高山本線への旅2021 ①
2021/08/31(Tue)
さて新たな報告です。続いてもそろそろ1年以上が経過してる地域の
駅ノート廻りとして、高山本線の各駅を回ってきましたクラ駅長です。
同線は主に岐阜県内を走りつつ、一部は富山県にも掛かってますが
県境付近の猪谷にJR東海とJR西日本の境界があります。
駅ノートも双方の会社に跨って点在しており、最北は楡原駅ですね。
なので富山県側から回る事にしてルートを調べてみると、意外にも
岐阜回りの方が40kmほど近い事が分かりました。…鉄道で言うと
北陸本線経由より当の高山本線の方が近いのと同じ感じでしょうか。
北陸新幹線が金沢までと言う中途半端な状況でも、関西から富山へ
行こうと思うとやはり北陸回りの方が一般的だから、コレは意外な
盲点だったような気もします。
左上はGoogleマップのルート検索ですが、所要時間は5分差か。
まぁコレは一般道の区間が長ければ短縮出来たりもするし、今回は
こちらで行ってみましょう。
…と言う事で道路だと東名阪自動車道から名古屋経由で東海北陸
自動車道ですね。例によって朝5時頃から出発しています。
かなり高低差がある路線なので山間部では雨になりましたが、最高
地点の松ノ木峠PAを越えると再び晴れてきました。
高速道路としては富山方面へも全通していますが、高山本線の沿線
へ向かうには飛騨清見インターで降りて飛騨市(飛騨古川)方面へ
曲がる感じになります。
飛騨古川の市街地を抜けて国道41号線を神岡町方面へ走ってたら、
道路脇の空き地に軽便鉄道の客車みたいな物が何両か置かれてる
のを発見しました。…私はこう言う物があると停まる癖があります。
飛騨地方も林業が盛んな土地なので、各地に森林鉄道の類が多く
存在した事は知識として知ってますが、コレは何なんでしょうね?
説明書きを読むに、カナリ昔に存在した神岡軌道と言う軽便鉄道の
車両のようです。…神岡は江戸時代から銀や鉛が採れる鉱山だった
から、当然にソレを運び出す手段は必要になってきますよね。
後で行く予定の猪谷から分岐して神岡線と言うローカル線があった
事は知ってますが、神岡線の開通が昭和41年と言う意外と最近の
話であり、神岡軌道はそれより以前に存在した鉄道のようです。
線路があったのは猪谷~神岡の間で、高原川を挟んで神岡線とは
対岸を通ってたと言う事で、ココは実際の線路跡ではありません。
…昔の事だから蒸気機関車やディーゼル機関車による運転だった
と思われますが、ココにあるのは小型の客車が2両だけでした。
昭和40年代の初頭なら、まだ各地に軽便鉄道が多く残ってた時代
なので、他へ転用された可能性もありますな。
そして何やら、軽便鉄道の車両と明らかに違う乗り物がありますよ。
形状から見て線路上を走れる自転車のようですね。
…そう言えば神岡線の跡地ってのは、廃線跡をソレ用の自転車で
走れるアトラクションみたいなのになってなかったっけ?
気になったので駅ノートの前に少し寄り道していく事にしました。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
駅ノート廻りとして、高山本線の各駅を回ってきましたクラ駅長です。
同線は主に岐阜県内を走りつつ、一部は富山県にも掛かってますが
県境付近の猪谷にJR東海とJR西日本の境界があります。
駅ノートも双方の会社に跨って点在しており、最北は楡原駅ですね。
なので富山県側から回る事にしてルートを調べてみると、意外にも
岐阜回りの方が40kmほど近い事が分かりました。…鉄道で言うと
北陸本線経由より当の高山本線の方が近いのと同じ感じでしょうか。
北陸新幹線が金沢までと言う中途半端な状況でも、関西から富山へ
行こうと思うとやはり北陸回りの方が一般的だから、コレは意外な
盲点だったような気もします。
左上はGoogleマップのルート検索ですが、所要時間は5分差か。
まぁコレは一般道の区間が長ければ短縮出来たりもするし、今回は
こちらで行ってみましょう。
…と言う事で道路だと東名阪自動車道から名古屋経由で東海北陸
自動車道ですね。例によって朝5時頃から出発しています。
かなり高低差がある路線なので山間部では雨になりましたが、最高
地点の松ノ木峠PAを越えると再び晴れてきました。
高速道路としては富山方面へも全通していますが、高山本線の沿線
へ向かうには飛騨清見インターで降りて飛騨市(飛騨古川)方面へ
曲がる感じになります。
飛騨古川の市街地を抜けて国道41号線を神岡町方面へ走ってたら、
道路脇の空き地に軽便鉄道の客車みたいな物が何両か置かれてる
のを発見しました。…私はこう言う物があると停まる癖があります。
飛騨地方も林業が盛んな土地なので、各地に森林鉄道の類が多く
存在した事は知識として知ってますが、コレは何なんでしょうね?
説明書きを読むに、カナリ昔に存在した神岡軌道と言う軽便鉄道の
車両のようです。…神岡は江戸時代から銀や鉛が採れる鉱山だった
から、当然にソレを運び出す手段は必要になってきますよね。
後で行く予定の猪谷から分岐して神岡線と言うローカル線があった
事は知ってますが、神岡線の開通が昭和41年と言う意外と最近の
話であり、神岡軌道はそれより以前に存在した鉄道のようです。
線路があったのは猪谷~神岡の間で、高原川を挟んで神岡線とは
対岸を通ってたと言う事で、ココは実際の線路跡ではありません。
…昔の事だから蒸気機関車やディーゼル機関車による運転だった
と思われますが、ココにあるのは小型の客車が2両だけでした。
昭和40年代の初頭なら、まだ各地に軽便鉄道が多く残ってた時代
なので、他へ転用された可能性もありますな。
そして何やら、軽便鉄道の車両と明らかに違う乗り物がありますよ。
形状から見て線路上を走れる自転車のようですね。
…そう言えば神岡線の跡地ってのは、廃線跡をソレ用の自転車で
走れるアトラクションみたいなのになってなかったっけ?
気になったので駅ノートの前に少し寄り道していく事にしました。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.884 軽トラック運転日報