きます。

→次回に続く



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No.454 鉄道廃線跡を探る

野上電鉄を探る ⑧

2020/06/26(Fri)

20200626i.JPGある用事で東大阪市へ行ったら、
何やら見慣れない塗装の路線バス
が走ってました。

この付近は近鉄バスの営業エリア
なのですが、恐らく同社復刻塗装
になった個体のようです。

…バスも会社によって塗装デザイン
頻繁に変わる場合もあれば、何十年
全く変わらない所もありますよね。

ずっと見慣れてきた物デザインが変わると、慣れの問題なのかも
知れませんが大抵「何か違う」と言う印象の方が勝ってしまう気がする
クラ駅長です。

このバスとてシックで意外と似合う気がしますよ。同社の現行塗装
派手すぎてイマイチ好きではありません

さて野上電鉄廃線跡を探る旅ですが、ココで廃線跡から少し離れて
付近にある保存車両を見に行きましょう。

20200626a.JPG 20200626b.JPG

終点1つ手前だった下佐々駅の近くに「くすのき公園」と言う公園
があります。公園そのものは廃止前からあったらしいですが、廃止時
ままで走ってた車両がココに保存されいるとき聞いてきました。

20200626c.JPG 20200626d.JPG

同社ではモハ31号と呼ばれていた車両ですが、元は阪神1130号
として昭和9年に製造された車両だそうな。…更に古い大正時代
車両を鋼体化したグループです。昭和38年に野上電鉄へ譲渡され、
廃止時まで走ってました。

クリーム色とオレンジ色のツートンカラーは末期野上電鉄一般的
な塗装でしたが、本家の阪神電車では昭和33年頃からコレに近い
いわゆる「赤胴車」が登場しており、移籍前からこの色だった可能性
もあります(調べたけど分からんかった)。

20200626e.JPG 20200626f.JPG

戦前阪神電車は、他の会社より車両のデザイン洗練されており
「阪神モダニズム」なんて言う言葉もあったそうですが、この車両も
側面の窓上明かり取りの小窓が付く洒落たデザインになっます。

阪神在籍時末期には、後に「ジェットカー」として登場する高性能
車両(カルダン駆動)試験車にもなったようですが、野上電鉄
軌間が1067mmなので南海の派生品台車に取り換えられています。

説明書きに寸法も書いてありますが、14m弱ってのはカナリ小型です。

…しかし幅が2470mmって、昭和中期近鉄大阪線などの車両同じ
なのですが、正面からみると明らかに狭い。横に張り出したステップ
込みのサイズかも知れませんな。

社紋はコレが野上電鉄の物なのか?苦しいけど「野上」と読めない
事はありません。

20200626g.JPG20200626h.JPG

そして今のモハ31号「保存車①」として、ココから100mほど離れた
地点に「保存車②」が存在するとも聞いております。10年ほど前の資料
から「今でもあるのか?」を確認して、アタリを付けています。

近いのでココに置いて、歩いて探しに行きましょう。
ストリートビューで見たのと同じように、屋根付き駐車場建物の
隙間からモハ31号同じ色の車体が見えてますね。続いてはコレです

→次回に続く



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No.453 鉄道廃線跡を探る

野上電鉄を探る ⑦

2020/06/25(Thu)

予土線を回ってる時に十川駅にあった観光案内のポスターです。

20200625i.JPG 20200625j.JPG

…旅行の数日前四国地方梅雨入りした事が発表されたましたが
当日は何故かイイお天気で、初夏の爽やかな気候を満喫出来ました。

列車に乗ってもコノ季節は新緑に覆われ、平行する四万十川
優雅な姿を見せてくれる事でしょう。まさに「けしきグリーン」です。
気持ちグリーンになりそうなのは分からんでもナイとして…

「全席グリーン」だとピカチュウ親方みたいな人が騙されるんじゃない?
現に私も「新しい観光列車でも出来たのか?」と思いましたわ。
日本語って難しいなと改めて思いましたクラ駅長です。

 さて野上電鉄廃線跡を探る旅ですが、廃線跡遊歩道に転用した
「健康ロード」の区間が終わりましたので、元来た道を海南駅前まで
戻って、続きは車で行く事にしましょう。

20200625a.JPG 20200625b.JPG

先程の沖野々駅全路線半分強の地点になるワケですが、ココ
から先駅の数矢鱈と多かったようですね。

当然の事に駅間は短かくなり、概ね800m程度の間隔が駅があった
事になります。町の中心部より遠い…市街地を離れた農村部の方に
駅が多いってのは珍しいかも知れません。

そして廃止後、段階的に国道のバイパス延長されたり道路幅
拡張されたりして、廃線跡の痕跡は殆ど無くなったようです。なので
全部の駅紹介しきれませんが、取り敢えず続けましょう

20200625c.JPG 20200625d.JPG

沖野々駅を過ぎて貴志川を渡った地点から暫くは、概ね左の画像
ような風景が続きます。元は田園風景の中を走る区間だっただろう
と想像されますが、道路にしてしまうとドコにでもある感じですね。

次の野上中駅は、消防団の倉庫名前が残っており、Wikipedia
位置情報から見るとこの敷地駅舎跡だと推測されます。

…ちなみに駅で言うと次の北山駅までが海南市、以降は紀美野町
(旧野上町)になります。廃線跡再利用の方法は自治体によって
変わる
事も多いので、こちらはバイパス道路になったのかも。

20200625e.JPG 20200625f.JPG

そして紀伊野上駅。ココは大正5年開業時終点だった駅で、
後の昭和3年登山口駅まで延長されて途中駅になりました。

交換設備もあったようですが、末期は本数が減って朝夕のラッシュ
(ソレなりの)時間帯のみ上下交換が行われてたようです。

線路跡バイパス道路になったと言う事は、集落内を通ってる
こちら側の旧道に面して駅舎があった事になりますが、平行して
流れる貴志川による浸食土地高低差があります。

だから駅跡付近にも微妙な段差があるんですよ。資料写真で見ると
一般的な平地の駅なのですが、現在では詳しい事は分かりません

20200625g.JPG 20200625h.JPG

続く動木(とどろき)駅も、現在は道路標識地名が残るだけ
なってました。

バイパス道路のような感じです。…10年ほど前廃線跡探索
した人のサイトを見ると、この付近はバイパスがまだ開通しておらず
草に埋もれた鉄橋の跡などが残ってたようですが、面影ありません

現役当時の線路も、貴志川に沿って走る景色のいい区間だったそうな。

…こんな感じで終点まで行ってしまうのは面白くないので、ココで付近
に残る保存車両を見に行く事にします。私にとっては比較的近い地域
の筈が、今まで知らなかったんですよ。ちょっと楽しみですね。

→次回に続く



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No.452 鉄道廃線跡を探る