那覇市 与儀公園のD51
2020/02/28(Fri)
さて沖縄ですが、与那原町の軽便鉄道資料館を見て、那覇市内まで
戻ってきましたクラ駅長です。
…流石の私も陸続きでナイ所は土地勘が全くナイので、カーナビを
頼りに走ってるワケですが、那覇市の寄宮という町にある与儀公園
という所が次の目的地です。
後で地図を見たら、国際通りにも近く予約してあるホテルまで約2km
と言う、カナリの中心部でした。…那覇という町は規模だけ見てると
奈良市よりはるかに都会ですね。
公園の入口に適当な表札が見当たらなくて、近くにあった交番で代用。
那覇警察署の本署にも近い所のようでした。
…そして入口には、沖縄らしく左右にシーサーが鎮座しております。
この公園には、D51型蒸気機関車の保存車があります。
…金網に囲まれた機関車だけ見てると、特に珍しくナイ風景ですが、
問題はココが国鉄とは無縁な沖縄であるという事。
どんな理由でココに蒸気機関車が保存される事になったんでしょう?
詳細は後で述べるとして、先に細部から見て行きましょう。
D51型のうち製造番号はゾロ目の222号機です。…いわゆる「標準型」
に分類される量産タイプですが、1000両以上の大所帯だったD51型の
中では初期のグループかも知れません。
雨ざらしなのでカナリ傷んでますが塗装は時々直されるのか、まだ
塗り直されて間もない印象でした。そして傷んだ部分は鉄板などを
貼り替えるらしく、随所に補修の跡が見られます。
…給水温め器が中心からズレてる気がするのはソノためでしょう。
てか、ヘッドライトにハマってるのは自動車のホイールじゃないの?
なかなかイイ代用品を見つけたもんだと思います。
プレートの類が盗まれずに残ってるのは珍しいと言うか、やはり沖縄
って鉄ヲタの人口が少ないのかな?とか思ったりもしました。
説明書きによると最後は日豊本線の延岡機関区の所属だったようで、
[延]という区名札が付いています。…てかコレも、差し替えるタイプ
ではナイ厚みのあるプレートなんですよ。
そしてソノ説明書きを読むと、この機関車がココに保存される事に
なった経緯が書かれています。…昭和47年の本土復帰で、九州を
訪れた沖縄の子供たちへの贈り物だったようですね。
カナリ巨大なプレゼントですが、当時は蒸気機関車の引退時期でも
あって、機関車そのものを贈る事は難しくなかったと思われますが、
問題は輸送費と方法でしょう。
…寄付を募って、当時の お金で1,400万円が集まったそうな。当然に
船で運ぶんでしょうが、鹿児島からでも600kmはあるんですな。
そんな苦労の賜物であるからなのか、今でも土地の人たちに大切に
扱われてる感じが伺い取る事が出来ました。
炭水車もテールランプは欠損してますが、キレイに塗り直されています。
…てか途中から気になってたんですが、左の画像のキャブの近くに猫
が居ますでしょ?何匹かがコノ機関車に住んでるらしく矢鱈と出入り
してるんですよ。その他にも公園内にソコソコの数が居ますので…
折角ですから与儀公園でも「臨時 猫ヨシヨシ」と参りましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
戻ってきましたクラ駅長です。
…流石の私も陸続きでナイ所は土地勘が全くナイので、カーナビを
頼りに走ってるワケですが、那覇市の寄宮という町にある与儀公園
という所が次の目的地です。
後で地図を見たら、国際通りにも近く予約してあるホテルまで約2km
と言う、カナリの中心部でした。…那覇という町は規模だけ見てると
奈良市よりはるかに都会ですね。
公園の入口に適当な表札が見当たらなくて、近くにあった交番で代用。
那覇警察署の本署にも近い所のようでした。
…そして入口には、沖縄らしく左右にシーサーが鎮座しております。
この公園には、D51型蒸気機関車の保存車があります。
…金網に囲まれた機関車だけ見てると、特に珍しくナイ風景ですが、
問題はココが国鉄とは無縁な沖縄であるという事。
どんな理由でココに蒸気機関車が保存される事になったんでしょう?
詳細は後で述べるとして、先に細部から見て行きましょう。
D51型のうち製造番号はゾロ目の222号機です。…いわゆる「標準型」
に分類される量産タイプですが、1000両以上の大所帯だったD51型の
中では初期のグループかも知れません。
雨ざらしなのでカナリ傷んでますが塗装は時々直されるのか、まだ
塗り直されて間もない印象でした。そして傷んだ部分は鉄板などを
貼り替えるらしく、随所に補修の跡が見られます。
…給水温め器が中心からズレてる気がするのはソノためでしょう。
てか、ヘッドライトにハマってるのは自動車のホイールじゃないの?
なかなかイイ代用品を見つけたもんだと思います。
プレートの類が盗まれずに残ってるのは珍しいと言うか、やはり沖縄
って鉄ヲタの人口が少ないのかな?とか思ったりもしました。
説明書きによると最後は日豊本線の延岡機関区の所属だったようで、
[延]という区名札が付いています。…てかコレも、差し替えるタイプ
ではナイ厚みのあるプレートなんですよ。
そしてソノ説明書きを読むと、この機関車がココに保存される事に
なった経緯が書かれています。…昭和47年の本土復帰で、九州を
訪れた沖縄の子供たちへの贈り物だったようですね。
カナリ巨大なプレゼントですが、当時は蒸気機関車の引退時期でも
あって、機関車そのものを贈る事は難しくなかったと思われますが、
問題は輸送費と方法でしょう。
…寄付を募って、当時の お金で1,400万円が集まったそうな。当然に
船で運ぶんでしょうが、鹿児島からでも600kmはあるんですな。
そんな苦労の賜物であるからなのか、今でも土地の人たちに大切に
扱われてる感じが伺い取る事が出来ました。
炭水車もテールランプは欠損してますが、キレイに塗り直されています。
…てか途中から気になってたんですが、左の画像のキャブの近くに猫
が居ますでしょ?何匹かがコノ機関車に住んでるらしく矢鱈と出入り
してるんですよ。その他にも公園内にソコソコの数が居ますので…
折角ですから与儀公園でも「臨時 猫ヨシヨシ」と参りましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.334 鉄道保存施設を探る