与那原駅 軽便鉄道展示資料館
2020/02/27(Thu)
…さて沖縄ですが、那覇市内から約50分で与那原町に到着しました
クラ駅長です。
与那原は位置的には那覇市の東側にあり、翌日に行く予定にして
いる猫ヨシヨシ島のある南城市への通り道です。…しかし曜日の関係
で翌日が休館日と判明しておりますので前倒しにしました。
…また沖縄はバス路線が充実してるものの、複数の会社が入り乱れた
状態で路線が絡まっており(…という私のイメージ)一覧出来る路線図
がナイので、いまいち分かりにくかったんですよ。
今回の最初の目的地…ココで鉄道保存施設を1軒、見学させて頂きます。
大正時代から戦時中にかけて、沖縄にも軽便鉄道や路面電車が存在
しました。…このうちの軽便鉄道が沖縄県営鉄道と言う会社でして、
主な路線として那覇を中心に名護・糸満・与那原の3方面への路線
が存在しました。
しかし何れも戦争が激しくなると運行出来なくなり、1945年の3月頃に
休止され、戦後は米軍によって施設が破壊されたので、車両や遺構
は殆ど残っていません。
その与那原線の終着駅だったのがココ与那原駅なんですが、廃止後
は建物が町役場になり、更に農協の支店として2012年まで使われてた
のだそうです。
その農協の支店も流石に建物の老朽化で移転する事になって、同じ
場所に資料館として2014年に復元されたのが現在の建物だそうです。
…当時のデザインを元に復元されたと言う事ですから、昔からこんな
感じの駅舎だったのでしょう。戦前の沖縄だとコンクリート製の建物
自体がカナリ珍しかったんじゃナイですかね?
軽便鉄道と接続して、ココからは馬車鉄道の路線があったようです。
コレも戦争の激化で1945年には休止してしまうんですが、一般的な
馬車による運送業は存続したと見えて、その馭者らしきオッサンの
人形が出迎えてくれました。…無駄にリアルだな。
入館料は大人1人100円でした。入館券は切符サイズの大きさであり、
裏返すと当時の乗車券を再現したようなデザインになっています。
…紙の劣化なども再現された芸の細かい物であり、窓口付近に日付
の器械と鋏があって、駅員さんの体験?も出来るのだそうです。
館内には各種の写真や年表、そして戦後もドコかに残れさていたで
あろう書類や備品類が展示されていましたが、何れも写真は撮っても
イイけど無許可でのネット掲載は禁止だと言う事で掲載出来ません。
…駅と町の様子を再現したジオラマもあったんですが、1/150だから
Nゲージサイズではあるものの、軽便だから合うパーツが少なかった
のでしょう。殆どが手造りの感じでした。
雰囲気だけ絵に描いた物を、先日の記事の前説に出してますので、
ソレを御参照の上、見たい方は現地まで見に行って下さい。
建物外の施設は載せても大丈夫なので、駅舎の裏に回ってみます。
…ココにコンクリート製の柱の跡が9本残っております。
コレは戦争で破壊された駅舎が、戦後も修理されて使われていた
痕跡を残すために保存されている物なんだそうです。
沖縄は近代の戦争に於いて日本で唯一、地上戦が行われた土地
ですので、飛行機による爆撃だとは限らないですよね。
…戦後に米軍による占領が続いた影響で、鉄道施設も破壊されて
遂には復活しなかったワケですが、国鉄規格の鉄道じゃなく軽便
ですから、自動車が発達してくると仕事を取られてしまうでしょ。
他の地域のソレと同じように、戦争被害とは無関係でも現代まで
残らなかった可能性はあります。
現代の鉄道もモノレールしか無く、遺跡も殆ど残ってナイ沖縄に
あって、ココの施設はカナリ貴重な物だと思われます。…遠かった
けどコレだけでも見に来た価値はありましたわ。
気が付いたら16時半を過ぎてましたが、2月でも沖縄ではまだ明るい
時間帯なので、那覇市内へ戻りつつもぅ1箇所、保存車両を見に行く
事にします。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
クラ駅長です。
与那原は位置的には那覇市の東側にあり、翌日に行く予定にして
いる猫ヨシヨシ島のある南城市への通り道です。…しかし曜日の関係
で翌日が休館日と判明しておりますので前倒しにしました。
…また沖縄はバス路線が充実してるものの、複数の会社が入り乱れた
状態で路線が絡まっており(…という私のイメージ)一覧出来る路線図
がナイので、いまいち分かりにくかったんですよ。
今回の最初の目的地…ココで鉄道保存施設を1軒、見学させて頂きます。
大正時代から戦時中にかけて、沖縄にも軽便鉄道や路面電車が存在
しました。…このうちの軽便鉄道が沖縄県営鉄道と言う会社でして、
主な路線として那覇を中心に名護・糸満・与那原の3方面への路線
が存在しました。
しかし何れも戦争が激しくなると運行出来なくなり、1945年の3月頃に
休止され、戦後は米軍によって施設が破壊されたので、車両や遺構
は殆ど残っていません。
その与那原線の終着駅だったのがココ与那原駅なんですが、廃止後
は建物が町役場になり、更に農協の支店として2012年まで使われてた
のだそうです。
その農協の支店も流石に建物の老朽化で移転する事になって、同じ
場所に資料館として2014年に復元されたのが現在の建物だそうです。
…当時のデザインを元に復元されたと言う事ですから、昔からこんな
感じの駅舎だったのでしょう。戦前の沖縄だとコンクリート製の建物
自体がカナリ珍しかったんじゃナイですかね?
軽便鉄道と接続して、ココからは馬車鉄道の路線があったようです。
コレも戦争の激化で1945年には休止してしまうんですが、一般的な
馬車による運送業は存続したと見えて、その馭者らしきオッサンの
人形が出迎えてくれました。…無駄にリアルだな。
入館料は大人1人100円でした。入館券は切符サイズの大きさであり、
裏返すと当時の乗車券を再現したようなデザインになっています。
…紙の劣化なども再現された芸の細かい物であり、窓口付近に日付
の器械と鋏があって、駅員さんの体験?も出来るのだそうです。
館内には各種の写真や年表、そして戦後もドコかに残れさていたで
あろう書類や備品類が展示されていましたが、何れも写真は撮っても
イイけど無許可でのネット掲載は禁止だと言う事で掲載出来ません。
…駅と町の様子を再現したジオラマもあったんですが、1/150だから
Nゲージサイズではあるものの、軽便だから合うパーツが少なかった
のでしょう。殆どが手造りの感じでした。
雰囲気だけ絵に描いた物を、先日の記事の前説に出してますので、
ソレを御参照の上、見たい方は現地まで見に行って下さい。
建物外の施設は載せても大丈夫なので、駅舎の裏に回ってみます。
…ココにコンクリート製の柱の跡が9本残っております。
コレは戦争で破壊された駅舎が、戦後も修理されて使われていた
痕跡を残すために保存されている物なんだそうです。
沖縄は近代の戦争に於いて日本で唯一、地上戦が行われた土地
ですので、飛行機による爆撃だとは限らないですよね。
…戦後に米軍による占領が続いた影響で、鉄道施設も破壊されて
遂には復活しなかったワケですが、国鉄規格の鉄道じゃなく軽便
ですから、自動車が発達してくると仕事を取られてしまうでしょ。
他の地域のソレと同じように、戦争被害とは無関係でも現代まで
残らなかった可能性はあります。
現代の鉄道もモノレールしか無く、遺跡も殆ど残ってナイ沖縄に
あって、ココの施設はカナリ貴重な物だと思われます。…遠かった
けどコレだけでも見に来た価値はありましたわ。
気が付いたら16時半を過ぎてましたが、2月でも沖縄ではまだ明るい
時間帯なので、那覇市内へ戻りつつもぅ1箇所、保存車両を見に行く
事にします。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.333 鉄道保存施設を探る