福知山線の旧線区間を探る ⑤
2020/09/06(Sun)
…山陰本線の鎧と餘部の駅ノートを描きに行った帰りの事です。
城崎温泉で特急に乗り換える時に改札を出てみたら、新しくなった
売店で駅弁が売られてるのを発見しましたクラ駅長です。
お昼を過ぎてたので種類も在庫も少なく、些か選択肢に困りましたが
「かにめしとすきやき弁当」と言う物を買いました。…紐を引くと加熱
されるタイプのやつですね。
城崎温泉駅は駅蕎麦屋の閉店と同時に地元の業者も撤退したようで、
関西圏で広く売られている淡路屋の商品です。
しかし「まだ文化として残ってる」と言う事実に少しだけ感動しましたよ。
帰りの特急「こうのとり」で美味しく頂きました。
さて福知山線の旧線区間ですが、意外と長かった1つ目のトンネルを
抜けて、更に歩いております。
…すぐにまたトンネル?と思ったら、コレは頭上の木の枝が密集した
いわゆる「緑のトンネル」と言われる状態の箇所だと分かりました。
明らかに鉄道車両の車体断面より小さな空間であり、廃線後に木が
生い茂ってコノような状態になったのでしょう。…もっと炎天下の中を
歩いてたら一息つける木陰だったかも知れません。
進行方向の右手には相変わらず武庫川が流れてますので、随所に
保線用の退避場が残ってるのが確認出来ました。
左手…山側の方には時々、落石防止用の柵が出てきます。
この手の建造物によくある建設時期を示す刻印によると1956年10月
に造られた物である事が分かりますね。
…この区間が最初に開通したのは明治時代の事ですが、各時代に
設備の手直しや追加が為されてきたのでしょう。廃線跡好きな者に
とっては、見るべき所が沢山あって飽きないハイキングコースです。
暫く行くと、ハイキングコースの中で最も長い北山第二トンネルが
出てきます。…長さは413mと言う事で、新幹線16両フル編成より
長い事になりますか(何の比較にもなりませんが)。
入口付近はコンクリートで覆われてますが、入ってすぐ煉瓦積みの
明治の雰囲気を残すトンネルである事が分かりました。
トンネル内の退避場所も、石積みで奥が
素掘りな感じの古めかしい物です。
…とココで思い出したんですが、大学時代
の写真部の先輩2名が時々「一度武田尾
へ撮影に行こう」とか言ってたんですよ。
当時(平成1桁台)で既に新線に切り替え
られた後だったし、この2名の先輩は特に
鉄ヲタでは無かったから、夜のトンネル内
に幻想的な風景?を求めての事だったと
思われます。勿論「危険を承知で忍び込む」
事が前提でしょう。しかも奈良から原付で!
…結局は実現しなかったのか、その先輩が
撮ってきたトンネルの写真と言うのは見た
記憶がナイのですが、昼間でも照明のナイ
所で何が撮れるんやら?ですね。
そんな感じでトンネル内を通過中、また反対
側から来たグループとすれ違いました。
ハイカーにありがちに「こんにちわー」と挨拶。
コミュ障の私も、流石に同様に返します。
…コレだけ長いコースの中で、何で連続して
トンネル内でばかり人に会うのか不思議です。
懐中電灯を持ってなかったら大変だったわ。
ようやくトンネルを抜けた所に、コレまた鉄道時代の標識が幾つか、
朽ち果てるギリギリの状態で残ってました。
「退避禁止箇所」にある数字は、起点(尼崎)からのキロ程だと思われ
ますが、新線の開通で生瀬~武田尾~道場の区間は1.8kmほど短縮
されています。
まだまだ先は長そうですが、高低差が少ないので楽に歩けます。
続いては、コースの中で最も目を引く大きな鉄橋がある筈ですよ。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
城崎温泉で特急に乗り換える時に改札を出てみたら、新しくなった
売店で駅弁が売られてるのを発見しましたクラ駅長です。
お昼を過ぎてたので種類も在庫も少なく、些か選択肢に困りましたが
「かにめしとすきやき弁当」と言う物を買いました。…紐を引くと加熱
されるタイプのやつですね。
城崎温泉駅は駅蕎麦屋の閉店と同時に地元の業者も撤退したようで、
関西圏で広く売られている淡路屋の商品です。
しかし「まだ文化として残ってる」と言う事実に少しだけ感動しましたよ。
帰りの特急「こうのとり」で美味しく頂きました。
さて福知山線の旧線区間ですが、意外と長かった1つ目のトンネルを
抜けて、更に歩いております。
…すぐにまたトンネル?と思ったら、コレは頭上の木の枝が密集した
いわゆる「緑のトンネル」と言われる状態の箇所だと分かりました。
明らかに鉄道車両の車体断面より小さな空間であり、廃線後に木が
生い茂ってコノような状態になったのでしょう。…もっと炎天下の中を
歩いてたら一息つける木陰だったかも知れません。
進行方向の右手には相変わらず武庫川が流れてますので、随所に
保線用の退避場が残ってるのが確認出来ました。
左手…山側の方には時々、落石防止用の柵が出てきます。
この手の建造物によくある建設時期を示す刻印によると1956年10月
に造られた物である事が分かりますね。
…この区間が最初に開通したのは明治時代の事ですが、各時代に
設備の手直しや追加が為されてきたのでしょう。廃線跡好きな者に
とっては、見るべき所が沢山あって飽きないハイキングコースです。
暫く行くと、ハイキングコースの中で最も長い北山第二トンネルが
出てきます。…長さは413mと言う事で、新幹線16両フル編成より
長い事になりますか(何の比較にもなりませんが)。
入口付近はコンクリートで覆われてますが、入ってすぐ煉瓦積みの
明治の雰囲気を残すトンネルである事が分かりました。
トンネル内の退避場所も、石積みで奥が
素掘りな感じの古めかしい物です。
…とココで思い出したんですが、大学時代
の写真部の先輩2名が時々「一度武田尾
へ撮影に行こう」とか言ってたんですよ。
当時(平成1桁台)で既に新線に切り替え
られた後だったし、この2名の先輩は特に
鉄ヲタでは無かったから、夜のトンネル内
に幻想的な風景?を求めての事だったと
思われます。勿論「危険を承知で忍び込む」
事が前提でしょう。しかも奈良から原付で!
…結局は実現しなかったのか、その先輩が
撮ってきたトンネルの写真と言うのは見た
記憶がナイのですが、昼間でも照明のナイ
所で何が撮れるんやら?ですね。
そんな感じでトンネル内を通過中、また反対
側から来たグループとすれ違いました。
ハイカーにありがちに「こんにちわー」と挨拶。
コミュ障の私も、流石に同様に返します。
…コレだけ長いコースの中で、何で連続して
トンネル内でばかり人に会うのか不思議です。
懐中電灯を持ってなかったら大変だったわ。
ようやくトンネルを抜けた所に、コレまた鉄道時代の標識が幾つか、
朽ち果てるギリギリの状態で残ってました。
「退避禁止箇所」にある数字は、起点(尼崎)からのキロ程だと思われ
ますが、新線の開通で生瀬~武田尾~道場の区間は1.8kmほど短縮
されています。
まだまだ先は長そうですが、高低差が少ないので楽に歩けます。
続いては、コースの中で最も目を引く大きな鉄橋がある筈ですよ。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.525 鉄道廃線跡を探る