新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

クラ駅長50年史 補足②

2023/03/12(Sun)

毎週土曜日に連載しております「クラ駅長50年史」ですが、中学生
~高校生と言うのは人生の中でも「激動」な部類に入る時代だと思う
ので、ココまでを振り返って「抜けてたな」と言う話を幾つか拾って
みる事に致しますクラ駅長です。


私が行ってた中学校は、給食設備無かったので昼は弁当持参
が基本なのですが、お茶を給湯する設備風呂屋の蛇口のような所
からお茶が出てくる)があって、クラス毎当番大きめのヤカン
2つ分のお茶給湯室まで取りに行くシステムだったんですよ。

加えて冬場はコレに、弁当箱を保温する設備が使われます。
のうちに金属製の籠全員の分の弁当箱を入れ、恐らくは蒸気
で保温する仕組みなのだと思われます。

…しかし3年生のクラスは何故かコノ当番機能しておらず誰も
取りに行かない。で仕方ないから私が行くワケですが、当然に自分
の分と、お茶大きなヤカン自分の1杯分だけを汲んでくると言う
嫌がらせをよくやってました。

担任の石橋先生に軽く怒られました(突っ込み程度)が、そんな物は
責任を果たさない方が悪いと思うので、特に反省もしませんでした。


石橋先生と言えば3年生の社会科「公民分野」について習った時、
俺が発見してまだ誰も知らない学説がある」と披露してくれた話が
あるんですよ。

当時はロシア大陸「ソビエト連邦」と言う共産主義の国家があった
ワケですが、ココの政治的なトップである共産党書記長は、ある一定
の法則に従って輩出されてると言うんです。

レーニンハゲ
スターリンが立派
マレンコフ七三分け
フルシチョフハゲ
ブレジネフ眉毛が太い
アンドロポフハゲ
チェルネンコ…白髪の長髪
ゴルバチョフハゲ(+頭部の痣で有名)

…要するに概ね、「ハゲフサフサ交互に就任している」と言う
法則性があるそうな。だから何なんでしょう?

石橋先生当人は伸ばしたモミアゲトレードマークにしてる人だった
ので「次はモミアゲの人物が来る」と言う落ちにしてましたが、後に
ソ連民主化幾つかの国に分割されてしまいました。

…まぁ私はソノお蔭で、人名と順番を覚える事が出来たので「教え方
が上手い」としてイイんじゃないのかなと。


教師と言えば、高校の3年間について全部飛ばしてしまいました
ので、それに関しても述べておきましょう。

1年生広瀬先生と言う若い男性で、体育の担当でした。

体育の先生と言うのは当然、勉強より運動の方が得意だからソノ
道を選ぶのだと思われ、基本的に担任教師が担当する道徳の授業
が全く頭に入ってこなくて困った覚えがあります。

…当時から人権問題の分野で色々と議論されてた物に「狭山事件」
と言うのがありますわな。詳しい概要などはココでは省きますが、
要は犯人として疑われた男性被差別地域の出身者だったので、
「警察から偏見の目で見られたに違いない」と言う話ですよ。

体育担当の先生としては得意な分野では無かったのでしょう。
明らかに指導要綱棒読みしてるだけの感じで、初めて聞く私と
しては何が言いたいのやら全く分からなくて困りました。

コレが社会科の先生とかだったら、もう少し分かりやすかった
かも知れません。

…ちなみに私は人権問題抜きにして「未解決事件」と言う物に
興味があって、同事件に関してもネットが普及してから色んな文献
を読んだんですが、容疑者(被告)の男性の行動などを見るに、
「そりゃ疑われるのも仕方ない」と言う感じがしました。

真犯人捕まっておらず、今でも真相は謎のままなんだっけ?


2年生西川先生と言う、古文担当女の先生でした。…は幾つ
ぐらいだったのかな?今でこそ死語になってますが「オールドミス」
と形容するに相応しい感じで、30台半ば独身だったと思います。

…しかしコレが途中で無事に結婚されたので、クラス全員で幾らか
100円ぐらい)ずつ出してお祝いを贈ろうと言う事になったんです。

副担任の先生の仕切りで簡単な学級会をやったんですが、高校生
ともなれば下ネタを混ぜるようになるから、誰かが「Yes No枕」
言う候補を出してました。

関西の人には「新婚さんいらっしゃい」景品として有名な物
でしょう。子供の頃意味が分からんかったけど、アレは子作り
に関して「する?しない?」と言う意味の物だそうです。

Amazonなどのネット通販ない時代だから、ドコに行けば買える
のかでしたね。結果的に何に決まったのか忘れましたが、もっと
無難な物になった筈です。


3年生増田先生と言う、英語担当30代と思われる男性でした。

…当時の「若いお父さん」標準的なイメージの人なんですが、
私は英語(と言うか歴史以外の全教科)が苦手だったので何となく
印象が薄く覚えてるエピソード少ないんですよ。

向こうも私をソレほど特別視してなかった事でしょう。
高校3年生と言うのは人生の節目になりがちな学年ですが、担任
の先生が(悪い人ではナイけど)こんな感じなのは些か残念かな。

2年生の2月だったか、大雪が降って休校になった日があったん
ですが、当時は携帯電話とかないので連絡が間に合わず登校
してしまった生徒が何人か(全体の半分ぐらい)居たんですよ。

…私は「何となく面白そう」と言う事で関係なく登校したんですが、
増田先生「折角だから」と来た生徒を視聴覚教室に集めて、
何か忘れたけど洋画のビデオを見せて下さいました。

そんな感じの軽いノリの人だから、英語が得意な生徒にはウケが
良かったように思います。

特に興味の無かった私は「正式な授業じゃないから出席する義務
ナイだろう」と、写真部の暗室に籠って朝から撮って来た写真
現像してましたが。


「激動」と煽った割に、小ネタばかりになったような気がしますが
色々と書いてるうちに、今回も既定の字数文字だけの回2000
文字以上)に達してしまいました。

まだ積み残しのネタもありますので、何かの機会に紹介する事に
して、今回はココまでとします。

→次回に続く



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No.1442 ○○について考える

クラ駅長50年史 ⑱

2023/03/11(Sat)

では土曜日になりましたので、今週も恒例クラ駅長50年史
記事を上げる事に致しますクラ駅長です。

今回は1990年平成2年ですか。「平成」と言うと一気に身近に
なったような気もしますが、アレとて30年の長さがありましたから、
既に「1世代前」です。やはり歴史を語るのって難しいですね。


いつものようにWikipediaから、当時の出来事を拾ってみましょう。

…まず冒頭に「バブル景気最後の年」と書いてあるんですが、
ホントにそうなんでしょうか?当時の私高校生だから特に経済的
な恩恵を受けた記憶はナイんですが、感覚としてはあと3年ぐらい
バカ騒ぎが続いてたように思います。

後に大学生になった時、就職活動などでソレを実感したんですが、
その辺りは当該の記事に回す事にしましょう。

同年の7月に、兵庫県の高校で「校門圧死事件」と言うのが起こり
ました。遅刻指導として始業時間校門を閉めた際、駆け込んで
きた女子生徒頭部を挟まれて死亡したんですが、実はコレに近い
ってウチの学校でも起こってたんですよ。

…やはり朝の登校時間帯同じような事をやってて、殺到した何人
かが将棋倒しになったのを、私は3階の廊下から目撃したんです。

女子の方が多い環境だから悲鳴がスゴかったですね。特に怪我
をした生徒も居なかったらしく、問題にもなりませんでしたが、
今だったら動画を撮られてネットで拡散してたかも知れません。


出来事とは違うんですが当時、おおた慶文と言う人のイラスト
流行ってて、それを気に入った母親に「画集探して買ってきて
欲しい」と頼まれた事がありました。

知らない方は画像で検索して頂ければいいんですが、凄く可愛い
女の子のイラストが鉛筆と水彩絵具で描かれており、現在の萌え絵
とは違う上品なタッチの作品が多いんですが…

…何かのカレンダーに載ってたのを見て母が気に入ったらしく、
「探して買ってこい」と。当時はネットで検索出来たりAmazon
商品が入手出来るようなシステムもないから、まず発売されてる
のか否かすら分からん状態です。

しかも「おおた慶太」とか何とか、名前を微妙に間違えてたし。
でソレを男子高校生に買いに行かせようとする神経が分からん

当時はまだ、前々年に起こった宮崎勤の事件が世間の人々の
記憶に大きく残ってた時期であり、ロリコンに対する弾圧のような
風潮がありました。

発売されてるのかも分からん美少女イラストの本を探して本屋
で訊いて回るとか、自分の息子ロリコン扱いされる危険性とか
考えなかったんでしょうか?まぁバカだから仕方ないけど。

取り敢えず碌に聞き込みもせず、学校近くの大きな本屋ざっと
見ただけ「無かった」と報告しました。…あってもレジへ持って
行くのには勇気が要る行動だったでしょう。


同年鉄道の話題を見てみると、やはりローカル線廃止
第三セクター会社への移管非電化だった区間の電化完成など
の記事が目立ちます。

そんな中で目に付いたのが「チャレンジ20,000kmキャンペーン
終了」と言う記述でした。…コレはイメージとして国鉄時代
物なんですが、JR移管後残ってたんですね。

国鉄(又はJR全線を完乗するとなると、当然に北海道や九州
へも出掛ける必要があるから、高校生ではまだ「挑戦しよう」と言う
言う発想は出ませんでした。

周知の通り私鉄を含めた全国完乗達成してしまうのは、
40代に入ってからです。…誰も祝ってくれないし、何の景品も
貰ってませんけどね(厳密に言えば只見線残ってるか)。


さて私は4月から高校3年生です。まず春の遠足は当時大阪の
鶴見緑地で開催されていた「花の万博」だったのを覚えています。

工期間に合わず開幕後も一部の施設が建設中だったり、
ウォーターライドと言う乗り物で事故が起こって車体が宙吊り
まま放置されてるとか、あるパビリオンで幽霊が出たとか、本来
の出し物以外の所で話題が尽きなかったイベントです。

写真部だった私は卒業アルバム担当の先生から依頼され、単独
行動
で会場を回っては同級生のグループを探してソレ用の写真を
撮る「仕事」
をしていました。

…普段は特にモテないけど、ファインダー越しだと女の子笑顔
になるし「ありがとう」みたいな感じになる。妙な感じでした。
まぁ気分の悪い事ではナイから楽しかったけど。

ぁ、写真部の同学年で男子私1人だったんですが、私が入った
年に部長だった先輩の彼女(私と同学年)がそのまま推されて
しまい部長に就任。私は「実務を取り仕切るナンバー2」と言う、
例の「副だけど実際は責任者」と言うアレになってしまいます。

所で勉強どうだったのか?…コレが実はあまり覚えてなくて

当然の事に段々と大学受験と言う物が近付いて来るワケですが、
私は勉強より部活などの方が楽しかったから、受験勉強とか
碌にやってなかったように思います。

そもそもが団塊ジュニアと言う事で無駄に人数が多い世代であり、
景気が良くなって大学の進学率上がったのか、競争率の高い
時代でもありました。

日々の課題などは遅れる事なく出してもそれ以上自主的な
にまで手が回らなかったような記憶がありますね。

どうせ人生は長いんだから、高校は高校で普段の生活楽しみ
受験勉強翌年に特化した方が効率が良いだろうと、「浪人上等」
なスタンスで構えてました。…親は大変でしょうが、知らん


3回に渡って高校生活について書きましたが、やはり抜けてる所
多いように思います。明日補足ネタとして続けましょうか。

→次回に続く



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No.1441 ○○について考える

煙草と喫煙について考える

2023/03/05(Sun)

最近、何事かを思い付いた思い出したりしたら、すぐメモ書き
しておかないと忘れてしまう歳になりつつありますクラ駅長です。
…そんな中で思い出したのが、煙草と喫煙に関する話ですね。


まず私の父親喫煙者でした。まぁの事だからソレが当たり前
であり、「こいつは煙草が好きなんだろう」と子供でも分かるから、
父の日などには時々、煙草を買ってあげたりしてましたが。

…それで思い出したんですが、小学校低学年ぐらいの時に近所
を自転車で走ってたら、道路工事をしてた知らないオッサン
「煙草買ってきてくれ」銘柄を指定されて、小銭を渡された事が
ありましたな。

今は「子供のお使いダメ」なんだっけ?てか向こうとて知らない
子供に少額でも現金を渡して、持ち逃げされる危険性とかを考え
なかったんでしょうか?…まぁ言われた通りにしてやりましたが。


「クラ駅長50年史」では私も高校生になっておりますが、やはり
その歳になると周囲でも「吸うヤツは吸う」と言う感じでした。

写真部員と言うのは、白黒の35mm判のネガフィルムを多用
してまして、コレには一般的に売られてる物とは別に「長巻き」
言うお徳用商品みたいなのがありました。

詳しい説明は省略しますが、コレの入れ物が直径10cm×高さ4cm
程度の金属製の缶であり、それを灰皿にするのが定番でしたね。

…元がフィルムの入れ物だから、フタを閉めておけば先生見回り
に来ても「開けたら感光するからダメです!」と誤魔化せるの。


大学に入ると学生の半分ぐらい20歳を超えてる事になるから、
喫煙者当たり前に居る環境になります。当時の風潮としては、
今ほど分煙徹底しておらず随所に灰皿がある状況でした。

…この辺りは駅や商業施設でも同じような感じだったでしょう。
教室内や食堂などは流石に禁煙でしたが、屋外や部活棟の室内
フリーです。確か途中から「部室内は禁煙」になったのかな?

その頃に「どんなもんだ?」と思って手を出した事もあるんですが、
どうも私には合わず、そのまま非喫煙者として現在に至ります。


煙やニコチンダメと言うより、喫煙者って煙草を吸いながら他の
色んな事をするでしょ?事務仕事とか車の運転とか携帯電話の
操作とか。あの両立が私には無理。よく器用に出来るもんですね。

…しかし完璧にこなせてるかと言えばドコかに無理があるので、
少なからず周囲に煙草の灰が落ちる事になります。アレも私には
無理ですわ。車の中とかもっとキレイに保ってたいし。

話は脱線しますが、昨年に岐阜県内追突事故に遭った時も、
後ろのオッサンが「落とした煙草拾おうとして」と言うのが事故
の原因でした。…ほら、喫煙者にはこう言うリスクもあるじゃない。


大学生の時は掃除のバイトをやり、飲食店に就職した頃も
分煙に関する状況はそれほど変わってナイ時代です。

駅のホームには随所に灰皿がある(喫煙コーナーってもっと先
の話)のに吸い殻が落ちてるし、飲食店灰皿とマッチを用意
するのが当たり前でした。

就職して研修期間に、飲食店接客マナーに関するビデオを
見せられたんですが、その中で「食後の一服はお客様にとって
得難い時間です」みたいな下りがあったんですよ。

…要するに「そのタイミングを邪魔しないように気を配りましょう」
と言う事なんでしょうが、前近代的ですね。

まぁ煙そのものには耐えられるから、職場の先輩とか仲のいい
喫煙者同席するのは平気なのですが「ドコでも吸える思うな
と思うのと「非喫煙者煙草の世話(灰皿の交換など)をさせるな
と言う事で、やはりイイ印象持てませんでした。

…今はカナリ事情が違ってきたと思いますが。


当時に見た不思議な(呆れて逆に笑える)現象として「喫煙者
丸い金属製の物体を何でも灰皿だと思い込む」ってのがあります。

ちょっと高めの客単価の店舗で、ワインやシャンパンを冷やす
金属製のバケツ(のお洒落なやつ)がありますよね。

それをテーブルの外に置くための「脚」があったんですが、カラの
状態で置いてあったら灰皿にされた事があったんですよ。
イメージが湧かない方は「ワインクーラーの脚」で検索して下さい。

…確かに似たタイプの灰皿ってあるけどさ、そのタイプの灰皿には
白い砂利みたいなが入ってるのが常でしょ。

その頃に思い付いた持論
喫煙者は馬鹿とは言わないが、馬鹿は大抵が喫煙者。」
と言う物。…コレは概ね当たってると思います。


あと就職して思ったのが「喫煙者には『煙草休憩』と言う優遇
が存在するが、それは不公平だ。」と言う事。

こっちが何かの業務を頼もうとしても「コレ1本吸ったら行くわ」
みたいな、私にとっては不要な間が発生します。…さっさと動け
若しくはこっちにも「ネット閲覧休憩」とか同等の時間を寄越せ

喫煙者「煙草休憩」合計すると年間で何時間、生涯で何日
みたいな膨大な時間になる筈であり、それは生産性の低下にも
なってると言う研究結果も出てるそうな。

尤もコレは喫煙者個人と言うより日本の社会全体馬鹿だった
からなんでしょうが、段々と改善されてきたのはイイ事です。


総合すると「吸いたいヤツ吸えばいいが、私の生活領域煙草
関係の手間持ち込むな。」と言う感じでしょうか?
…恐らく以降の人生でも、その発想は変わらないと思われます。

煙草に関して今後の社会がドコまで変化するか、時々気に掛け
つつ観察して行く事にしましょう。

→次回に続く



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No.1435 ○○について考える