南海平野線を探る ⑤
2020/07/15(Wed)
…ココ最近のあまりの蒸し暑さに耐えかねて、10年振りぐらいにアタマ
を短かく刈りましたクラ駅長です。
今の仕事に転職し、木村鉄道や駅ノート絡みの趣味を始めてからは
初の事なので、初めて見る方も多いかも知れません。
コレは決して自慢ではナイのですが、私の髪ってのはコノ歳になっても
減る事がなく(額は後退しましたが)密度が濃くて夏場は暑いのです。
そのくせ結構な本数が抜けるらしく、部屋が散らかって困るの。
要するに細胞の働きが活発で、減ってもすぐ補充されるんでしょう。
…年相応に減ってくれても構わないのですが。
そんな事情もあって久し振りに思い立ったワケですが、私の後頭部は
頭皮がシワになって波打ってる箇所があり、短かくすると山と谷で密度
に差が生じ、天然のトラ狩り状態になるんですよ。
…タクシーってのはお客に後頭部を見せっ放しの仕事ですが、ハイヤー
仕様車はヘッドレストが大きいので何とか隠れてますけどね。
このまま続けるか、秋以降は元に戻すかはまだ決めてません。しかし
将来的にはコレで固定→丸坊主にする予定です。
さて南海平野線の跡地を探る旅ですが、続いては地下鉄谷町線にも
同名の駅がある田辺駅周辺にやって来ました。
…高架(阪神高速)の下に駅の入口があるから、知らない人が左の
カットだけ見たら地下鉄の駅だとは思わないでしょう。羽沢横浜国大
以上の紛らわしさです。
ちなみにココの田辺駅ってのは地下鉄谷町線と、ソノ前に同じルート
を走ってた南海平野線の駅名ですが、近くの近鉄南大阪線に北田辺、
JR阪和線に南田辺の各駅が存在します。
当然に南北の田辺駅は南海平野線より後に開業しました。相互間の
距離は少し離れており、3路線とも乗ってれば天王寺(又は阿部野橋)
に着くから、ココで乗り換えてる人は少ないと思われます。
付近の交差点に、周辺の町の歴史を解説した説明書きがありました。
この近くに存在した南海平野線の駅もイラストで紹介されています。
「昭和14年頃」とあるので末期とは形態が異なってた可能性もあり
ますが、駅舎があるから有人駅だったのでしょう。そして僅かながら
ココで折り返す運用があり、渡り線が設置されてたそうな。
…実際の写真はナイものか?と「田辺駅」で検索したら紀伊田辺駅に
関する物ばっかり出てくるし、「田辺電停」だと高知のとさでん交通に
ある田辺島通という電停が出てきます。…まぁ仕方ありませんね。
その田辺電停は、現在の田辺駅より少し南東方向にあったようで、
商店街との交差点を挟んで千鳥式のホーム配置だったそうな。
…左の画像の位置だと思われますが、鉄道の痕跡は見当たりません。
コレまたWikipediaによると付近の飲食店などは当時(とは言っても
末期の昭和50年代でしょう)のままの感じで残ってるそうです。
で、左端に写ってる喫茶店をよく見てみたら…
当時の物と思われる駅の案内標が置いてありました!
…恐らくは廃止になる時に記念に貰ったとか、そう言う類の物だと
思われますが、コレはどこのサイトにも見当たらない私の発見です。
前に朝顔と思しき植物のプランターがあるから、もう少し育ってたら
葉っぱで覆われて見えなくなる所でしたね。…例によってこの喫茶店
で事情を訊けば良さそうな所ですが、面倒なのでカットします。
また付近には「N」の文字が入ったコンクリート製の杭が幾つかあり、
コレも南海電車の土地だった事を示す痕跡だそうですよ。
…廃止が昭和55年だから私は8歳ぐらいであり、なかなか味のある
路線なのに存在自体を全く知らなかったのが残念な物件ですね。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
を短かく刈りましたクラ駅長です。
今の仕事に転職し、木村鉄道や駅ノート絡みの趣味を始めてからは
初の事なので、初めて見る方も多いかも知れません。
コレは決して自慢ではナイのですが、私の髪ってのはコノ歳になっても
減る事がなく(額は後退しましたが)密度が濃くて夏場は暑いのです。
そのくせ結構な本数が抜けるらしく、部屋が散らかって困るの。
要するに細胞の働きが活発で、減ってもすぐ補充されるんでしょう。
…年相応に減ってくれても構わないのですが。
そんな事情もあって久し振りに思い立ったワケですが、私の後頭部は
頭皮がシワになって波打ってる箇所があり、短かくすると山と谷で密度
に差が生じ、天然のトラ狩り状態になるんですよ。
…タクシーってのはお客に後頭部を見せっ放しの仕事ですが、ハイヤー
仕様車はヘッドレストが大きいので何とか隠れてますけどね。
このまま続けるか、秋以降は元に戻すかはまだ決めてません。しかし
将来的にはコレで固定→丸坊主にする予定です。
さて南海平野線の跡地を探る旅ですが、続いては地下鉄谷町線にも
同名の駅がある田辺駅周辺にやって来ました。
…高架(阪神高速)の下に駅の入口があるから、知らない人が左の
カットだけ見たら地下鉄の駅だとは思わないでしょう。羽沢横浜国大
以上の紛らわしさです。
ちなみにココの田辺駅ってのは地下鉄谷町線と、ソノ前に同じルート
を走ってた南海平野線の駅名ですが、近くの近鉄南大阪線に北田辺、
JR阪和線に南田辺の各駅が存在します。
当然に南北の田辺駅は南海平野線より後に開業しました。相互間の
距離は少し離れており、3路線とも乗ってれば天王寺(又は阿部野橋)
に着くから、ココで乗り換えてる人は少ないと思われます。
付近の交差点に、周辺の町の歴史を解説した説明書きがありました。
この近くに存在した南海平野線の駅もイラストで紹介されています。
「昭和14年頃」とあるので末期とは形態が異なってた可能性もあり
ますが、駅舎があるから有人駅だったのでしょう。そして僅かながら
ココで折り返す運用があり、渡り線が設置されてたそうな。
…実際の写真はナイものか?と「田辺駅」で検索したら紀伊田辺駅に
関する物ばっかり出てくるし、「田辺電停」だと高知のとさでん交通に
ある田辺島通という電停が出てきます。…まぁ仕方ありませんね。
その田辺電停は、現在の田辺駅より少し南東方向にあったようで、
商店街との交差点を挟んで千鳥式のホーム配置だったそうな。
…左の画像の位置だと思われますが、鉄道の痕跡は見当たりません。
コレまたWikipediaによると付近の飲食店などは当時(とは言っても
末期の昭和50年代でしょう)のままの感じで残ってるそうです。
で、左端に写ってる喫茶店をよく見てみたら…
当時の物と思われる駅の案内標が置いてありました!
…恐らくは廃止になる時に記念に貰ったとか、そう言う類の物だと
思われますが、コレはどこのサイトにも見当たらない私の発見です。
前に朝顔と思しき植物のプランターがあるから、もう少し育ってたら
葉っぱで覆われて見えなくなる所でしたね。…例によってこの喫茶店
で事情を訊けば良さそうな所ですが、面倒なのでカットします。
また付近には「N」の文字が入ったコンクリート製の杭が幾つかあり、
コレも南海電車の土地だった事を示す痕跡だそうですよ。
…廃止が昭和55年だから私は8歳ぐらいであり、なかなか味のある
路線なのに存在自体を全く知らなかったのが残念な物件ですね。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.472 鉄道廃線跡を探る