南海軌道線の保存車 ①②
2020/07/19(Sun)
そんな感じで南海平野線の廃線跡を歩き終えたワケですが、色々と
調べてる過程で存在が確認された阪堺電車と南海電鉄の軌道線の
保存車を幾つか回ってみる事にしましたクラ駅長です。
まずは東大阪市です。JR学研都市線の徳庵駅近くにある近畿車両
の敷地内に1両あると言う事で、ソコから見に行きました。
ココにあるのはモ161型のうちの171号車です。昭和6年に近畿車両
の前身会社である田中車両が製造した電車だそうです。
廃車になった後、里帰り的な意味で引き取られたのかも知れません。
阪堺線規格の大型車両で、新造時の塗装に復元されています。
元から3枚扉で最初は中央の扉のみが自動式でした。
…車掌が後部から遠隔操作出来る事が画期的だったようですね。
車両工場の敷地内ですから、当然に部外者は立入禁止です。
学研都市線の線路を挟んだ住宅地から辛うじて見えるんですが、道路
が袋小路になってて、こちらも近隣の家に用事のある人しか入って
来ない状況でしょう。2枚撮って引き上げるので精一杯でした。
コレだけでは物足りないので、同じ東大阪市内の大阪産業大学へと
移動しましょう。…ココにも1両、保存車があるらしいのですよ。
…基本的に大学と言う所は、他の学校と違って部外者の出入りに
関しては比較的ユルいイメージがあります。
時代は違いますが私が行ってた学校は、入試の前後などを除けば
24時間ほぼ開けっ放しであり、サークルのボックス棟なんかは殆ど
そこに住んでるような者も居た感じだったんですが…
懸念した通り、謎のウイルス騒ぎで休校中だったようですね。
しかし公道に近い所にあるのが幸いしました。ココは学生さん用の
駐輪場らしいのですが、柵の隙間から何とか見れる範囲で写真だけ
撮ってしまいましょう。
ココにあるのはモ205型のうちの229号車。平野線跡地の終点付近に
モザイク画で描いてあったのと同型の車両です。…開業時の車両を
昭和に入ってから鋼体化した物だそうな。
他の車両…例えば上のモ161型と比べて小型なので、最後は比較的
ローカルな平野線に集められてたそうです。
同線の廃止後、車齢の若い(とは言っても50年物)車両はワンマン化
されて、阪堺線などと同じ3枚扉に改造されましたが、平野線と共に
引退した物はオリジナルスタイル(2枚扉)のままです。
駐輪場だから学校の講義がある時は自転車が一杯で逆に撮り
にくかったかも知れません。…コレも塗装は昭和初期~戦後すぐ
ぐらいの感じを再現してあります。
…私は阪堺線なら子供の頃に一度乗った事がありますが、当時は
車両全体を広告塗装にする事は稀であり、コレに近い「南海グリーン」
の一色塗りの物が大多数だった記憶があります。
車内は非公開のようですが、一応は枕木を積んだ階段がありますね。
…学園祭とかのタイミングで行けば見れたりするのかな?
平野線オリジナルの車両は和歌山にもあるそうで、ついでの事に日を
改めて見に行く事にしました。次回はソコへ続きます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
調べてる過程で存在が確認された阪堺電車と南海電鉄の軌道線の
保存車を幾つか回ってみる事にしましたクラ駅長です。
まずは東大阪市です。JR学研都市線の徳庵駅近くにある近畿車両
の敷地内に1両あると言う事で、ソコから見に行きました。
ココにあるのはモ161型のうちの171号車です。昭和6年に近畿車両
の前身会社である田中車両が製造した電車だそうです。
廃車になった後、里帰り的な意味で引き取られたのかも知れません。
阪堺線規格の大型車両で、新造時の塗装に復元されています。
元から3枚扉で最初は中央の扉のみが自動式でした。
…車掌が後部から遠隔操作出来る事が画期的だったようですね。
車両工場の敷地内ですから、当然に部外者は立入禁止です。
学研都市線の線路を挟んだ住宅地から辛うじて見えるんですが、道路
が袋小路になってて、こちらも近隣の家に用事のある人しか入って
来ない状況でしょう。2枚撮って引き上げるので精一杯でした。
コレだけでは物足りないので、同じ東大阪市内の大阪産業大学へと
移動しましょう。…ココにも1両、保存車があるらしいのですよ。
…基本的に大学と言う所は、他の学校と違って部外者の出入りに
関しては比較的ユルいイメージがあります。
時代は違いますが私が行ってた学校は、入試の前後などを除けば
24時間ほぼ開けっ放しであり、サークルのボックス棟なんかは殆ど
そこに住んでるような者も居た感じだったんですが…
懸念した通り、謎のウイルス騒ぎで休校中だったようですね。
しかし公道に近い所にあるのが幸いしました。ココは学生さん用の
駐輪場らしいのですが、柵の隙間から何とか見れる範囲で写真だけ
撮ってしまいましょう。
ココにあるのはモ205型のうちの229号車。平野線跡地の終点付近に
モザイク画で描いてあったのと同型の車両です。…開業時の車両を
昭和に入ってから鋼体化した物だそうな。
他の車両…例えば上のモ161型と比べて小型なので、最後は比較的
ローカルな平野線に集められてたそうです。
同線の廃止後、車齢の若い(とは言っても50年物)車両はワンマン化
されて、阪堺線などと同じ3枚扉に改造されましたが、平野線と共に
引退した物はオリジナルスタイル(2枚扉)のままです。
駐輪場だから学校の講義がある時は自転車が一杯で逆に撮り
にくかったかも知れません。…コレも塗装は昭和初期~戦後すぐ
ぐらいの感じを再現してあります。
…私は阪堺線なら子供の頃に一度乗った事がありますが、当時は
車両全体を広告塗装にする事は稀であり、コレに近い「南海グリーン」
の一色塗りの物が大多数だった記憶があります。
車内は非公開のようですが、一応は枕木を積んだ階段がありますね。
…学園祭とかのタイミングで行けば見れたりするのかな?
平野線オリジナルの車両は和歌山にもあるそうで、ついでの事に日を
改めて見に行く事にしました。次回はソコへ続きます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.476 鉄道保存施設を探る