新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

近鉄電車展Ⅱ ③

2023/07/05(Wed)

さて天理参考館「近鉄電車展Ⅱ」続きですが、引き続き会場内
の展示を紹介して参りますクラ駅長です。

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現在の近鉄私の行動範囲最も被るのが、奈良電気鉄道
相当する京都線ですね。ココは昭和に入ってから開通になるよう
ですが、元は京阪と近鉄合同で出資して出来た会社だそうな。

だからは、丹波橋駅を介して相互乗り入れをやってたんですね。
淀屋橋~近鉄京都とか、あれば今でも便利だと思うんですが。

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南大阪線の母体となった、大阪鉄道に関する展示もありました。

吉野線は古くから大阪電気軌道に合併されてましたが、軌間が同じ
大阪鉄道相互乗り入れを行っており、古くから阿部野橋~吉野
ルートが確立されてたようです。

今回の展示の中で数少ない実物の鉄道用品として、近鉄移管後
特急「かもしか号」ヘッドマークなんてのもありますね。

駅名としては昔から「大阪阿部野橋」正式名なんでしょうが、
私が知る限り方向板の時代「あべの」と言う簡単な表記でした。

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しかし昔のパンフレットと言うのは見てて楽しいですね。
やはり写真より手書きのイラストの方が多いのですが、このような
モデルのお姉さんが現在の萌え絵に相当するんでしょうか?

そして先述の奈良電気鉄道昭和38年近鉄に併合され、概ね
現在の形に近い路線図完成したと言われています。

遥か昔の事のようにも思うんですが、私が生まれる9年前だと
考えるとソレほどでもないのか?

赤一色の通勤電車中学生の頃まで走ってたし、旧型の吊掛車
も辛うじて幼児の頃の記憶にあります。

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そして出口付近にソラリー式の発車案内の一部がありました。
「昭和50年代」とありますが、探せば今でも残ってると思います。

ツマミを回して手動で動かせるようになってますね。人目があるから
軽く触れた程度なんですが、全体が揃ってて誰も見てなかったら、
私はコレだけ1時間ぐらい遊んでられます

ヤフオクなどで売ってない事もナイんですが、やはり高いのよ。

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そんな感じで展示を全て見終え1階に降りてきました。
物販コーナーでドサクサに現在の近鉄のグッズも売られてます
が、資料用に今回の展示に関する図録を買って帰る事にします。

少し前に記事にした国鉄時代急行列車の話もそうですが、見たり
読んだりした資料ブログの文字に起こすと、歴史の流れ区間
の詳細再確認出来て、勉強になりますね。

今後もまた、面白そうな展示会があれば見に行きたいもんです。

…では次回ですが、続いての駅ノートまで日数が空いた代わり
に、模型部屋の作業大きく進んだので、変則的ですがソレ関係
の報告2日連続で挟む事にしましょう。




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No.1557 鉄道保存施設を探る

近鉄電車展Ⅱ ②

2023/07/04(Tue)

さて天理参考館で開催された「近鉄電車展Ⅱ」ですが、企画展示室
がある4階に登ってきましたクラ駅長です。

…ココからが本題なのですが、今年は現在の近鉄橿原線(当時の
路線名としては大阪電気軌道畝傍線)などが全通して100周年
京都線の前身に当たる奈良電気鉄道近鉄に併合されて60周
節目の年に当たるのだそうです。

奈良県内の私鉄線は現状では近鉄1社のみですが、昔は各路線で
会社が違っており、長い年月をかけて買収や合併を繰り返した後、
今のようなスタイルになったんですよ。

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会場前のスペースに「懐かしの近鉄電車」として昭和40年代後半
映像が映されてました。主に奈良線東大阪市内の区間のよう
ですが、この当時ならビデオカメラではなく8mmフィルムでしょう。

…右は今でも僅かながら残ってる8000系の、旧塗装&冷房改造前
の姿ですね。私の子供の頃の記憶にある近鉄電車って概ねこんな
感じなんですが、コレはウチの鉄道模型でも再現する予定です。

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ではメインの展示室を見て行きましょう。…ちなみに撮影に関して
は「動画は不可だけど写真はOK」と言う規定になっており、違反
行為ではありません

…普段は出土遺物や古文書の類を展示してるであろうスペースに、
パネル写真乗車券類古いパンフレットなどが入ってます。

博物館と言っても扱う展示物色々でしょうが、ココには鉄道関係
の資料カナリ多く所蔵されてると見ました。

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全部紹介すると膨大な量になるので、自分に身近な所から見て
行く事にしますが、まずはソノ畝傍線・橿原線ですね。私の実家
この沿線にあるので、普段からよく乗る路線です。

概ね大正時代奈良線平端→(天理線を買収)→橿原神宮前
順で延びて行った事になりますか。

当時は皇国史観の時代だろうから、橿原神宮人気の観光地
1つであり、ココに至る路線は「作れば当たる」と分かってたのかも
知れません。

乗車券は意外と軟券が多いようですが、これは同社が元々軌道線
(路面電車の体裁)でスタートしたから、車内売りが基本だった事
によるのだそうです。

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続いてが天理軽便鉄道。コレも大正時代の開通ですが、国鉄
法隆寺から天理を短絡する目的で作られた路線ですね。

明治期から桜井線(万葉まほろば線)は存在したものの、天理
天理教関係の需要が多く、奈良や高田を回るより早いと考え
られたのでしょう。

その後、上記の通り平端~天理大阪電気軌道買収され、以西
軽便鉄道のまま残る事になります。…1階にあったガソリンカー
その当時に導入された物の模型ですな。

ちなみに近鉄合併後天理線昭和63年まで単線だったので、
複線化工事に関して私もギリギリ覚えてますわ。

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そして大和鉄道。コレは新王寺~西田原本が今も近鉄田原本線
として残っていますが戦前更に東へ、桜井までの路線も存在した
んです。…しかし戦時中、例によって不要不急路線として休止
廃止されてしまいました。

最初は1067mm軌間の軽便鉄道としてスタートし、蒸気→内燃化
経て信貴生駒電鉄近鉄と変わりました。

廃止された区間にあった味間駅残ってれば私の実家の
最寄駅だった筈であり、もっと大阪へ出やすかっただろうと思うん
ですが、そんな設定で架空のダイヤを組んでみるのも楽しいかも
知れません。

そんな感じで、更に館内の見学を続けて行きましょう。

→次回に続く



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No.1556 鉄道保存施設を探る

近鉄電車展Ⅱ ①

2023/07/03(Mon)

…ココ最近、駅ノート実家関連昔話ばかりが続いてる当ブログ
ですが、箸休め的な企画として、先月まで天理参考館で行われてた
「近鉄電車展Ⅱ」と言うのを見に行ってきましたクラ駅長です。

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天理参考館と言うのは天理大学に付属する博物館的な所であり、
当たり前の話ですが奈良県天理市にあります。いつも日常的に近く
を通るんですが、中に入るのは初めてですね。

…やはり天理教の施設なので、同系列の病院などと同じく独特な
デザインの建物ですが、資金力が豊富なのでソノ辺りの公共の
博物館や図書館よりカナリ充実した物だと聞いております。

その天理参考館企画展として「近鉄電車展Ⅱ」と題した特別展
あると言う事で、行ってきました。

「Ⅱ」と言う事は過去に「Ⅰ」もあった筈なんですが、調べてみると
2014年の事だそうな。木村鉄道忙しい時期なので、見落としてた
と思われます。

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企画展同館の4階だと言う事ですが、エントランスを入るといきなり
気動車実物大模型が展示してありました。昭和初期天理軽便
鉄道で使われていたガソリンカーのようです。

…当然に古い写真でしか見た事ナイんですが、単端式と呼ばれる
片運転台の車両当時の軽便鉄道で割と多く見られた気動車です。

キド1型と言うんですか。「キド」って何なんでしょう?

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天理軽便鉄道と言うのは、関西本線法隆寺(隣接する新法隆寺
から天理までを結んでいた軽便鉄道ですが、後に近鉄に買収され、
途中の平端~天理は現在も近鉄天理線として残っています。

平端~天理1435㎜改軌され、大阪からの直通電車が走るよう
になるんですが、法隆寺側762㎜の軽便軌道のまま放置され、
戦時中不要不急路線として廃止されてしまいました。

…ココに関しては、過去に廃線跡を歩いた事がありますね。

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実物大とは言っても模型なので、ベニヤ板や段ボールで作られた
物のようですが、コレだけ大きな物だし恐らくは古い写真簡単な
設計図程度から立体に起こすのは大変な作業だと思われます。

単端式の気動車片方にしか運転台が無く、終点に着くと転車台
などで方向を変える必要があります。定員20名~30名程度と
言うから、輸送力としてはマイクロバスみたいな感じでしょう。

フロントに古い自動車のようなボンネットがあり、Fordのエンブレム
が付いています。当時からこのデザインなのかしら?

…コレが流行った昭和初期アメリカでは自動車の大量生産
始まったものの日本ではソコまでの工業力が無くFordのエンジン
輸入して車体だけ日本で作ってたそうな。

詳しい資料ナイんですが、恐らくは日本車輛製で、同型の車両
各地の軽便鉄道に納入されたと思われます。

Wikipediaを読むと「軌道自動車」と呼ばれてたケースがあるらしく、
「キド」ソノ辺りに由来するのかも知れません。

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そして4階に上がると、フロアの入口にHOの鉄道模型がありました。

コレは今回の企画展とは無関係元から置かれてる物で、定期的
に走らせる事があるようです。

…やはりHOゲージと言うのは大きくてリアルなんですが、価格が
高いのとストラクチャーの市販品少ないのが難点でしょうか?

車両のラインナップに関しては「気持ち分かるぞ」と言う感じです。

…しかし概ね短かめであり、国鉄時代の優等列車にしては迫力に
欠けますね。やはり大きすぎるので、リアルな長編成を走らせる
のも大変なのでしょう。

ともあれココからが本題と言うか、続けて企画展示室の方を見学
する事にしましょう。

→次回に続く



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No.1555 鉄道保存施設を探る