駅ノート 吉原本町
2020/04/07(Tue)
さて岳南電車ですが、今回は駅ノートを描くので先ずは吉原本町駅に
降りましたクラ駅長です。
吉原は古くから東海道の宿場町の1つであり、同駅も町の中心部の
商店街の近くにあります。…鉄道模型だとBトレの小さなレイアウトや
寸景を切り取った動かせないジオラマに出てきそうな雰囲気です。
駅舎に付随して「まちの駅」と言う小さなコミュニティ施設があって、
駅ノートはココに置かれてると聞いてきました。
「まちの駅」は地域の観光や地場産業の振興の拠点となる場所をネット
ワークで繋げて土地の活性化を試みる取り組みとして、全国的に展開
されてる活動の1つだとの事で、ココ富士市でも幾つかの「まちの駅」が
存在します。
ココは岳南電車の駅なので、小さな資料館になってるらしく「ほんちょう
えき岳鉄プラザ」が正式名称なんでしょうか?
資料館なので開館時間が決まっており、朝は9:30から。…なので余り
早く来すぎても開いてナイですから、ソレがJRを回ってきた理由の1つ
でもありました。
ソレほど大きくない縦長の駅舎のうち、半分ぐらいが「まちの駅」に充て
られてるようです。元は何か駅の施設だったと思われますが。
壁の向こうは今でも駅務室であり、そっちは板張りなのか駅員さんの
靴音がよく響きます。「何か言いに来た?」と緊張させられるのが難点。
お約束の備品や車両写真の他、地域の子供たちが描いたメッセージ
付きの絵などもありますね。
変わった所では貨物列車があった頃の資料として、当時の発着日報
なんてのもあります。…岳南からの積荷は主に紙製品でしょう。
行先は梅田(大阪)や梅小路(京都)が多い感じかな?
テレビのロケなどで岳南電車を訪れたらしい有名人のサイン色紙も
飾ってありますが、有名人なのに誰も気付いてくれない哀れなオッサン
のサインが駅ノートに残っていました。…はい、ヨコミ氏ですね。
① 相変わらず何をどうサイン化したのかよく分からないサイン。
② ライターとは思えない汚い字&「取材で来た」と言う「仕方ない」感。
③ 「富士山が見えない」とかマイナスな事を書く無神経さ。
…この人が大成しない理由がよく分かりますわ。折角なので同じページ
に私なりの感想を書いてやりました。まだ生きてるんでしょうか?
そんな駅ノートはバックナンバーを含めて3冊ありました。
…現地では気付かなかったのですが、7年前のブログを見直すと2冊目
のピンク色のやつは、電車内に吊るしてあった事になってます。
当時はノートに絵を描こうなどと発想すらしなかったワケですが、乗った
記念に一言だけ書いた事になってるから、ソレも残ってる筈です。
…ざっと見たけど全く気が付きませんでしたわ。
作品の方は、Twitterでよく見る絵師さんの物は少なく、S.nagataさんの
が 一点、そしてyasu.Sさんと言うのか、同じ方の絵が複数枚ありました。
この方は初めて見たのですが、地元の方かもしれません。
ゆっくまー関係はFUKさんが進出してるようです。
私のは、先程のノスタルジーな改札付近にして、買い物ついでにお父さん
を迎えに来た家族の感じ。…でもてんはガチャガチャに気を取られてのろ
に気付いてないの。「子供あるある」でしょ。
描き終えたらお昼前になってましたが、今回はあと1駅描いて帰らないと
いけませんので、昼食は我慢して次の駅へと向かいます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
降りましたクラ駅長です。
吉原は古くから東海道の宿場町の1つであり、同駅も町の中心部の
商店街の近くにあります。…鉄道模型だとBトレの小さなレイアウトや
寸景を切り取った動かせないジオラマに出てきそうな雰囲気です。
駅舎に付随して「まちの駅」と言う小さなコミュニティ施設があって、
駅ノートはココに置かれてると聞いてきました。
「まちの駅」は地域の観光や地場産業の振興の拠点となる場所をネット
ワークで繋げて土地の活性化を試みる取り組みとして、全国的に展開
されてる活動の1つだとの事で、ココ富士市でも幾つかの「まちの駅」が
存在します。
ココは岳南電車の駅なので、小さな資料館になってるらしく「ほんちょう
えき岳鉄プラザ」が正式名称なんでしょうか?
資料館なので開館時間が決まっており、朝は9:30から。…なので余り
早く来すぎても開いてナイですから、ソレがJRを回ってきた理由の1つ
でもありました。
ソレほど大きくない縦長の駅舎のうち、半分ぐらいが「まちの駅」に充て
られてるようです。元は何か駅の施設だったと思われますが。
壁の向こうは今でも駅務室であり、そっちは板張りなのか駅員さんの
靴音がよく響きます。「何か言いに来た?」と緊張させられるのが難点。
お約束の備品や車両写真の他、地域の子供たちが描いたメッセージ
付きの絵などもありますね。
変わった所では貨物列車があった頃の資料として、当時の発着日報
なんてのもあります。…岳南からの積荷は主に紙製品でしょう。
行先は梅田(大阪)や梅小路(京都)が多い感じかな?
テレビのロケなどで岳南電車を訪れたらしい有名人のサイン色紙も
飾ってありますが、有名人なのに誰も気付いてくれない哀れなオッサン
のサインが駅ノートに残っていました。…はい、ヨコミ氏ですね。
① 相変わらず何をどうサイン化したのかよく分からないサイン。
② ライターとは思えない汚い字&「取材で来た」と言う「仕方ない」感。
③ 「富士山が見えない」とかマイナスな事を書く無神経さ。
…この人が大成しない理由がよく分かりますわ。折角なので同じページ
に私なりの感想を書いてやりました。まだ生きてるんでしょうか?
そんな駅ノートはバックナンバーを含めて3冊ありました。
…現地では気付かなかったのですが、7年前のブログを見直すと2冊目
のピンク色のやつは、電車内に吊るしてあった事になってます。
当時はノートに絵を描こうなどと発想すらしなかったワケですが、乗った
記念に一言だけ書いた事になってるから、ソレも残ってる筈です。
…ざっと見たけど全く気が付きませんでしたわ。
作品の方は、Twitterでよく見る絵師さんの物は少なく、S.nagataさんの
が 一点、そしてyasu.Sさんと言うのか、同じ方の絵が複数枚ありました。
この方は初めて見たのですが、地元の方かもしれません。
ゆっくまー関係はFUKさんが進出してるようです。
私のは、先程のノスタルジーな改札付近にして、買い物ついでにお父さん
を迎えに来た家族の感じ。…でもてんはガチャガチャに気を取られてのろ
に気付いてないの。「子供あるある」でしょ。
描き終えたらお昼前になってましたが、今回はあと1駅描いて帰らないと
いけませんので、昼食は我慢して次の駅へと向かいます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.373 駅ノートの記録