新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

駅ノート 南黒丸

2022/11/01(Tue)

さて能登半島駅ノート乱立エリアの報告ですが、3回目最終
地点となる南黒丸駅跡地に到着しましたクラ駅長です。

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集落から少し離れた田んぼの中線路が通ってたようで、線路跡
平行して普通車1台分の道幅な農道がありました。

線路があった頃は横断出来る箇所…踏切も限られてた事でしょうが
廃線後必要に応じて人が通るようで、土が踏み固められて自然に
道が出来ている箇所が幾つかあります。

…その1つからホーム跡へ上がれるようになってますので、ココから
駅跡を見に行ってみましょう。

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同駅能登線の他の駅と似たような感じで、簡素な待合室が1つ
あるだけの棒線構造の駅です。ただ開けた平地にあるので陽当たり
も良く、比較的乾燥してるのかカビなども少ない環境でした。

ココから更に山手の方向を見ると、新しいバイパス道路が通ってる
のが分かります。集落内の道路が昔の旧道なのでしょうが、道幅が
狭いので、珠洲方面へ向かう特急バスなどもバイパスを通ります。

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駅ノートは一連の物と同じく、なやはるるさんの設置による物です。
糸で綴じた物ではなくリング綴じなんですね。

…コレは画角をギリギリを攻めすぎるスキャナ使いにくいので、
注意して描く必要があるのですよ。

絵師さんの作品無くじょにーさん青クマさんシールがありました。
「到達難易度が高い」…かなあ?場所さえ正確に把握出来ればソレ
ほど険しい道でもナイような気もしますが。

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先程の農道には駐車スペース無かったので、改めて線路跡
反対側へ回ってみると、駅のホームへ至る進入路が残ってました。

かなり雑草に覆われていましたが、軽トラックは意外と車高が高い
ので難なく走って、駅前ギリギリの所まで付けます。

午後の気温が高い時間帯ですがイイ感じの木陰があったので、ココ
に車を駐めて荷台で描く事にしましょう。

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ネタとしては先述の通り、付近の景勝地として有名な見附島です。
…実際の最寄駅は隣の鵜飼ですが、今回はスルーなのでココで
描いておく事にしました。

国鉄時代急行「能登路」最終時期まで絵入りのヘッドマーク
を付けており、このデザインが見附島でしたね。

…ちなみに急行列車のヘッドマークについてですが、昭和30年代
から急行列車にも気動車や電車が使われるようになった当初は
当たり前だった物が、末期には合理化や何やでカナリ省略される
ようになってたんですよ。

しかし「金沢鉄道管理局ヘッドマークに対する拘りが強い」と
聞いた事があり、この急行「能登路」北陸本線系統の電車急行
だった「立山」「ゆのくに」「くずりゅう」も、確かに末期まで文字タイプ
のヘッドマークを出してた覚えがあります。

のろ一家は世代的にリアルタイムで知らないかも知れませんが、
取り敢えず再現してみたくなったのでしょう。

そんな感じで能登半島あと2箇所を残すのみとなりました。
今回はココで終わりますが、次回の旅完結する予定になります。
日程的に離れてますが、記事は続けて書く事にしましょう。

→次回に続く



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No.1311 駅ノートの記録

駅ノート(調査) 恋路

2022/10/31(Mon)

そんな感じで能登半島駅ノート乱立エリアですが、続いては既存
設置駅恋路にやって来ましたクラ駅長です。

ココは駅名に「恋」と言う字が含まれる事で、現役時代から「ロマン
チックな駅名」とか「恋愛成就の願いが叶う場所」と言う事で人気の
高い所であり、廃線後駅のホームなどが保存されています。

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また近年になって前後の線路を数百メートル、足漕ぎトロッコで走る
事が出来る「奥能登トロッコ鉄道」と言うアトラクションが運営されて
おり、駅ノートはソレも含めた感想用に置かれてた筈なのですが…

待合室内の元々置かれてた場所を見ても見当たらないし、その下
物入れも探したんですが、駅ノートありませんでした。…ペン
立てなどは物入れ内にあるから、盗まれたワケではないようです。

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恋路駅ノートに関しては設置者が判明しており、トロッコ鉄道共々
少し先の宗玄酒造と言う会社が管理しています。

…ココへ行って訊ねる事にしました。江戸時代から続く老舗の酒造
メーカーであり、能登線廃線後恋路駅から少し先のトンネル
譲り受けて、ココで製品を貯蔵している事でも知られています。

トンネル内と言うのは温度や湿度が年間を通じて殆ど変化しない
ので、日本酒の貯蔵に向いてるのだそうです。

店頭に居たお姉さんに訊くと、やはり感染症対策トロッコ鉄道
含めて休止中であり、駅ノートも一時的に引き上げてあるのだと
判明しました。

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正直に「以前に絵を描いた者です」と名乗ると話が早いのですよ。
奥の事務所から持ってきて下さったので、見せて頂きましょう

通常なら最新刊しか出されていないので複数冊一気に見る事は
不可能なのです。観光スポットでもあるので平時なら書き込みの
ペースも早く、すぐに代替わりしてしまうから有り難い事でした。

前回以降の変化としてじょにーさんゆっくまーシールがありました。

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コレの日付が昨年11月となってますので、
それ以降休止された事になりますが、
感染症対策をウルサく言い始めた頃とは
少しズレがあるような気もします。

「出しといた方がイイですか?」と言われた
ので「状況を知りたかっただけです。現状
のままで構いません」と答えておきました。

ココは既に2枚描いてますので、数合わせ
としてはあってもスルーする事になります。

…折角なので純米酒一番小さなサイズ
のを購入させて頂き、次へ向かいます。

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続いては南黒丸と言う駅になります。更に先には景勝地として有名
見附島(軍艦島)がありますね。

見附島の最寄り駅となる鵜飼以前に描いたので、今回は南黒丸
コレをネタにして描こうかな?と言う事で見に来たんですよ。

今年6月地震では島の一部が崩れたような話も聞いたんですが、
観光客目線では見た感じの変化あまりナイようにも見えました。

実際にはコノ後に昼食の海鮮丼を頂いたんですが、駅跡を探して
移動する事にしましょう。

→次回に続く



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No.1310 駅ノートの記録

駅ノート 松波

2022/10/28(Fri)

…ではのと鉄道廃線区間乱立エリア駅ノートの報告を進めて
参りますクラ駅長です。続いては松波です。

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同駅跡の周辺は小規模ながら学校商業施設が集まった地方都市
の感じになっており、現役時代交換設備を有する急行停車駅でも
あったようです。

隣の恋路駅の方がネームバリューがあるものの、同駅は夏場だけ
臨時(しかも無人)駅なので「恋路駅の入場券」松波で売られてた
事もよく知られていますね。

駅の裏山松波城と言う中世の山城になっており、一応は
公園として整備されてるらしく最寄りのバス停「松波城址公園口」
と言う名前でした。恐らく「松波駅前」だったのでしょう。

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駅前広場から一段高い場所駅跡がありますが、資料で見る限り
駅舎現役当時の物とはデザインが変わっており、廃線後に別の
用途に使うべくリフォームされたようです。

…しかし数年前から何度か来てるものの、私は駅舎が開いてる状況
見た事がナイのですよ。駅舎前雑草に覆われていました。

その駅舎の建物脇から線路跡へ入る事が出来ますが、こちらも雑草
だらけホームへの到達は困難なように見えます。…駅舎とは独立
した構造の島式ホームだったようですが。

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元の駅舎には「奥能登トリビア 松波城址資料館」と言う看板が
付いています。…閉まった入口から中を確認するに、その名の通り
松波城に関する資料などが展示されてるようです。

内部もキレイにリフォームされてるので、駅前の草刈りさえすれば
すぐに再開出来そうな勢いです。コロナ禍前から閉まってるので
単に人手不足とかそんな理由なのでしょう。

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駅舎入れずホームへの到達も困難と言う事か、駅ノートは駅前
バス停待合室内に置かれています。

路線バス北鉄系のが1時間に1往復程度の感じで来るのと、地元
コミュニティーバスも発着するようですが、路線図を見るに何れも
範囲がそれほど広くナイと言うか、概ね宇出津~珠洲ぐらいの区間
が多いように思われました。

車を持たない地元のお年寄り行動範囲その程度なのでしょう。

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ココは「駅前ノート」と言う事になりますが、じょにーさん青クマさん
シールが1点ありました。…そして何故か「鬼平犯科帳」コミック本
が一緒に置いてあります。

「鬼平」こと長谷川平蔵江戸中期実在した人物ですが、宣雄
宣以宣義と言う親子3代の人物の総称であり、時代劇に登場する
ヒーローのモデルになったのは2代目の宣以だとされています。

長谷川平蔵が務めた火付盗賊改方と言う役職は一般的な町奉行
とは異なり、特に凶悪な犯罪に対応する公安警察のような物で、
武芸の達者な家柄の者が選ばれたようです。

…てか松波城何の関係もナイんですが「折角だから」と言う事で
絵の中に入れてみました。いつも火事装束みたいな重装備なので、
コレが史実に沿った物なら夏場はさぞ暑かった事でしょう。

絵の背景簡単だったから2時間弱で仕上がりました。…コレまた
「折角なので」松波城址を少し見て、次の目的地へ向かいます。

→次回に続く



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No.1307 駅ノートの記録