2023/08/07(Mon)
さて
山陰本線の
駅ノートの
4巡目ですが、
西(鳥取方向)から回って
1泊2日の
初日に
居組と諸寄を描き
浜坂温泉に1泊、
2日目の朝を
迎えておりますクラ駅長です。
…
漁港に近い所だったので、
窓からの景色は
左のような感じです。
当日の
天気予報は
雨なんですが、それなりに
晴れてますね。
夕食は近くで探して
地場資本のスーパーマーケットで調達しましたが、
折角の
温泉旅館なので
朝食つきのプランで申し込みました。
…
品数は多いんですが、
全体量はあまり
多くありません。
健康診断
を前にして
軽くダイエット中なので別にイイや。
そんな感じで
2日目の午前中は
餘部からですね。
浜坂温泉からは
約12km、
30分ぐらいで着く感じです。
周知の通りココは
山に挟まれた狭い平地に
集落や漁港があり、それ
を挟む
東西の高台に
鉄道を通すため、
脚の長い鉄橋が作られた事
で有名ですよね。
…地名としては
「余部」が正しく、名物の
橋梁も
同じ漢字表記なの
ですが、
駅名は「餘部」。コレは同じ
兵庫県内にある
姫新線の
余部
(よべ)と
区別するための措置だそうな。
最初に造られたのは
明治45年に
アメリカ製の鋼材を輸入して掛け
られた
「鉄橋」です。それが
約100年使われた後、
平成22年に
現在
の
コンクリート製の橋梁に架け替えられました。
長い時代に渡って
有名な風景&
撮り鉄スポットだった事もあり、
古い鉄橋は
解体後も
橋脚や橋桁の一部が
残され、
説明文とともに
展示されています。
…とは言え
10年も経つと
展示品の橋桁も段々と
錆が目立つように
なってきました。
塗り替えたら
値打ちは下がるのかしら?
元は
鉄橋以外は何もナイ
普通の集落でしたが、
新しい橋梁の
完成
後に
古い鉄橋の一部を
展望台にした
「空の駅」や、
地上の一角に
「道の駅あまるべ」がオープンし、
小規模な観光地と化しています。
…
道の駅には
食堂や地場の産物を売る
売店、
余部橋梁の歴史を
紹介する
展示コーナーがありますが、
時間が早いので
駅ノートを
描き終えてから寄る事にしましょう。
「空の駅」には
「そらちゃん」と言う
駅長さんが居るようです。
ケヅメリクガメと言う種類の
雌で今年で
8歳。…
人間の歳で何歳
なのか
不明ですが、
同亀の寿命は
30年~50年だそうな。
…その
そらちゃんですが、
道の駅に隣接する
公園を
散歩中だった
ので
写真を撮らせて頂きました。
芝生の芝をバリバリ
食ってます。
元は
ペットとして飼われてた
亀だと言う事ですが、その辺の
田んぼ
などに居る
一般的な草ガメと比べると
カナリの大きさですね。
久し振りに来たので
余部橋梁そのものの
説明が長くなりましたが、
駅へ上がって
駅ノートを描く事にしましょう。
※
→次回に続く
※コメント・感想は
→こちらまでお願い致します。
No.1590 駅長が見た風景
2023/08/06(Sun)
本日は
日曜日ですが、
引き続き「クラ駅長50年史」の
2011年の
後編をお送り致しますクラ駅長です。
…
回数の囲み数字の通り
39歳~40歳の頃なんですが、
同年から
翌2012年に掛けては私的に
色々な出来事が相次いだ、
私の人生
の中でも
激動の時代だったような気がしますので、
記述内容も
強化しておく必要があるでしょう。
2011年の
世相や一般的な話に関しては、
前回の記事を参照して
頂ければイイのですが、
関東から東北・北海道の太平洋沿岸で
大規模な災害(東日本大震災)が起こった年の事です。
2003年の2月に
結婚し、
同年末に
長男が誕生。
2007年に
長女が
生まれて
4人(実質的にはソコに
私の両親を加えた
6人)家族に
なっていました。
しかし
妻が
よく分からない人で、途中から
精神的におかしくなり、
前年の
2002年頃から
子供2名を連れて
実家に帰ってる、
別居状態
になっています。
…ソレが突然
「あんたとはもぅやってられんので」と
離婚届の用紙
を持ってきました。時期は忘れたんですが
春頃だったかな。
別に住んでるから
直接的な要因は
分からんのですが、半分以上
は
予期してた事なので、特に
ショックも無かったように思います。
まぁ
アノ人の場合、
相手が私でなくても同じ結果だったでしょう。
日本の現状では
子供の居る夫婦が
離婚した場合、余程の事がナイ
限り
親権は母親に行き、
父親は
養育費を支払う事になります。
しかし
妻は
ボーナス的な意味で
慰謝料も取れると思ってたよう
ですね。…
協議離婚ならソレは
ありません。
テレビの見過ぎだ。
ともあれ
慣れない弁護士さんを頼んで
協議書のような物を作り、
養育費は定期的に
長男と長女の銀行口座に
直接振り込む事に
なりました。…
忘れたりすると
イカンので
自動送金です。
そして
長男長女は
妻の戸籍になるから、
学校や保育園も
転校し
(
別居中は
こっちの小学校まで
車で送迎してたらしい)、「
学校行事
などは
連絡して
(私も)出席出来るようにする。」となったんですが
実際の所、
見に行った事はありませんでした。
基本的に
土日が休めない仕事だから
滅多に行けない(
不機嫌
になる)し、たまに
行こうとして連絡しても
「何を今更」みたいな感じ
で
絡まれるので、「だったら
行かない方がマシ」となりますよね。
長男長女は
どぅ思ってたのかは
知りませんが。ちなみに
私が子供
の頃は、
父親なんて
学校行事に
滅多に来てくれませんでしたが、
「ソレはそう言うもんだ」と思ってたから、ソレで
父親が嫌いに
なったりはしませんでした(
別の理由で
鬱陶しい人でしたが)。
以後、
長男長女とも
殆ど会わなかったんですが、
誕生日祝いや
正月のお年玉などは
欠かさず郵送していました。…まぁ
ソレで充分
でしょう。
…私も
家族を持つのには
向いてナイ人間だったのかも知れず、
特に
未練はありませんでした。
そして
離婚してしまえば、ワザワザ
職場に遠い実家から
通う必要
もナイと言う事で、
再び独り暮らしに戻ります。
…職場と同じ
枚方市内で、
車なら10分程度で行ける所なんですが、
会社には内緒なのでウチの店の
従業員名簿を見て、
パートさん
などが
住んでナイ空白地帯を選んで引っ越しましたよ。
そんな感じでココからは、いよいよ
木村鉄道について書く事に
しましょう。
そもそも
社長(木村裕子)の
存在を知ったのは、
前年(2010年)
頃の事だったと思います。
2ちゃんねる(当時)にスレッドがあり、
そこにあったリンクから
ブログを見に行ったのが切っ掛けだった
と思うんですよ。
…基本的に
鉄道趣味と言うのは
男中心の世界でしょう。
女性も
居ない事はナイのでしょうが、
ソレを前面に出してのアイドルさん
と言うのは
当時としては珍しい存在だったと思います。
ちなみに
社長が
鉄道アイドルとして活動し始めたのは、
更に何年
か前の事だと思われるので、
些か出遅れた感じではあります。
ブログの端っこに付属する
プロフィールを読むに「ちょっと
作り
すぎかも?」と思ったりもしましたが、
記事本文を見れば
相当な
知識の持ち主であろうと言う事は分かります。
取り敢えず
過去のブログ記事を読む所から始め、当時は
通販
部門があった
「サンショップ大阪」で著書の「鉄道一直線」など
を買いました。
暫くは静観し、何となくキリのいい
同年の7月1日から
コメントの
投稿を始めました。しかし
当時の職場では、まだ
土日に休みを
取るのは
困難な状況なので、
イベントなどには
参加出来ません。
ブログで報告される内容には、
同年3月に
震災の被害を受けた
三陸鉄道を支援するツアーなどもあり、
行けない事を
残念に
思う日々が続いてたようにも覚えています。
…で
偶々休みだったのか、
8月の誕生日に近いタイミングで
行われた
ライブチャットに参加したのが
初コンタクトでした。
コレは
距離で差別される事も
ナイし、
画面越しであれば
緊張も
少ないから、
初参加として丁度いいと思ったんですよ。
社長からの第一声は
「何か初めての感じがしない」でした。
…少し前から
ブログのコメントを書いてたからでしょう。
社員の
名前を
なかなか覚えない社長にしては
良い反応かと思います。
当時の
ライブチャットは
「社内会議」と題されており、例えば
「貨物
列車の勉強をしてみたい」等の
議題も存在しました。
集まる皆さん
もソノ方向では
博識な人が多いから、
打てば響く感じの場でしたよ。
ともあれ
離婚して
自由時間が増えた&
社長と出会って
鉄道趣味と
言う物に再び興味を持ち始めたので、休みの日などに
長距離の
乗り鉄に出掛けたり、
鉄道関係の博物館などを回るようになります。
本格的に
生参加のイベントに参入して
社長と直に対面するのは
同年の年末からなのですが、コノ辺りの事情は
次回に併せて書く
方が
適切かと思います。
暫くお待ちください。
…後に知り合った
渡辺(ゆゆ385-2)さんは私の事を「
アイドルに
ウツツを抜かして離婚に至った」と
勘違いしてたようですが、今回
の記事を読めば分かるように
「逆」ですからね。
※
→次回に続く
※コメント・感想は
→こちらまでお願い致します。
No.1589 ○○について考える
2023/08/05(Sat)
では今週も
土曜日になりましたので
「クラ駅長50年史」の記事を
挟む事に致しますクラ駅長です。
…
土日ネタは概ね、
仕事の休憩が
長く取れる
通し勤務の日に書く
事にしてるんですが、
夏場は
体力の消耗が激しいのか
先に昼寝
の時間を取ってしまう事が多く、
意外にギリギリだったりします。
しかし
1日に1記事、
そこそこ長い文章を書く事で
脳の活性化に
なると思ってますので、今後も
頑張って続けて行く事にしましょう。
需要はドノ程度あるのか
不明ですが。
今回は
2011年…
平成23年です。例によって
Wikipediaから
同年
の出来事と
鉄道関係の話題を拾ってみるんですが、
同年はやはり
3月11日に起こった
東日本大震災に終始した年だと言えるでしょう。
地域全体が壊滅するレベルの
自然災害と言えば、私は
20代の頃
に
阪神大震災を経験してるワケですが、今回は
東北地方と言う
比較的
遠い地域の出来事だったものの、
被害の状況が
桁違いだし、
カメラ付きの携帯電話や
アップロードの手段など、
映像が
リアル
タイムに届けられる仕組みが出来上がってたりして、より
ショック
が大きかったようにも感じます。
…てか
被災地が
東京に近かった事も、
騒ぎを煽る原因の1つだった
事は間違いナイでしょう。
東京には
テレビのキー局がありますから。
発生が確か
同日の午後ですよね?私は
飲食店勤務の仕事だった
んですが、
昼のラッシュが一段落して事務所で伝票の整理などの
事務仕事をやってました。
遠く離れた
大阪なので
建物が僅かに揺れた程度であり、最初は
自分自身の「立ち眩み」か何かだと思ったんですが、
上司も同様
に
揺れを感じたと言うので、
テレビだか
ネットのニュースサイトだか
を見たら
エラい事になってました。
被災地の1つである
福島県の太平洋沿岸にあった
原子力発電所も
被害を受けたので、
地震や津波の影響以外に
放射能による汚染も
懸念され、
当該地域は長期間に渡って
立ち入り禁止とされました。
原発が停まると
首都圏の電力供給にも
影響が出ると言う事で、
東京の都心部でも
「計画停電」なる物が実施され、話題になった
ように覚えています。
…「
電力の不足で
停電する」と言うのは
終戦直後以来の事だそう
ですが、
町のネオン広告などを
消すより、
テレビ局を2個ぐらい
止める方がよほど
電力の節約になると思います。
震災以外の出来事としては、国内の
新車販売台数で
プリウスが
カローラを抜いて
20年振りに
首位が交代したとか、
大相撲の八百長
問題、9月に
野田内閣が発足などが書いてあります。
…
野田内閣と言うのも
翌年の1月までと言う
短命な内閣ですよね。
自分が物心付いてから現在まで、「この人が
総理大臣になりました」
と言うタイミングで
顔を知らなかったのは
野田氏だけなんですよ。
同年の鉄道に関しても、やはり
東北の震災による被害の件が
一番
に来るかも知れません。
走行中の列車から直接的な
被害者が出たケースは
無かったように
思うんですが、
津波で流されて
転がった車両の映像などはカナリ
ショッキングな物でした。
当日は
直接的な被害の
無かった地域でも
線路状態の確認などで
カナリの路線が
運休し、
異常の無かった所から
運転を再開して行く
ワケですが、周知の通り
常磐線の一部区間などは
線路を
内陸側
へ移設しての
完全復旧まで、
10年近くを要した所もありました。
また
震災に隠れて
地味ながらキツいのが、
同年7月の
集中豪雨
によって
寸断された
只見線でしょう。
流失した
複数個所の鉄橋を
修理するのは
技術面より
予算の問題
で
厳しかったらしく、
全線が復旧するのは
10年以上先(令和4年)
の事になります。
新規開業や
新車のデビューとしては、
3月のダイヤ改正から
九州
新幹線の
博多~新八代が開業、
東北新幹線の
E5系のデビュー
などもあるでしょうか?
…
E5系は走り始めた
6日後に
震災が発生して、
出鼻を挫かれた
ような状況だったのかも知れません。
九州新幹線の全通は
震災
の翌日(3月12日)の事であり、「
祝賀行事とか
不謹慎!」みたい
に
ならなかったのかが気になります(覚えてナイ)。
さて
私は相変わらず、
大阪の枚方にある
テーマパーク内の店舗に
勤務していました。段々と
書く事が無くなってきたので、
同年の
5月に
大阪市内であった
交通事故の話を書いておきましょう。
…
大阪市浪速区の路上で
大型タンクローリーが歩道に乗り上げ、
その場に居た
歩行者2名を跳ねて
死亡させると言う事故が起こる
んですが、この
事故の原因が
些か複雑なのですよ。
① 道路を
自転車で
無理に横断しようとした
オッサンが居た。
② その
自転車を避けようと、
ワゴン車が
車線変更。
③ 更に
ワゴン車を避けるべく
タンクローリーが
歩道に突っ込む。
当然に最初は
③のタンクローリーの運転手が
逮捕されたんですが、
後の調べで
①と②の存在が
判明&特定され、
逮捕に至ります。
しかし最終的に
起訴されたのが
最初の原因を作った
①のオッサン
だけで、
②と③の運転手は
処分保留のまま釈放となりました。
コレは
交通事故の判例として、
極めて珍しいケースなのだそうです。
…前置きが長くなりましたが、この
②のワゴン車を運転してた
男性
が、当時
ウチの店で
土日だけバイトに来てた
私より年上のおじさん
なんです。調べると同日は
平日(木曜日)なので、
本業の仕事の
途中だったのでしょう。
すごく
物腰が柔らかで丁寧な人なので、
車の運転に関してもソノ
ような
無茶をするタイプではナイと思うんですが、新聞に
実名で
容疑者として報道され、やはり何週間か
仕事に来れませんでした。
結局の所、何日かは
警察に留置されたものの、
無事に釈放され、
上記のような報道と
復帰した当人の話で
疑いも晴れたんですが、
大阪の自転車のオッサンの
危険さは異常。…だと
再確認ですよ。
震災関連と
タンクローリーの事故に気を取られてるうちに、
自分
の事が書けなくなりました(書こうと思えば書けるが
規定の字数に
達したので
打ち切り)。
…明日は
日曜日ですが、同年の私事に関して続けて紹介する事に
しましょう。はい、いよいよ
離婚→木村鉄道の流れですよ。
※
→次回に続く
※コメント・感想は
→こちらまでお願い致します。
No.1588 ○○について考える