南海平野線を探る ②
2020/07/12(Sun)
さて南海平野線の跡地を探る旅ですが、堺筋を渡って線路があった
位置と同じ形でカーブした路地を歩いてきましたクラ駅長です。
この付近に平野線では最初の駅となる飛田駅があったようです。
…駅とは言っても路面電車の軌道区間ですから、低いホームの電停
に近いようなスタイルだったと思われますが。
廃線跡らしき土地はフェンスで囲まれており、何故か畑になってました。
…天王寺支線の時もそうでしたが、この周辺では時々出てきますね。
茄子やゴーヤなどが植えられてましたよ。
ココから廃線跡は東へ向かいます。…西を振り返ると、現在も残る
阪堺線の踏切が見えました。踏切を挟んで今船駅がある筈ですよ。
暫く行くと登り坂になりました。…川を跨いでるとかではなく土地の
高低差(上町台地)による物のようですが、道路脇の電柱が何となく
鉄道の架線柱に見えますよね。
…と思ったらやっぱり正解だったようです。南海電鉄の社紋が入った
番号札が付けられていました。日付は「昭.32.6」となってます。
こう言う物を見つけるのも、廃線跡巡りの楽しみの1つなんですよ。
頭上に被さってくる道路は阪神高速の14号松原線です。
…先で西名阪自動車道と繋がってるので、奈良県中部から大阪へ
出る場合の定番ルートであり、私も何度も走ってる道でですわ。
廃線跡は暫く、この14号松原線に沿って走る事になります。
そのまま進むと、あべの筋と交差する阿倍野交差点に至ります。
ココにも阪堺電車の上町線が今でも残っていますね。
北へ500mほど行くと上町線の始発駅である天王寺駅前なのですが、
平野線は阪堺線の恵美須町から先程の今池を経由してくる系統と、
天王寺駅前からココで東へ曲がる系統の2種類があったようです。
交差点から北側を見ると、現在はあべのハルカスが目立つコノ通り
ですが、古代には熊野詣のための街道だったようで、交差点付近に
説明書きの看板がありました。
…後鳥羽上皇は生涯に25度も熊野詣に出掛けた?
この人は60歳まで生きてますが、平均すると2年半に一度のペースか。
京都から例えば熊野本宮まで片道250kmほどの道程になるとして、
何日掛かるんですかね。殆ど仕事してなかったんじゃないのかな?
…話を廃線跡に戻しますが、交差点付近に南海電鉄の社紋が入った
土地境界のマーカー(正式名称を知らない)が幾つかありました。
廃線から40年が経過してるワケですが、まだ所有地があるのかしら?
平野線の阿倍野電停は、交差点の東側にあったそうですが、流石に
ソレらしい痕跡は確認出来ませんでした。
ともあれココから更に東へ向かって、廃線跡巡りの旅は続きます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
位置と同じ形でカーブした路地を歩いてきましたクラ駅長です。
この付近に平野線では最初の駅となる飛田駅があったようです。
…駅とは言っても路面電車の軌道区間ですから、低いホームの電停
に近いようなスタイルだったと思われますが。
廃線跡らしき土地はフェンスで囲まれており、何故か畑になってました。
…天王寺支線の時もそうでしたが、この周辺では時々出てきますね。
茄子やゴーヤなどが植えられてましたよ。
ココから廃線跡は東へ向かいます。…西を振り返ると、現在も残る
阪堺線の踏切が見えました。踏切を挟んで今船駅がある筈ですよ。
暫く行くと登り坂になりました。…川を跨いでるとかではなく土地の
高低差(上町台地)による物のようですが、道路脇の電柱が何となく
鉄道の架線柱に見えますよね。
…と思ったらやっぱり正解だったようです。南海電鉄の社紋が入った
番号札が付けられていました。日付は「昭.32.6」となってます。
こう言う物を見つけるのも、廃線跡巡りの楽しみの1つなんですよ。
頭上に被さってくる道路は阪神高速の14号松原線です。
…先で西名阪自動車道と繋がってるので、奈良県中部から大阪へ
出る場合の定番ルートであり、私も何度も走ってる道でですわ。
廃線跡は暫く、この14号松原線に沿って走る事になります。
そのまま進むと、あべの筋と交差する阿倍野交差点に至ります。
ココにも阪堺電車の上町線が今でも残っていますね。
北へ500mほど行くと上町線の始発駅である天王寺駅前なのですが、
平野線は阪堺線の恵美須町から先程の今池を経由してくる系統と、
天王寺駅前からココで東へ曲がる系統の2種類があったようです。
交差点から北側を見ると、現在はあべのハルカスが目立つコノ通り
ですが、古代には熊野詣のための街道だったようで、交差点付近に
説明書きの看板がありました。
…後鳥羽上皇は生涯に25度も熊野詣に出掛けた?
この人は60歳まで生きてますが、平均すると2年半に一度のペースか。
京都から例えば熊野本宮まで片道250kmほどの道程になるとして、
何日掛かるんですかね。殆ど仕事してなかったんじゃないのかな?
…話を廃線跡に戻しますが、交差点付近に南海電鉄の社紋が入った
土地境界のマーカー(正式名称を知らない)が幾つかありました。
廃線から40年が経過してるワケですが、まだ所有地があるのかしら?
平野線の阿倍野電停は、交差点の東側にあったそうですが、流石に
ソレらしい痕跡は確認出来ませんでした。
ともあれココから更に東へ向かって、廃線跡巡りの旅は続きます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.469 鉄道廃線跡を探る