新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

クラ駅長50年史 ㉙-1

2023/05/27(Sat)

では今週も土曜日になりましたので「クラ駅長50年史」の記事を
挟む事に致しますクラ駅長です。

最近は駅ノートなどの外出を減らし鉄道部屋のジオラマを作る
事を優先してますので、ネタが足らないから「50年史」「考える」
前倒しして書く事が多く、記事が出る頃には自分でも書いた内容
を忘れてたりするんですが。


今回は2001年平成13年ですか。前年に引き続き「新しい世紀に
なる」と騒がれた年ではありますが、子供の頃に「未来予想図」
して描かれてたソレとは程遠い物で、がっかりしたような安心した
ような、妙な気分だったのを覚えています。

…相変わらず自動車タイヤ4個で走ってるし、列車透明な
チューブの中を走ってるワケでもないし、人間箸と茶碗で食事
してるし、ピタっとした宇宙服みたいな服装でもナイし。

更に20年以上経った今でも、状況はソレほど変わってませんな。


今回も例によってWikipediaから、当時の世相鉄道関係の話題
を拾ってみる所から始めましょう。

この年に東京(実際には千葉県)で東京ディズニーシー大阪
ユニバーサルスタジオジャパンが開園しています。

テーマパークもコレらのような大規模な物が主流になり始め、
鉄道会社が沿線に持ってるような、いわゆる昔の「遊園地」
減っていったんじゃナイでしょうか。

政治自民党政権に戻り、総理大臣森喜朗から小泉純一郎
変わりました。…前任者の評判が矢鱈と悪かった分、小泉氏
人気があり、色々な改革を進めて行ったように覚えています。

大きな出来事と言えば、9月に起こったアメリカの同時多発テロ
などでしょうか?旅客機2機同時に乗っ取ってビルに突っ込む
とか、やはり今から考えると21世紀になった割りにセキュリティ
甘かったような気もします。

その次の項目に「狂牛病の牛が初めて発見される」と言う記事も
ありますね。詳しい事は忘れました(てか当時から知らない)が、
とにかく牛肉の輸入止まって牛丼屋豚肉を使わにゃならん
とか、焼肉店の客減って大変だったような事は覚えています。

…私は特に気にしない方なので、焼肉店空いてて更に値下げ
合戦になってると言う状況が嬉しくて仕方ナイ。当時は飲酒運転
に関してもユルかったから、T先輩とよく食べに行ってました。

幸運なのか当然なのか、牛肉が原因となる変な病気罹る事も
なく、現在に至ります。…やはり「気にすると負け」なんですよ。

12月、当時の皇太子ご夫妻の長女として愛子さまが誕生され
ました。世間一般の夫婦違い子作り日本中から注目され
てる」と言う気の毒な方々ですが、なかなか出来なかった所へ
女の子と言うのは、何となく微妙な空気だった記憶があります。

…別に私は天皇が女性でも構わないと思うんですけどね。
その代わり、夫になる人物慎重に選ぶ必要があるでしょうが。


鉄道の話題としては、矢鱈と目立つのが「ワンマン化」と言う記述
です。考えられなかった大手私鉄JRの長距離ローカル線
で同年から一気に列車のワンマン運転が始まったのでしょう。

そしてコノ頃から、当時の関西の私鉄各社で使われていた磁気
カード式の乗車券「スルッとKANSAI」と言う商号に統一され、
私の地元の近鉄では、同年から青山町以西の主要路線で使える
ようになりました。

…それに付随して「途中下車制度廃止」と書いてありますね。

当時の近鉄では最寄り系列の百貨店がある駅が「途中下車
指定駅」とされており、改札を出て百貨店へ買い物に行く事が
可能だったんですよ(それ以外の目的でも構わないでしょうが)。

また乗り方によっては近鉄線内だけでも100km超える長距離
になるので、私の記憶では100km以上の区間の乗車券はJRと
同じように「2日間有効途中下車可」だったように思います。

磁気カードで乗ると、その処理が難しいのでしょう。しかし近鉄
には、改札を出ないと乗り換えられない飛び地のような路線
あるので、ココは現在でも例外的に残されています。

名古屋地区では大曽根から出るガイドウェイバス「ゆとりーと
ライン」が開業し、その代わりと言うのか、名鉄のローカル線
(恐らく赤字)が数多く廃止されています。…世代交代ですね。


さて私は、半年間の本社勤務を経て再び営業店に戻る事になり
ました。先述のように同年からUSJがオープンしたので、そっち
方面の客が増えるだろうから。と言う事でしたが、元の上司
合わなかったんでしょうね。不思議と残念には感じませんでした。

入社して最初に勤務した大阪港近くの商業施設なのですが、
当時とは形態が変わっており、小規模な店舗が3店遊覧船の
売店がある所です。

店舗が細切れになったから動く範囲も狭いし、ソレほど大人数
の団体来るワケでもない以前よりは楽な仕事でした。

仕事内容とは関係ないんですが、1つ覚えてるのが当時の私の
通勤方法の話です。「スルッとKANSAI」の恩恵でもあるのかな。

奈良に住んでて大阪港まで通うから、JR大和路快速弁天町
まで行き、地下鉄中央線に乗り換えるんですが、当時の大阪市
交通局同日中地下鉄とバスに乗ると、バス乗り継ぎ割引
で半額になるんですよ。

だから定期券買わず、朝は地下鉄で出勤して夜はバスでJR
難波まで帰るんです。…ココからも奈良方面への快速が出るし、
始発駅だから確実に座れますJR難波~今宮の1区間も回数券
を買ってました。

トータルでは定期券の方が安かったかも知れませんが、とにかく
大阪なんて所で働く時は疲れるから快適に帰りたいんです。


この年は自分の趣味や何やに関しても色々とあったんですが、
長くなってきたので続きは明日に持ち越します。

→次回に続く



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No.1518 ○○について考える

休みの取り方について考える

2023/05/21(Sun)

昨日の「クラ駅長50年史」の記事で本社勤務の話が出ましたので、
ココで一度「休みの取り方」と言う事について考えてみたいと思い
ますクラ駅長です。


まず子供の頃ですが、幼稚園~高校と基本的にはずっと「土曜日
が半日、日曜が休み」と言う環境で過ごしてきました。

何となくいつの間にか学校も週休2日制に変わってたような気が
するので、これについて改めて調べると「1992年度から毎月第2
土曜休み1995年度から毎週土曜が休み」となったようです。

…私の場合、丁度大学の4年間と被るワケなんですが、コレは
公立の学校に関してのみの話であり、私立の大学では関係なく
ずっと「土曜は半日」と言うスタイルだったのを覚えています。

細かい事は忘れましたが「タイミングが悪いなあ」と言う印象だった
ように思うんですよ。

尤もコノ辺りから「ゆとり教育」なる物が提唱され、子供の学力
低下すると言う弊害も出たワケですが、とにかく休みが多い下の
世代羨ましかったですね。


就職したのが飲食店の会社で、営業店の仕事だから「定休日
ナイ土日忙しいから休めない」と言う環境になりました。

以後本社勤務半年間除いてずっとそのままだし、転職した
の仕事定休日などナイ職種なんですよ。でココまでやってきて
「得してるのか損してるのか?」が気になった次第です。

基本的には混雑や渋滞嫌いだから、空いてる平日に休める
有り難いのは事実ですね。銀行や市役所などへ行くにも便利

話は飛びますが現在、連休を狙って遠方へ出掛けてる松井さん
のような人を見ると、まず「混むだろうな」と思ってしまいます。

…しかし若い頃、まず困ったのが飲み会の誘いでした。

当時は学生時代の後輩同窓会的な飲み会を企画する事が多く、
「先輩も来て下さいよぉ」みたいな事になるんですが、コレが大抵
金曜か土曜の夜なんですね。

世間的にソノ方が多いからそうなるんでしょうが、まず行きたく
ても若手の身分では休暇を取るのも難しい無理して行っても
途中参加になるから、概ね「出来上がってる」所へ入るのも変な
空気になるし、翌日も仕事だと羽目を外しすぎるワケにも行かん

…「行っても楽しくナイ」と言う理由で断りまくってたら、そのうち
誘われないようになりました。残念な気分はなく気楽になったな。

で時々書く「鉄道趣味から離れてた」と言うのも、私自身の休み
取り難さが大きく関係しています。

鉄道系のイベント特異な貸切列車なども大抵は土日か祝日
開催&運行されるから、まず参加出来ません。…「アレはもう
自分とは全く関係ない別世界の事」と思うしかなかったんですよ。


…そして結婚して子供が出来ると「子供の行事に合わせるべきか
否か?」又は「子供を親の都合で休ませてイイものか?」と言う
話が付いて回るようになります。

運動会だの何らかの発表会だのと、子供の行事と言うのは矢鱈
日曜に設定されてる場合が多いワケですよ。

私の元妻は私の仕事内容を知った上で結婚した筈なのに、ソレに
ついて文句を言うようになります。…「言ってるだけで何とかなる
と思ってたようです。

…人にもよりますが、子供が小さい頃って父親職場の中核を担う
立場になりつつある頃と被りませんかね?殊に私は長らく「同僚」
と言う立場の仲間がおらず簡単に抜けれない立場に居ました。

この辺りでは「もしかしたら自分は損してるのか?」と思いました。

また話は反れるんですが、やはり世間には平日しか休めない親
と言うのも他に大勢居るワケでして、当時「そんな子供のために
年間12日親の都合に合わせて旅行などで休む事が認められ
ている」と言う噂を聞いた事があるんですよ。

…でないと「ドコへも連れて行って貰えない子イジメられる恐れ
がある」からだそうですが、真偽を確認しないまま現在に至ります。

コレってホントなんですかね?「12日」と言う数字も何となく尤も
らしい気がするんですが。


そんな感じで的には不満だったのでしょう。めでたく離婚する
事になり、ついでに色々と不満だった例の会社辞めました

後の記事詳しく書きますが就職以来16年間土日に行ける
イベントや娯楽と言う物に一切無縁な生活だったので「少しぐらい
はイイだろう」数か月間「無職を楽しむ事にして、木村鉄道
各イベントに参加する所から始めました。


その後今の仕事に転職するワケですが、面接の時に「最後に何か
質問は?」と言われて「土日に休みは取れますか?」と言うのを
訊いたぐらいですね。

今の仕事31日ごとのシフトで、曜日は無関係に回っています。
だから休み平日になる事もあれば、土日に当たる事もある。

観光シーズンとか選挙とか、大きなイベントがある場合を除けば
申請すれば休暇大抵許可されます。そのまま有休にしてもイイし
別の日に公休出勤して振り替えても構いません。

木村イベントお絵描き教室への参加は、ソノようにして休みを
捻出してましたが現在はソレも無くなりより自由なもんです。

また模の大きい営業所を選んだから「1人ぐらい抜けても何と
なく回る」と言う、私にとっては非常に好都合な職場になりました。

思いつくまま書いてるうちに「損か得か?」と言うのがよく分からん
状態になってしまいましたが、取り敢えず現状は満足しています。

要するに「リア充土日が休み」「孤独を好む人=平日が休み
と言う図式なのは間違いナイのかな?勿論私は後者だわ。

てかとっとと退職して「毎日が休日」な立場になりたいもんですね。

→次回に続く



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No.1512 ○○について考える

クラ駅長50年史 ㉘

2023/05/20(Sat)

では今週も土曜日になりましたので、「クラ駅長50年史」の記事を
挟む事に致しますクラ駅長です。

…これを書いてる4月上旬は、3年振り行動制限ない春の観光
シーズンと言う事で日々貸切の仕事に追われており、シフト変則
になって、長い記事を書く時間取りにくい状況でしたね。

今回は2000年平成12年です。例によってWikipediaから、当時
の世相鉄道関係の話題を拾ってみる所から始めましょう。


まず「西暦2000年」と言う非常に区切りのいい数字の年だった事
が思い出されるワケですが実際の所、新しい世紀翌年の2001年
から始まるワケで、同年は「ミレニアム」と言う変な言葉で扱われ
てたのを覚えています。

「世紀の区切り」と言うのは当然、100年毎に回ってくるワケですが、
100年前どうしてたのか?とか誰も覚えてる筈もなくどっちを
区切りとするか?モメたような記憶もありますね。

…当時の風刺漫画
「そう言う事を決めるのは電通の人だと思うので、訊いてみましょう」
両方とも大騒ぎする予定なので、どっちでもいいよ」
みたいなのがありました。電通時代のトレンド(笑)を決めてたのか?

2000年に因んだワケでもないんでしょうが、この年に2000円紙幣
と言う物が発行され、500円硬貨リニューアルされました。

2000円札はアメリカなどの20ドル紙幣同じ発想なのでしょうが、
日本では何故か流行りませんでしたね。

500円硬貨韓国500ウォン大きさが同じで、デザインも似てる
と言う事から、ソレを変造した偽物が出回った事による措置なの
でしょう。500円硬貨は以後も何度か改変されてるから、変造防止
完璧な物ではナイのかも知れません。


同年鉄道の話題としては、それほど大きな出来事なかった
ように思うんですが、関東圏を中心に都市部の路線新規開業や
路線の延伸が何件か書いてあります。

またJR東日本で、後の通勤型車両の標準仕様となったE231系
デビューしました。

…この頃から東日本の車両に関して頭に「E」が付くようになったん
ですかね?当時は鉄道趣味から離れてたのでよく知りませんが。

福井県京福電鉄(当時)越前本線正面衝突事故が発生
したのも同年の事です。同路線では翌2001年にも全く同じような
事故が発生して全線で運転が中止され、現在のえちぜん鉄道
に会社が移管する理由の1つにもなりました。


さて私は、相変わらず前年までと同じ飲食店の会社に勤務してる
ワケですが、取り敢えず覚えてるのは年が「2000年」切り替わる
瞬間「Y2K問題」と言うやつですよ。

コレは当時使われてたコンピューターの類が西暦下2桁のみで
認識してた事によるもので、年が変わる「1900年」だと思うから
色んな誤作動を起こしてしまう事が心配されたと言う話です。

前年の私は終夜勤務から上手く逃げて能登半島旅に出る
が出来たんですが、この年はカウントダウン営業を行う店舗へ
応援勤務に捕まってしまいました。

…取り敢えずはレジ関係などを見張っておくように言われたん
ですが、特に何も起こらなかったのを覚えています。世界全体
を見渡しても、大きな混乱無かったんじゃナイですかね。

そんな事だから、2000円紙幣が発行された時もよく覚えてる
ですが、取り敢えず小型のレジだと紙幣を入れる少ないから、
ドコへ入れればいいのか?困った事しか記憶にありません。

今でも現金を扱う仕事である事には変わりありませんが、滅多に
見掛けなくなったのと、釣銭に混ぜる嫌がる客(殊に老人)が
多い印象がありますね。何故なんでしょう?金は金じゃん。

…と言う事で、概ね現場店舗の仕事ばかりやってた私ですが、
この頃に半年間だけ本社勤務をやった事があるんですよ。

当時の関西ではUSJのオープン翌年に控えた状況で、新規
の事業をやるとか何とかで、親会社から来た管理職の人が「誰か
若いのを1人付けてくれ」と言う感じで私が選ばれたようです。

当時でその会社に就職して約5年が経過してたワケで、社内の
なら上役でも概ね面識はあるんですが、初めて会うような人
と組まされても何となく上手く行かないんですよ。

…また変にプライドの高い人だったから、そんな目から見ると
使えない人間だったのでしょう。結局は本来の業務とは無関係
の雑用が多くて、短期間営業店に戻されてしまいました。

しかしこの頃から仕事の随所にパソコン(当時だとWindows98
主流)が導入され始め、独学で色々やってるうちに何となく使える
ようになりました

結局人生のうちで「平日の昼間事務所で働く」と言う仕事をやった
のはこの半年間だけでしたが、ドコかで聞いたような「サラリー
マン気楽な稼業ときたもんだ」が体験出来たような気もします。

勿論コレは職種にもよるだろうし、反対意見多々あるとは思い
ますが、やはりから見ると「オフィスで働く事務職」ってのはそれ
以外の仕事の者から見ると「楽して金が貰えてる」イメージです。

…まぁそれより楽な(だと思う)のは、タクシーに乗って日々街中を
ウロウロしてる事なんですけどね。

→次回に続く



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No.1511 ○○について考える