野上電鉄を探る ③
2020/06/21(Sun)
さて野上電鉄の廃線跡を探る旅ですが、JRの海南駅前から廃線跡を
転用した「健康ロード」を自転車で走っておりますクラ駅長です。
起点から1kmの地点にある「春日前広場」と言う地点に到着しました。
…先述の通り、この区間にある「○○広場」は全て元の駅跡です。
だからココはソノ名の通り「春日前」と言う駅だった事になりますね。
駅名票に似せた看板と地図があります。
近くに壁画がありますが、描かれている車両は1924年製のモハ20型
…24号車だと思われます。元は阪神の車両ですが、廃止時の1994年
まで使用されていました。
前面が丸くなった5枚窓の特異なデザインの車両で、この絵のように
クリーム色とオレンジ色のツートンカラーが同社の基本的な塗装です。
…しかし最末期には広告収入のためかチョコレート菓子の広告塗装
になっており、赤と白のド派手な色使いに商品のロゴがドーンと。
旧型の電車に似合わない事コノ上ありませんよね。当時から現在の
ようなラッピングの技術があったのか分からないのですが、どうも
コレが嫌で乗りに行かなかった記憶がありますよ。
花壇のように嵩上げした緑地帯や休憩用のベンチを備えた東屋が
ありました。緑地帯の段差はプラットホームのようにも見えますが、
コレは後から作られた物でしょう。
この付近を含めた同社の路線は、総じて「高野西街道」と呼ばれる
道路…国道370号線と平行しています。
左の画像で、手前の茶色い色が付けられてる部分が廃線跡。
ソノすぐ奥手が高野西街道で、ソノ名の通り延々と東へ走って行けば
高野山に至ります。
そして近くに学校がありました。和歌山県立海南高校です。
海南駅の東口から同校の校門まで1.2kmなので、高校生なら歩いて
通える距離でしょう。…しかし1駅だけ、旧型電車だらけのローカル
私鉄に乗れる環境だとすればどうでしょうね?
私がココの生徒なら、帰りに時間を合わせて乗って連絡口駅まで
乗ってみるとか、ヒマ潰しに終点の登山口駅まで行くとか、絶対に
やりそうな気がします。…てか現役当時なら現実に居たでしょ。
そんな事を考えつつ、次は元は幡川駅だった「幡川広場」です。
ココにある壁画の絵はデ10型…元は富山地鉄の車両だそうな。
鉄道線も充実してる筈の富山地鉄なのに、このデ10型は何と、元は
路面電車だそうで、ステップ部分を切り落として使ってたようですね。
…福井鉄道辺りへ行くと「その逆」も存在したりするワケですが、
鉄道車両の適材適所って意外と難しいのかも知れません。
まぁ廃車と中古車の需要と供給と言うのか、タイミングの問題かな。
ココは「駅の跡」と言う雰囲気はあまり無く、アスレチック運動も出来る
遊具などが備え付けられています。…そしてすぐ裏手は、先程と同じ
感じで高野西街道が並走しておりました。
…コレだけ道路が近いと、自動車が増えたらローカル私鉄は不利に
なって当たり前か。そして1993年に国の補助金が打ち切られたのが
廃止の決定打になってしまったようですね。
ともあれ廃線跡の旅はまだまだ続きます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
転用した「健康ロード」を自転車で走っておりますクラ駅長です。
起点から1kmの地点にある「春日前広場」と言う地点に到着しました。
…先述の通り、この区間にある「○○広場」は全て元の駅跡です。
だからココはソノ名の通り「春日前」と言う駅だった事になりますね。
駅名票に似せた看板と地図があります。
近くに壁画がありますが、描かれている車両は1924年製のモハ20型
…24号車だと思われます。元は阪神の車両ですが、廃止時の1994年
まで使用されていました。
前面が丸くなった5枚窓の特異なデザインの車両で、この絵のように
クリーム色とオレンジ色のツートンカラーが同社の基本的な塗装です。
…しかし最末期には広告収入のためかチョコレート菓子の広告塗装
になっており、赤と白のド派手な色使いに商品のロゴがドーンと。
旧型の電車に似合わない事コノ上ありませんよね。当時から現在の
ようなラッピングの技術があったのか分からないのですが、どうも
コレが嫌で乗りに行かなかった記憶がありますよ。
花壇のように嵩上げした緑地帯や休憩用のベンチを備えた東屋が
ありました。緑地帯の段差はプラットホームのようにも見えますが、
コレは後から作られた物でしょう。
この付近を含めた同社の路線は、総じて「高野西街道」と呼ばれる
道路…国道370号線と平行しています。
左の画像で、手前の茶色い色が付けられてる部分が廃線跡。
ソノすぐ奥手が高野西街道で、ソノ名の通り延々と東へ走って行けば
高野山に至ります。
そして近くに学校がありました。和歌山県立海南高校です。
海南駅の東口から同校の校門まで1.2kmなので、高校生なら歩いて
通える距離でしょう。…しかし1駅だけ、旧型電車だらけのローカル
私鉄に乗れる環境だとすればどうでしょうね?
私がココの生徒なら、帰りに時間を合わせて乗って連絡口駅まで
乗ってみるとか、ヒマ潰しに終点の登山口駅まで行くとか、絶対に
やりそうな気がします。…てか現役当時なら現実に居たでしょ。
そんな事を考えつつ、次は元は幡川駅だった「幡川広場」です。
ココにある壁画の絵はデ10型…元は富山地鉄の車両だそうな。
鉄道線も充実してる筈の富山地鉄なのに、このデ10型は何と、元は
路面電車だそうで、ステップ部分を切り落として使ってたようですね。
…福井鉄道辺りへ行くと「その逆」も存在したりするワケですが、
鉄道車両の適材適所って意外と難しいのかも知れません。
まぁ廃車と中古車の需要と供給と言うのか、タイミングの問題かな。
ココは「駅の跡」と言う雰囲気はあまり無く、アスレチック運動も出来る
遊具などが備え付けられています。…そしてすぐ裏手は、先程と同じ
感じで高野西街道が並走しておりました。
…コレだけ道路が近いと、自動車が増えたらローカル私鉄は不利に
なって当たり前か。そして1993年に国の補助金が打ち切られたのが
廃止の決定打になってしまったようですね。
ともあれ廃線跡の旅はまだまだ続きます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.448 鉄道廃線跡を探る