南海平野線を探る ⑧
2020/07/18(Sat)
仕事がヒマな間にと言う事で、最近は頻繁に模型屋のジャンク品
巡りも挟んでるワケですが、和歌山電鉄の「たま電車」を遂に発見
しましたクラ駅長です。
…同社もトミーテックの「鉄コレ」のシリーズを何種類か出してるワケ
ですが、やはり「たま電車」が一番人気があるようで、ドコを見ても
品切れか、プレミアで高騰してる状態だったんですよ。
ソレがジャンク品の袋詰め商品の中に混じってました。…2両セットで
2,000円だから、定価に近くお買い得です。コレは衝動買いですよ。
鉄コレの場合、ジオラマで走らせるためのキットは別売りなので、車体
さえキレイであれば後は何とでもなります。…パンタグラフが欠損して
ましたが、コレもどうせパーツで取り換える物だからナシでもOK。
先頭車の連結器も欠損してますが、コレはこんな事もあろうかと残して
おいたマイクロエースの部品が役に立ちましたね(密着だけど)。
地方私鉄の小型電車は、狭いジオラマにも使いやすいので便利です。
…ココまで来たら紀州鉄道のキハ603とか欲しい所ですね。
さて南海平野線の跡地を探る旅ですが、ようやく終点の平野駅跡地
に到着しております。…距離としては6km程度なのですが、ゆっくり
歩いてますので今池駅を出て3時間ぐらい経ってますね。
ココは手前の遊歩道から繋がった公園のようになってますが、やはり
舗道はタイルで線路を模したデザインになってるし、レプリカながら
3灯式の信号機があったりもします。
そして一番奥には車庫みたいな藤棚がありました。支柱は古レール
を再利用してるようです。…先程の背戸口公園も然りなんですが、
ココを設計(と言うかデザイン)した人って、絶対鉄ヲタでしょうね。
藤棚の車庫に入り込んだ線路(の絵)は、引込線にありがちな放物線
状の車止めで終わってました。…ココまでやれば完璧ですな。
そんな感じで無事に終点まで見終えましたので、さっき渡ってきた
内環状線との交差点まで戻り、地下鉄谷町線の平野駅から天王寺
方面へ戻る事にしましょう。
平野にはJR大和路線の駅もありますが、こっちの方が近いのです。
話は反れますが平野には大念仏寺と言うお寺があって、融通念仏宗
と言う関西ローカルな宗派の総本山であり、ウチの実家もココの檀家
なのですよ。
子供の頃、祖父の納骨に来た覚えがあって、アレが確か小学校の
2年生ぐらいだから昭和55年の筈なんですよね。お寺は国鉄平野駅
の方が近いから、南海平野線の方はニアミスで知らない状況ですな。
一番近い入口から入って改札方向へ向かう地下道を歩いてると、壁に
地元の古い写真が展示してある一角がありました。
…もしかしたら?と思ったら、平野線の写真も何枚かあるようです。
広報誌か何かの写真を拡大複写した物らしいのですが、撮影時期が
書かれてナイ物が多いですね。
右の物はバスの感じからして昭和30年代ぐらいの感じでしょうか?
やはり人家は少なく田んぼばかりの農村地帯だったようです。
そして南海平野駅の写真もありますね。昭和55年の廃止時、やはり
多くの人が別れを惜しみにやって来たようなキャプションが付いて
ますが、左の写真は普段のラッシュ時間帯を撮った物な気がするぞ。
で、駅舎が右のような感じだったようです。大正時代のモダン建築で
八角形の特異な屋根の駅ですが、コレを再現したのがさっき見た
ベンチの屋根なんですね。…やはり生で見たかった物件ですよ。
そんな感じで南海平野線の廃線跡巡りはココまでになりますが、また
別の所に保存車が何箇所かあると聞いてますので、駅ノートなどの
間合い運用で見に行く事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
巡りも挟んでるワケですが、和歌山電鉄の「たま電車」を遂に発見
しましたクラ駅長です。
…同社もトミーテックの「鉄コレ」のシリーズを何種類か出してるワケ
ですが、やはり「たま電車」が一番人気があるようで、ドコを見ても
品切れか、プレミアで高騰してる状態だったんですよ。
ソレがジャンク品の袋詰め商品の中に混じってました。…2両セットで
2,000円だから、定価に近くお買い得です。コレは衝動買いですよ。
鉄コレの場合、ジオラマで走らせるためのキットは別売りなので、車体
さえキレイであれば後は何とでもなります。…パンタグラフが欠損して
ましたが、コレもどうせパーツで取り換える物だからナシでもOK。
先頭車の連結器も欠損してますが、コレはこんな事もあろうかと残して
おいたマイクロエースの部品が役に立ちましたね(密着だけど)。
地方私鉄の小型電車は、狭いジオラマにも使いやすいので便利です。
…ココまで来たら紀州鉄道のキハ603とか欲しい所ですね。
さて南海平野線の跡地を探る旅ですが、ようやく終点の平野駅跡地
に到着しております。…距離としては6km程度なのですが、ゆっくり
歩いてますので今池駅を出て3時間ぐらい経ってますね。
ココは手前の遊歩道から繋がった公園のようになってますが、やはり
舗道はタイルで線路を模したデザインになってるし、レプリカながら
3灯式の信号機があったりもします。
そして一番奥には車庫みたいな藤棚がありました。支柱は古レール
を再利用してるようです。…先程の背戸口公園も然りなんですが、
ココを設計(と言うかデザイン)した人って、絶対鉄ヲタでしょうね。
藤棚の車庫に入り込んだ線路(の絵)は、引込線にありがちな放物線
状の車止めで終わってました。…ココまでやれば完璧ですな。
そんな感じで無事に終点まで見終えましたので、さっき渡ってきた
内環状線との交差点まで戻り、地下鉄谷町線の平野駅から天王寺
方面へ戻る事にしましょう。
平野にはJR大和路線の駅もありますが、こっちの方が近いのです。
話は反れますが平野には大念仏寺と言うお寺があって、融通念仏宗
と言う関西ローカルな宗派の総本山であり、ウチの実家もココの檀家
なのですよ。
子供の頃、祖父の納骨に来た覚えがあって、アレが確か小学校の
2年生ぐらいだから昭和55年の筈なんですよね。お寺は国鉄平野駅
の方が近いから、南海平野線の方はニアミスで知らない状況ですな。
一番近い入口から入って改札方向へ向かう地下道を歩いてると、壁に
地元の古い写真が展示してある一角がありました。
…もしかしたら?と思ったら、平野線の写真も何枚かあるようです。
広報誌か何かの写真を拡大複写した物らしいのですが、撮影時期が
書かれてナイ物が多いですね。
右の物はバスの感じからして昭和30年代ぐらいの感じでしょうか?
やはり人家は少なく田んぼばかりの農村地帯だったようです。
そして南海平野駅の写真もありますね。昭和55年の廃止時、やはり
多くの人が別れを惜しみにやって来たようなキャプションが付いて
ますが、左の写真は普段のラッシュ時間帯を撮った物な気がするぞ。
で、駅舎が右のような感じだったようです。大正時代のモダン建築で
八角形の特異な屋根の駅ですが、コレを再現したのがさっき見た
ベンチの屋根なんですね。…やはり生で見たかった物件ですよ。
そんな感じで南海平野線の廃線跡巡りはココまでになりますが、また
別の所に保存車が何箇所かあると聞いてますので、駅ノートなどの
間合い運用で見に行く事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.475 鉄道廃線跡を探る