新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

大阪臨港線を探る ①

2020/06/07(Sun)

さて大阪市内廃線跡ですが、続いては新今宮から大阪環状線
外回り電車に乗って西へ向かいましたクラ駅長です。


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大正駅を過ぎて右に大きくカーブし、弁天町駅に着く手前の所に、
線路の間隔不自然に広がって外回り線高く持ち上がる箇所が
あります。過去貨物線が分岐していた境川信号場ですね。

貨物線上下線の間に割り込んでくる線形なので、外回り線を高くした
構造になってるワケですが、2006年までココにあった大阪臨港線です。

境川信号場「電車でGo2」にもソノ表記単機のDD51が停まってる
シーンが出てきますので、ソレで覚えてる方も多いと思いますが。

…と言う事で、次はコノ大阪臨港線跡地を探ってみましょう。

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鉄道黎明期明治時代は、湊町駅(現在の
JR難波駅)が関西本線始発駅であり、
今宮から西へ向かう部分は大阪港へ至る
貨物線でした。

…それが1961年大阪環状線全通して
旅客化された際、境川信号場からの貨物線
は同線の支線として残る事になりました。

最盛期には浪速貨物駅から2方向に分岐
して大阪港まで線路が存在しましたが、
その後、規模が縮小して末期には浪速駅
までの2.3kmが残ってたそうです。

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と言う事で大阪環状線弁天町で降りまして、ココから廃線跡を探し
つつあるいてみる事にしましょう。

跡地と言えば、は以前に大阪交通科学館があった駅前の一角
ですが、全てが京都の鉄道博物館引っ越して以降は完全に更地
となり、現在はコインパーキングがあるだけですね。

ココに限った話ではありませんが、土地が空いたからと言って、すぐに
「次の何かを造ろう」とは行かない御時勢のようです。

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そんな感じで、まずは大阪環状線から大阪臨港線が分岐していた
境川信号場付近まで行ってみました。左の画像奥手に見えるの
大阪環状線、手前が臨港線が通っていた鉄橋の橋台跡です。

廃止から十数年と言う事で比較的新しい方なのでしょう。非常時の
連絡先などを記したプレートが残っています。

貨物線だから所有者JR貨物になる筈ですが、連絡先として記して
あるのは「西日本旅客鉄道株式会社」JR西日本なんですね。実際の
施設の管理はそちらに委託されてたとか、そんな事情かも知れません。

しかし低いですね。目測ですが乗用車は通れてもワゴン車は無理

で、現在は橋台だけが残るコレに車をぶつけてしまった場合、ココに
ある連絡先に電話するとどうなるのか?…が気になりました。
「あ、そうですか。」済まされる可能性もあるような気がするぞ。

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ソレほど高い築堤ではナイので、頑張って登ってみましょう
奥手の丸っこい建造物京セラドーム大阪です。
 
ズボンの裾植物の種(関西でよく言うひっつき虫)だらけになり
ましたが、廃線以降もカナリ長らく線路が残ってて、私も何となく覚えて
います。てか詳しく知らずに見てた記憶はありますよ。

廃線跡はココから西の方向へ向かうワケですが、段々と下り勾配
なっており、もう少し行くと完全に地上へ降りるような感じですね。

→次回に続く



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No.434 鉄道廃線跡を探る