新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

クラ駅長50年史 ⑳

2023/03/25(Sat)

では今週も土曜日になりましたので、クラ駅長50年史の記事を紹介
する事に致しますクラ駅長です。今回は1992年平成4年ですか。

何だカンだと20年経って(紹介して)しまった事に些か驚いてるワケ
ですが、当時の世相どんな感じだったのでしょう?
…今回も、まずはWikipediaから色々と拾ってみる事にしましょう。


まず冒頭に書いてあるのが「バブル景気終わったものの、世間
はまだ楽観的な気分だった。」みたいな事ですね…コレに関しては、
後で詳しく述べる事にします。

大きな出来事としては「佐川急便事件」と言うのが載っています。
詳しくは割愛しますが、要は政界や暴力団も巻き込んだ大規模な
汚職事件ですよね。

費用対効果よく分からない状況で、名前が売れてるだけの政治家
多額の賄賂を贈るとか、やはり景気が良くないと出来ない事なの
でしょう。…最近はソノ手の事件めっきり減ったように思います。

長らく続いてた「料理天国」「クイズダービー」「100人に聞きました」
などのテレビ番組終わったのも同年のようです。

当時の私人並みテレビも見てたように思いますが、やはり
まだテレビが娯楽の中心だった時代でしょうね。


同年の鉄道では、東海道新幹線300系によるに「のぞみ」と言う
新しい列車が出来たのと、山形新幹線の開業などが大きいかな。

今でこそ多数派になった「のぞみ」ですが、私のような昭和世代には
それまで「超特急」と言う地位に居た「ひかり」区間快速みたいな
扱いになった事に寂しさを感じるワケですよ。

…あと一番列車の出発式に出てた「のぞみちゃん・ひかりちゃん」
と言う5歳ぐらいの双子の姉妹は、どうやって見付けたのか?

地味な所では「近鉄田原本線ワンマン運転化」と言う地元ネタ
ありましたが、ソレによって幾つかの無人駅駅員さんを再配置
する事になり、人件費としてどぅなのよ?と思いましたが。


さては、前年から通った予備校生の身分で2度目の大学受験
経て、同年4月から大学生になります。

志望校に関しては、やはり「受かればラッキー難関」「手堅い中堅
滑り止め下位校」と言う標準的な感じで、何れも私立の文系です。

結果的に、県内にある学校の文学部史学科と言う所になりました。

大きな大学だと経済だの経営だのも受け、1つだけ経営学部にも
受かったんですが、ホントにやりたかったのは歴史の勉強だし。
…あと、奈良にあるのに宗教絡んでナイ事が気に入ったのです。

当然ですが大学と言う所は、ソレまでの学校と違ってカナリ自由度
が高く、また元々ノンビリした校風なのか、過ごしやすい所でした。

ただ一応はクラス分けが為されてるものの、講義の殆どが選択制
だから、帰属意識が薄いんです。…悪く言えば「居場所ハッキリ
しない」と言うか。コレは慣れないと意外に不便な事なんですよ。

だから私は先ずソコから考えて、本来なら向こうから勧誘に来る
部活のブースに、自ら出向いて入部する事にしました。…何って、
高校でもやってた写真を続ける事しか考えてませんでしたが。

当時の同大学の写真部は、前年に何人か入部した(同年からの)
2回生が色々な事情で全員辞めてしまい、後継者不足に悩んでた
所だったようで、取り敢えずカナリ歓迎されましたよ。

入学して数日は、オリエンテーションだの部活の勧誘期間だので
講義無く、その間に履修する科目決めて提出するワケですが、
ドコかに所属して先輩が出来ると、アドバイスを貰えるから便利
なのですよ。

単位を取りやすい科目を教えてくれたり、要らなくなった教科書
が貰えたり。同学年の友達後から作ればイイのです。

大学の部活では4回生は実質的に引退して卒論や就職活動の準備
を始めるから、仕切るのは3回生です。…で2回生居ない所へ
加えて入った1回生私と男子がもぅ1名と言う不作だったんですよ。

写真部だから作品展をやるんですが、人数が少ないと1人当たり
ノルマが増えますわな。…その辺は厳しい所でしたが、小回りが
効いて楽しかったようにも思います。


冒頭の話ですが、景気のいい時代だったエピソードと言うのか、
4回生の先輩就職活動をするのを見てると、会社訪問に掛かる
交通費などがソノ企業から貰えてたようなんです。

例えば九州出身の人が、こっちの企業を受ける時は実家の住所
九州の企業を受ける時はこっち(下宿先)の住所と、遠い方
書いてもソノ通りに支給され、結構な差額が浮くらしいんです。

…かなりのザル加減だと思うんですが、領収証なんか出しようの
ないカネの筈であり、景気のいい時しか出来ない事のような気が
します。現に私らの学年では、ソノような話聞きませんでした。

又は「会社訪問行くだけ記念品が貰える」とかもあったな。
大体がテレホンカードなんですが。アレとて担当社員が何枚か
着服しても、殆どバレないようなイメージ(偏見)がありますよ。


ともあれ入ってしまえば勉強に特化した生活からは解放される
ワケだから、部活を楽しみつつ本格的にアルバイトをやったり
運転免許を取りに自動車学校へ行ったり、(実家からの通学では
あるものの)一般的な大学1回生の生活を送る事になります。

その辺りの詳しい話翌年以降に述べるとして、次回(明日)
高校~予備校~大学辺りの補足的なネタを幾つか拾って書いて
みる事にしましょう。

→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.1455 ○○について考える

「きっちりしぃ」について考える

2023/03/19(Sun)

ココ最近、YouTube「放送室」と言う昔のラジオ番組録音した物
を訊くのがマイブームになっておりますクラ駅長です。

コレは2001年~2009年FMで放送されてた深夜番組なのですが、
基本的にはダウンタウンの松本人志氏放送作家の高須光聖氏
2人で延々と喋ってるだけの番組で、FMラジオにしては音楽
極端に少ないのも特徴だそうな。

…私も若い頃(主に10代後半)は深夜ラジオよく訊いたものですが
この時代だとソノような習慣はなくリアルタイムでは聴いてません

ついでに言えばダウンタウンと言うコンビは、大阪ローカル若手
だった頃からよく見聞きしてて、当時放送されてたMBS(毎日放送)
「ヤングタウン」には、よくネタ葉書を送ったもんです。

…勿論向こう私の事なんか覚えてナイでしょうが。

話を「放送室」に戻しますと、パーソナリティの2人子供の頃からの
幼馴染だと言う事で、当時の思い出話などを面白く訊いています。

また約15年前と言う事で、時々時代に合わない部分もあるものの、
松本氏が語る「怒りネタ」には充分に共感出来る事が多いんです。

当時の松本氏はまだ結婚前であり、よく自身の事を「きっちりしぃ」
だと称してて、「だから俺は結婚出来ない」と分析してました。
…この「きっちりしぃ」に関して私と共通する部分が多いんですよ。

実際に番組を聴かないと分かり難い部分があるかも知れませんが、
幾つか挙げてみたいと思います。


 携帯電話のメモリー

松本氏が言うには、相手の電話番号登録する時に五十音順
苗字が並んでる所へ「〇〇ちゃん」みたいなニックネーム混じる
のが気持ち悪いと言う事でした。

私もそうなので、ネット仲間木村鉄道などのハンドルネームで
知り合ったような人も全て、姓名のフルネーム変換して登録して
います。…電話番号まで知ってる程度の親しさの人なら、大抵は
フルネームで知ってるので。

…もっと言えば最近のスマートフォンって、登録番号順のソート
出来ないんですよね。これって私の機種だけでしょうか?

そして登録してある全員個人とは限らず取引先の会社代表
番号とか、姓名の中に混じるのが不自然な物も存在するのに、
登録のフォーマット姓名が基本なのも気持ち悪い

携帯電話持ち始めた頃は「家族と親戚0番台」「会社関係
100番台」みたいな分け方をしてたので、ソレが出来なくなって困る
んですよ。アレだけはガラケーの方が良かったなと。


 服は無地オンリー

当時の松本氏私服のチョイスに関して「夏場BVDの白Tシャツ
しか着ない」と言うポリシーがあったようです。

絵やロゴが入ってるとその意味を考えてしまうからだと言う事で、
コレもよく分かると言うか、私もそうです。まぁ仕事の制服であったり、
例えば木村イベント木村Tシャツを着ていくのはデザインと目的
一致してるから構わないと思うんですが。

何かで見たんですが、単にファッションデザインとしてコカ・コーラ
のロゴが入ったシャツを着てる人が居たんですが、この意味が
分からんと言うか、服にコカ・コーラのロゴを入れていいは同社
の営業機械のメンテナンスに回る人だけだろうと。

ついでに言えば私は「1点物の服」と言うのが苦手と言うか、写真
に写った時にソノ服で特徴的に残るのがなので、同じデザイン
安いシャツなどを複数枚持って、その中で着回すようにしています。

…だから運転免許証の写真は会社の制服で写るようにしてるし、
駅ノート廻りでよく着てる作業服「ワークマン」の量産品ですが、
長袖と半袖各2枚ずつあるんですよ。


 複数あるものは均等に傷むように使いたい

コレまた被服に関する事ですが、シャツやパンツなどの下着類
関しての話ですね。同時期に買った物を極地的?に使って痛み方
に差が生じるのが気持ち悪いそうです(「よそ行き」として意図的
キレイなのを残しておく場合は除く)。

私は普段、シャツ・トランクス・靴下3点4点か?)を「1編成」
して考え、コレが6編成あると言う状態を長らく続けています。

6編成あれば、2泊程度の旅行にも対応出来ると言う計算ですね。

2日に一度2編成ずつ洗濯して、洗った分はストックの一番下
収納し、均等に傷むようにローテーションを組むんです。また靴下
全部同じだから、左右の組み合わせも気にしなくて済む。

自分としてはカナリ合理的に回ってる積もりなんですが、コレは
独り暮らし服の調達から洗濯まで、全部自分で出来る場合に
限られる話かも知れません。

…私は今は長男と同居してますが、洗濯完全に別なので。


「きっちりしぃ」松本氏は、例えば家の中の物品でも「ドコに何を
置くか」を全て決めた通りにしないと気が済まない性格だと述べて
おり、他人に触られるのが嫌独身なのだとも言ってました。

…この人も後に結婚して、今は家族が居る身な筈ですが、その辺り
どうなったんだろうなと。

「放送室」は既に終了した番組なので、他の場でソノ辺りが詳しく
語られてる事も聞いた事がナイんですが、気になりますね。

松本氏高須氏まだまだ現役の筈ですから、現代版の「放送室」
として今ならYouTubeとかでやってくれないかな?と思う昨今です。
需要はあると思うので、充分に収益化出来そうな気はしますよ。

→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.1449 ○○について考える

クラ駅長50年史 ⑲

2023/03/18(Sat)

では今週も土曜日になりましたので、恒例の「クラ駅長50年史」
記事を挟む事に致しますクラ駅長です。


今回は1991年平成3年ですね。今回も例によって、同年の出来事
Wikipediaから拾ってみる所から始めましょう。

まず冒頭に「バブル景気終焉失われた10年始まり」と言う事が
太い字で書いてありました。…しかし前年の回にも書きましたが、当時
10代だった私からするとイマイチよく分からない感覚です。

経済的な流れの事までは知りませんが、バカみたいなファッション
踊り狂ってた「ジュリアナ東京」の流行が同年の事であり、
感覚的にはまだまだ浮かれた人たちが多かったように思います。

ただ私は、何度か書いてる事ですが女性のファッション髪型国産
乗用車のデザインJ-POPの曲調などは当時の物が一番好きです。

私が乗るY31系セドリックセダンあのデザインになったのも、同年
事なのですよ。

同年流行語吉本新喜劇に登場するチャーリー浜氏「〇〇じゃ
あ~りませんか!」だそうな。ふーん。

関西人の私にとってはもっと子供の頃から見聞きしてたフレーズで、
今更感半端なかったワケですが、吉本興業「ギャグ100連発」
みたいな映像ソフトを作り、東京(てか全国ネット)でも認知され始めた
のが同年頃の事のようです。

大相撲の横綱だった千代の富士が、通算1045勝と言う記録を出し
つつも、まだ若手だった貴花田(当時)敗れたのを機に引退した
のも同年の事です。

「体力の限界っ!」と言う涙ながらの会見を覚えていますが、対戦
相手だった貴花田(花田光司)私と同じ歳の筈だから、より印象
残ってるのだと思われます。

花田光司氏に関しては同じ歳の男として、宮沢りえより河野景子
(8歳上)選んだ感覚が、当時も今もよく分からないのですが。


続いて同年の鉄道に関するネタですが、岡山県下津井電鉄
同和鉱業片上鉄道廃止されたのが同年の事でした。

両路線とも最近になって廃線跡を自転車で走る旅に出たワケ
ですが、気になっては居たものの受験生と言う立場では自由に
動く事も出来ず現役時代知らないまま終わった物件です。

同年に誕生した鉄道会社に、嵯峨野観光鉄道桃花台新交通
(ピーチライナー)があります。

前者廃線になった山陰本線旧線観光用に残したもので、
現在でも人気のある路線ですが、ピーチライナー約15年短命
に終わってしまいました。

同年大きな鉄道事故としては、信楽高原鉄道正面衝突事故
が挙げられるでしょうか?

出来たばかりの信号場が上手く機能せず単線区間両方向
から列車が進入したのが原因なのですが、現地で行われていた
陶芸祭のイベントに向けて双方の列車とも超満員だった事が、
被害をより大きくしたようです。


さて私は高校3年生1月~2月大学受験だったワケですが、
碌に勉強してナイから複数の学校や学部受験した(詳細失念)
ものの全滅と言う結果になり、4月から予備校に通う事になります。

には経済的負担を掛けてしまいますが、当時は景気がよく
我が家も金回りが良かったようで、ソレについては何も言われ
ませんでした。

予備校大阪にある大手チェーンの所へ行きました。こちらも
景気のいい時期新設校として開校したばかりの所だったので、
校舎もカネの掛かったお洒落な物だった覚えがありますね。

…通常なら予備校も「学校」の一種だから鉄道通学定期券
乗れるワケですが、開校したばかりでまだ学校としての認可
下りておらず通学定期買えない状況だったんですよ。

しかし「その差額に関する補助」予備校から出ていました。
…こんなのは景気が悪い一番にカットされる所かも知れません。

入学した初日、講義の合間に黒板を消したり印刷物の配布などを
手伝うクラス委員のような物を決める事になり、誰も手を挙げない
から立候補して、そのまま当選しました。

このクラス委員ボランティアではなく1日200円と言う薄給
ながら日当が出るんですよ。ちゃんとタイムカードもありましたな。
…コレまた景気が良かったが故の恩恵かも知れません。

予備校ココしか行ってないので他所がどんな雰囲気か知らない
んですが、勉強の合い間遠足日本史の勉強と称した明日香村
でのオリエンテーリング)や球技大会などもあって、割と明るい
雰囲気だったのを覚えています。

未成年の飲酒に関してもユルい時代だったから、クラスでの
飲み会なんかも複数回ありました。


そして同年の7月、それまで住んでた古い家から現在の実家
引っ越す事になります。

詳しくは「実家移住計画」最初の頃に書いたと思うんですが、
田舎の古い家権利関係が複雑だったので、両親(主に母親)
ソノ辺を整理して「うちは出ていく、後は知らん。」となったんですよ。

同じ集落内にある我が家の田んぼ新しい家を建てるので、元の
住所から直線距離で200m程度の所です。

詳しい事は私には分かりませんが、取り敢えず家が新しくなるから
トイレは水洗になるし、部屋は限られるもののエアコンが装備される
から現状よりは快適に暮らせるワケで、嬉しい事ではありました。

…この時点で当然に新築だったですが、以後何のメンテナンス
もしないまま約35年が経過し、現在私がその後始末と言うか各種
の更新工事手を焼いてるのが、一連の「実家移住計画」の報告
と言う事になります。


高校までの同学年は、順当に行けば大学に進学してるか社会に出て
働いてるワケですよね。

…こっちは浪人生だから、地元の顔見知り仕事アルバイトも含む)
してたり自動車学校の教習車に乗ってるのを見たりすると、些かの
引け目を感じる事はありましたが、予備校生活と言うのもソレほど
悲惨な物でもなく、何となく充実した1年だったようにも思います。

→次回に続く



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No.1448 ○○について考える