大阪臨港線を探る ④
2020/06/10(Wed)
…ある日の仕事中、私の携帯電話に
全く知らない所からメールが送られて
きましたクラ駅長です。
名前は書いてナイわ内容も漠然と
してるわで誰だか全く分からず、
まずは「どちら様でしょうか?」と
聞き返してみたのですが、やはり
全く分かりません。…私は小暮じゃ
ないし小杉と言う人も知らんし。
何度か遣り取りして、結果的に向こうは「人違いでした」と言うのですが
電話番号ならイザ知らず、メールアドレスみたいな複雑な文字列を入力
ミスして、ソレがたまたま別人に届く可能性なんてあるんですかね?
ソノ辺の謎が大いに気になるのですが、面倒なのでソレ以上の詮索は
ヤメてしまいました。…何かの悪意(詐欺とか)でも無さそうだし、コレって
何だったんでしょう?
さて大阪臨港線の廃線跡を探る旅ですが、つい最近まで運河に掛かる
ガーター鉄橋が残っていた地点に来ております。
Twitterなどに上がってる情報を総合すると去年の秋頃から橋桁の
撤去が始まり、残っていた橋脚も最近になって壊されたようですね。
…Googleの航空写真やストリートビューって、場所によっては何年も
前の物が表示されるので、今でもあるかのように錯覚してましたが。
廃線跡が堤防に掛かる部分は防潮扉になってました。コレは元々、
同線が現役の頃から同じ場所に存在したようです。
そして運河に沿った道路を挟んだ地点は運送会社の倉庫になった
ようです。…ココは比較的早くに転用されたらしく、何年か前の情報
サイトにも出てきてました。
その先が今回の廃線跡巡りの終点となる浪速貨物駅の跡地です。
開業は1928年の事ですが、実際の終着駅は更に先の大阪港駅(現在
の地下鉄中央線の同名の駅とは別)であり、浪速駅は貨物取扱駅と
言うより仕分けヤードのような性格が大きかった所だと思われます。
跡地は大阪シティバス(旧大阪市営バス)の研修所や佐川急便の
営業所になってますが、最末期のJR貨物の看板が残ってました。
…単なる外し忘れか、書類上の何かが残ってるのかは不明です。
バス会社の研修所って事で、恐らくは実車を持ち込んでの技能教習
もあるのでしょう。道路から見える位置に大型車サイズの鋭角コース
がありますね。
そして先述の通り、開業時にまずココから更に南下して大阪港(現在の
海遊館付近)までの線路が作られました。
そして1956年に浪速駅の先で分岐して大阪東港駅(現在の阪神高速
天保山JCT付近)に至る路線(通称 大阪東港線)が追加され、浪速駅
で貨車の集約作業が行われていたと思われます。
大阪港駅までの間にある運河は、大きな船が通れるように昇開橋が
架けられていたそうな。 右の地点がソノ分岐点付近だと思われ、現在
も同じ形で道路が分岐しています。
大阪港駅と大阪東港駅は共に1986年に廃止され、殊に大阪港駅周辺
は大きく再開発が成されたので面影は殆ど残ってナイでしょう。
そんな感じで大阪臨港線を探る旅はココまでとして、奈良へ帰ります。
廃線跡に近い道路はJR難波方面へ行くバス路線ですが、本数が
少ないので都合よく走って来ず、少し遠いけど地下鉄の大阪港駅
まで歩きます(地下鉄とは言ってもコノ辺は高架線上を走ってる)。
…思えば社会人として就職して、最初に配属された職場がココの近く
(天保山マーケットプレイス)だったので、何年間か通った駅です。
ソレが1996年頃の事なので浪速駅から先の貨物線は既に廃止されて
おり、加えて鉄道趣味から遠ざかってた時期なので、廃線区間の存在
なんか考えた事も無かったですね。
と言う事で同日に2本、大阪市内の廃線跡を効率よく回れた1日でした。
…そして記事を書くに当たって色々と調べてるうち、阪堺電車の今池
から分岐して平野方面へ走ってた廃線跡(南海平野線)の存在を発見
してしまいました。 コレはまた後日、探りに行く必要が出来ましたね。
まだまだ遠出をすると(した事を大っぴらに語ると)叩かれそうな御時勢、
近場の廃線跡は有り難いネタ材料です。
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No.437 鉄道廃線跡を探る