新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

三池炭鉱専用鉄道跡を探る ②

2021/03/20(Sat)

そんな感じで三池炭鉱専用鉄道廃線跡を探る事になり、大牟田駅
方向から調査を始めておりますクラ駅長です。

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JR鹿児島本線からいきなり工場の敷地に入るワケでもないらしく
狭いながらも一般公道が並行して通ってるので、怪しまれる事なく
見学する事が出来ました。

他にも幾つかの踏切があります。先程の国道208号線を横切ってた
やつと違い、例えば左の物には一般的な警報機と遮断機、それに
「踏切注意」路面ペイントもあるので、停まる車は多いですね。

警報機などの設備はまだ新しいように見えるんですが、こう言う
物って再利用しないんでしょうか?

そして専用線は完全に三井化学の工場内へ入ってしまいました。

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工場へ入る広い踏切の前後がフェンス閉じられていましたが、
隙間から留置されている車両を見る事が出来ます。

同路線電気機関車は概ね、凸型小型~中型ぐらいの物が多く
殆どが50年以上の車齢を重ねた物ばかりのようです。…余談ですが
社長(木村)この種の電気機関車を全て「デキ」と表現しますな。

一緒に連結されている2軸車バッテリーを積んだ電源車でして、
ココの電気機関車架線集電だけでなくバッテリーでも動くんです。

化学工場なので、揮発性の薬品を作る区画ではパンタグラフから
火花が出るヤバい。だからこんな方法が取られてるのだそうな。

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ココから一般道路三井化学工場の敷地から少し離れます

途中にある宮浦石炭記念公園と言う施設が、幾つかある炭鉱
1つだった宮浦抗跡地なんだそうです。…ココは公園のよう
ですから、出入りは自由でしょう。

…てか三池炭鉱世界遺産に認定されてるのか。周りが世界遺産
だらけ奈良県で生活してると、それほど珍しいとも思わなくなる
ですが、意外と簡単に認定される物なのかも知れません。

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専用鉄道からは少し離れますが炭坑内で使われていたトロッコ
人員輸送車などが保存されていました。

…生憎と巻尺持ってナイ(車には積んである)のですが、線路幅
カナリ狭いですね。多くの鉱山鉄道で使われてた600mm(2フィート)
だと思われます。

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更に進むと三井化学敷地の最も奥に着きました。ココにも何台か
の電気機関車留置されていますが、この付近に宮浦と言う駅
があり、更に南下して荒尾方向から三池港へ線路があったようです。

最末期大牟田方向から工場内へ入る専用線だけが残ってたので
車止めがある行き止まりになってました。

荒尾方向には他の坑道関係者の社宅などがあったので、貨物
列車だけでなく旅客列車も運転されていたようです。…ようやく全体
のイメージ
が掴めましたわ。

結果的にレール完全な形残ってるのはココまでだったんですが
廃線跡の敷地更に続きます。てかココまでで今回の調査予定
1/4程度でしょう。先は長そうですが、お昼までには終わるかな?
 
→次回に続く



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No.720 鉄道廃線跡を探る

三池炭鉱専用鉄道跡を探る ①

2021/03/19(Fri)

そんな感じで猫ヨシヨシ行きの乗せて貰えなかったので、予定を
急遽変更して、福岡県大牟田市にやってきましたクラ駅長です。

ココで以前からずっと行きたかったのが、三井三池炭坑専用線
廃線跡なのですよ。いわゆる専用鉄道なので一般には分かりにくい
点も多いのですが、私が持ってる断片的な知識として…

① 周辺の炭坑からまで、石炭を輸送するための鉄道である。
② カナリ古い時代から電気機関車が導入されている(電車ナイ)。
③ 旅客列車関係者その家族のみ無料で乗れる。
④ 送電線鉄塔の股の下を走っている。
⑤ 西部警察にも登場、刑事と犯人が車内で銃撃戦をやらかした。

分かったような分かってナイような話ですが、私と同世代鉄ヲタ
なら大抵はこんな感じだと思われます。

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同鉄道最初の区間開業したのは明治24年の事、やはり工業の
近代化によって各地で炭坑の開発が盛んだった頃の話でしょう。

左の地図大正時代の物だそうです。最盛期にはカナリの規模
路線が広がってたようですが、昭和末期から平成初期にかけてソノ
大半が廃止されてしまいました。

…で私も知らなかったんですが、JR大牟田駅の北東から三井化学
大牟田工場にかけては2020年まで貨物線として営業してたようです。

そのうち今回は、鉄道の廃線跡として線路や地形が残っている部分
右の地図黒い線を引いた区間を探ってみる事にしましょう。

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付近で掘った石炭三井港火力発電所を動かすのにも使われた
と言う事で、カナリ初期の頃から電化されてたようです。そして大正
時代
に製造された100年物電気機関車最近まで走ってたそうな。

私の記憶にある(とは言っても本やテレビで見ただけ)イメージは左下
の感じでしょうか?「関係者しか乗れない旅客列車がある」と言う話に
謎の憧れを感じたものです。

事前に色々と調べてみるに、回ろうとしてる区間の距離は7kmほど
泊まったホテル自転車が借りれるようなのでコレで行きます。

曇りがちのお天気で寒いから、車から軍手を持ち出してきました。
昨日と比べると「雪が降ってないだけマシ」と言う所でしょう。

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そんな感じで、まずは西鉄線新栄町と言う駅の近くにある踏切
来ました。ココは西鉄の本線JR鹿児島本線が並走してますが、
JRの駅ありません

この先から三井化学へ入る専用線が分岐しており、線路の数が5本
になる幅の広い踏切です。今回の探索はココから始めましょう

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この区間廃止されて日が浅いだけに、レール錆びてるものの
架線信号機などの設備もそのまま残ってる感じです。

カラオケ店ホテルなどが並ぶ一角の路地裏みたいな所を抜けると、
割と広い幹線道路国道208号線との交差点に出ました。

遮断機ワイヤー式のが上から降りてくるタイプですね。
踏切(鉄道)廃止された事を知らせる看板など見当たらない
ですが、一旦停止する車はありません

…1日にどの程度の本数の列車が通ったのかは不明ですが、専用線
を走る貨物列車だから速度は遅いでしょう。長編成貨物がダラダラ
走ると、時間帯によっては渋滞しそうです。

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すぐ脇に踏切を操作する小屋があり、遮断機昇降装置と思われる
機械が残っていました。…「上・止・下」などの表示がプレートでなく
鋳物の浮き文字になってる辺りに時代を感じます。

…元は三池炭鉱専用鉄道として始まりましたが運営会社何度か
変わり、最終的には三井化学専用線だったので、緊急時の連絡先
三井化学になっていたようです。

国道208号線を横切った専用線はココから南下する格好で続きます。
この付近は貨物ヤードだったようですが、現在は再開発大型
のショッピングモールになっていました。

店舗敷地従業員用の駐車場を結ぶ歩道橋があったので、ココから
俯瞰で見る事も出来ます。

…と言うような細かい動き車では無理そうなので、やはり自転車
借りてきて正解でしたね。…と言う事で先は長そうですが、専用線
の廃線跡
に沿って更に進んで行く事にしましょう。

→次回に続く



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No.719 鉄道廃線跡を探る

国鉄呼子線を探る ②

2021/03/17(Wed)

さて国鉄呼子線未生成区間です。

現在の唐津線終点である西唐津からソノ足跡を(地上で見れる
箇所のみ)探ってきたワケですが、終点呼子付近明らかに完成
してて、車でも通れそうな区間があるのを発見しましたクラ駅長です。

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奈良県内五新線でも一部の区間
地元の人たち生活道路として
使ってるので、ソレと同じような感覚
なのだろうと思い、公道からの進入路
を探しつつ走ってきました。

左の航空写真上現在地マーク
地点が右の画像です。やはり五新線
そっくりな雰囲気ですね。

未生成区間も確かにアスファルト舗装されており、降りれると言えば
降りれるようですが、その先が雑草で完全に埋まってます

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仕方がナイので更に先へ進みます。明らかに鉄建公団の仕事による
高架橋が出てきました。この高架橋の前後雑草で埋まってて通行止
になってると思われます。…離合が困難だからでしょうか?

そしてようやく進入路が見つかりました。…しかしカナリの急勾配
狭いカーブを曲がる必要があり、軽自動車サイズかと思われます。

20210317d.JPG 20210317e.JPG

路面アスファルト舗装されており、車線も引かれてますが狭いです。
一応はGoogleマップカーナビでも、相応に拡大すると載ってる道路
なのですが、推奨ルートとしては出ないようですな。

先程のと似たような感じの高架橋もありました。
道幅としては普通車でも充分だし工夫すれば離合も可能でしょうが、
問題は左右の雑草です。

だから多少は車体に触れても大丈夫だろうと思ったら、灌木の
硬い枝が意外と多く、車体細かな傷が増えてしまいました。

大切に乗ってる車ではありますが実の所、より長く乗りたいから折を
見て一度全塗装しようと思ってまして、車体が凹まない程度の傷
関してはソレほど気にしてナイのですよ。

なので一点だけ忠告するとすれば「レンタカーでは行くな」ですかね。
返却時の言い訳面倒な事になります。

そんな感じで最後トンネルが出てきました。未生成線廃線跡
トンネル危険防止のために閉鎖されてる所が多いんですがココは
普通に通れるようです。

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…ポータル部分に銘板がありますが、やはり完成昭和46年ですか。
トンネルとしては新品に近いけど50年近く前の物なんですね。

トンネル内舗装されてるから自動車用に転用されてるのは間違い
ありませんが、照明の類ありません

また同線他のトンネルでは、地場で製造されるハムやソーセージ
を熟成させる施設として再利用されてる物もあるそうな。

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最後のトンネルを抜けて大きなカーブを曲がると、終点呼子駅
予定地に出ます。呼子港のある町だから中心街海に近い低地
なんですが、ココは商店街などから外れた高台ですね。

鉄道が来ると言う事で当時の呼子町(現在は唐津市に編入されてる)
では駅前に団地を建てる計画もあったらしいのですが、双方とも実現
しないまま空き地になってる感じでした。

そしてココが終点の筈なのに、更に先にも高架橋を作ろうとしたらしい
建造物がありました。

どうやらココから更に半島を回って松浦線伊万里まで繋げる構想
があったらしいのですが、コレに関しては認可すら降りてナイそうな。
…ぇ、じゃあ認可されてナイのに造りかけたって事?

ともあれ呼子線未生成区間を辿りつつ、何とか呼子まで来ました。
ではに降りて船に乗る事にしましょうか。

→次回に続く



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No.717 鉄道廃線跡を探る