豊田への旅
2020/07/25(Sat)
さて新たな報告です。
駅ノートと言う物は、日々設置や撤去による数の増減がある物です。
また色々な情報が錯綜してる場合もあって、なかなか上手く行かない
(あると思って行ったらナイ。近くを通ったのに知らなかった等。)物
でもありますが、ヒマな間に長期間行ってナイ所の状況を再度把握して
おきたいと思い、愛知~岐阜の近場を回ってきましたクラ駅長です。
まずは愛知県ですが、豊田市の名鉄挙母線(ころもせん)の廃線跡に、
例のゆっくまーが設置したと言う廃駅ノートがあると聞いて、確かめに
行く事にしました。…勿論あれば描く積りですよ。
伊勢湾岸道から新東名に入り、豊田東と言う所で降りた付近に、名鉄
挙母線の渡刈(とがり)と言う駅の跡があるそうな。
名鉄ってのは昭和初期に矢鱈と路線を伸ばし、高度成長期が終わった
以降に赤字路線をコレまた矢鱈と廃止したイメージです。
現時点では詳しく調べてませんが、同線もソノ1つなのでしょう。
廃線跡の多くが道路に転用されたようですが、一部が遊歩道のような
状態で残してある所も存在するとか?…右の画像では少し広めの歩道
に見える部分が廃線跡なのかな。
そんな感じで渡刈駅跡に到着しました。…お天気が良すぎて矢鱈と
暑いですね。ホントに梅雨の期間中なのかコレ?
車道に沿ってサイクリングロードのような敷石の部分があり、コレが
廃線跡だと思われます。ホームのように嵩上げした所に、駅舎を
模したような東屋があり、休憩場として使われてるのでしょう。
そして架線柱に似せた構造物が何本か建ってますが、電力用の物
でもなければ照明器具も近くに別の物がありますから、単なる飾り?
…雰囲気付けのサービスだとしたら気前のいい話ですね。
東屋の隣に説明書きがありました。挙母線は名鉄三河線の上挙母
から分岐して豊田市を縦断するような形の11kmあまりの路線で、
渡刈駅はソノ真ん中辺りにあったようです。…廃止は昭和48年か。
そもそも豊田市は昔は挙母市という地名だったのが、トヨタ自動車
の進出によって豊田市になった所ですから、トヨタ自動車前なんて
駅もありますね。
…今は従業員の殆どは車通勤なのかも知れませんが、自家用車の
普及率が低い時代は多くの通勤客で賑わった路線だった事でしょう。
さして広くない&余分な物が殆どない東屋なので、見たらすぐ分かる
のですが、駅ノートもありませんね。
…帰ってYouTubeなどを見ると、設置から1年ぐらいは存在し、ソレ
なりに書き込みもあったらしいのですが、どうもゆっくまーのアンチに
よって撤去されたようなんです。
ココは現役の鉄道駅じゃないから管理者は誰なのか?恐らく地元の
自治会等だと思われ、迷惑か否かの基準は難しい所ですが、アンチ
によって撤去されると言うのは珍しいケースかも知れません。
…まぁYouTuberなんて好き嫌いが分かれやすい存在でしょう。
ナイ物は仕方ありませんから次に向かいます。
ココから直近の設置駅は、コレまた廃駅ですが三河線の枝下(しだれ)
と三河広瀬ですね。過去の合併市域が拡大したからなのですが、
この付近も同じ豊田市だと言う事が些かの驚きです。
…先に枝下駅跡を見てみましょう。
ココは駅ノートが殆ど雨ざらしの環境なので、管理状態は悪いです。
私が以前に描いたやつは…前後の日付から推測してココに貼った
だろうという跡はあったんですが、絵そのものは無くなってました。
直に描いてナイから自然に剥がれた可能性もありますか。
駅ノートの絵をファイリングしてる関係上、何となく偶数枚で描いて
行きたいと言う気持ちがあって、ココは「渡刈があったら描こう」程度
に考えてたんですよ。てかコレでは絵を描ける状況じゃナイし。
と言う事で今回の中で最も確実性の高い三河広瀬駅跡へ向かいます。
渡刈と枝下は状況だけ検視出来ればイイと言うアタマでした。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
駅ノートと言う物は、日々設置や撤去による数の増減がある物です。
また色々な情報が錯綜してる場合もあって、なかなか上手く行かない
(あると思って行ったらナイ。近くを通ったのに知らなかった等。)物
でもありますが、ヒマな間に長期間行ってナイ所の状況を再度把握して
おきたいと思い、愛知~岐阜の近場を回ってきましたクラ駅長です。
まずは愛知県ですが、豊田市の名鉄挙母線(ころもせん)の廃線跡に、
例のゆっくまーが設置したと言う廃駅ノートがあると聞いて、確かめに
行く事にしました。…勿論あれば描く積りですよ。
伊勢湾岸道から新東名に入り、豊田東と言う所で降りた付近に、名鉄
挙母線の渡刈(とがり)と言う駅の跡があるそうな。
名鉄ってのは昭和初期に矢鱈と路線を伸ばし、高度成長期が終わった
以降に赤字路線をコレまた矢鱈と廃止したイメージです。
現時点では詳しく調べてませんが、同線もソノ1つなのでしょう。
廃線跡の多くが道路に転用されたようですが、一部が遊歩道のような
状態で残してある所も存在するとか?…右の画像では少し広めの歩道
に見える部分が廃線跡なのかな。
そんな感じで渡刈駅跡に到着しました。…お天気が良すぎて矢鱈と
暑いですね。ホントに梅雨の期間中なのかコレ?
車道に沿ってサイクリングロードのような敷石の部分があり、コレが
廃線跡だと思われます。ホームのように嵩上げした所に、駅舎を
模したような東屋があり、休憩場として使われてるのでしょう。
そして架線柱に似せた構造物が何本か建ってますが、電力用の物
でもなければ照明器具も近くに別の物がありますから、単なる飾り?
…雰囲気付けのサービスだとしたら気前のいい話ですね。
東屋の隣に説明書きがありました。挙母線は名鉄三河線の上挙母
から分岐して豊田市を縦断するような形の11kmあまりの路線で、
渡刈駅はソノ真ん中辺りにあったようです。…廃止は昭和48年か。
そもそも豊田市は昔は挙母市という地名だったのが、トヨタ自動車
の進出によって豊田市になった所ですから、トヨタ自動車前なんて
駅もありますね。
…今は従業員の殆どは車通勤なのかも知れませんが、自家用車の
普及率が低い時代は多くの通勤客で賑わった路線だった事でしょう。
さして広くない&余分な物が殆どない東屋なので、見たらすぐ分かる
のですが、駅ノートもありませんね。
…帰ってYouTubeなどを見ると、設置から1年ぐらいは存在し、ソレ
なりに書き込みもあったらしいのですが、どうもゆっくまーのアンチに
よって撤去されたようなんです。
ココは現役の鉄道駅じゃないから管理者は誰なのか?恐らく地元の
自治会等だと思われ、迷惑か否かの基準は難しい所ですが、アンチ
によって撤去されると言うのは珍しいケースかも知れません。
…まぁYouTuberなんて好き嫌いが分かれやすい存在でしょう。
ナイ物は仕方ありませんから次に向かいます。
ココから直近の設置駅は、コレまた廃駅ですが三河線の枝下(しだれ)
と三河広瀬ですね。過去の合併市域が拡大したからなのですが、
この付近も同じ豊田市だと言う事が些かの驚きです。
…先に枝下駅跡を見てみましょう。
ココは駅ノートが殆ど雨ざらしの環境なので、管理状態は悪いです。
私が以前に描いたやつは…前後の日付から推測してココに貼った
だろうという跡はあったんですが、絵そのものは無くなってました。
直に描いてナイから自然に剥がれた可能性もありますか。
駅ノートの絵をファイリングしてる関係上、何となく偶数枚で描いて
行きたいと言う気持ちがあって、ココは「渡刈があったら描こう」程度
に考えてたんですよ。てかコレでは絵を描ける状況じゃナイし。
と言う事で今回の中で最も確実性の高い三河広瀬駅跡へ向かいます。
渡刈と枝下は状況だけ検視出来ればイイと言うアタマでした。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.482 タクシーもどき運転日報