新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

駅ノート 原谷

2020/09/24(Thu)

さて天浜線ですが、掛川駅から約15分の乗車で今回の目的地である
原谷駅に到着しましたクラ駅長です。着いたのが駅舎と反対側の
ホーム(2番線?)だったので、ココから始めて行きます。

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…いきなり「日本一長い?プラットホームベンチ」なる物がありました。
「?」と付いてるだけにネタなのでしょうが、私の記憶では日豊本線
中津駅でも同様に唄ってる物があった筈です。

実際に巻尺などを用意したワケではありませんが、待合室の建屋から
両端が僅かにハミ出てますから、Googleの航空写真で測ってみると
約10mある事になります。…お、中津駅のソレいい勝負ですね。

しかしココは「プラットホームベンチ」であり中津駅「ハモの椅子」
銘打ってますから、名前の付け様で幾らでも日本一が作れるのも事実。
…そんな2番線の待合室「毛虫注意」だそうです。初めて見たわ。

構内踏切を渡って駅舎側へ行きましよう。…駅の読み方は「はらのや」
と言うようですが、ずっと「はらたに」で変換してました。その構造の通り
2面2線交換可能な駅です。

改札口には古めかしい木造のラッチが残ってますね。蝶番動きます

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外側から見た駅舎こんな感じです。昭和初期に建築された一般的な
ローカル線途中駅の雰囲気で、屋根の上にある看板は会社名も「駅」
の表記もなく「原谷」のみ

ソレとは別に表札のような縦書きの駅名看板がありました。そして今と
なっては珍しくもナイですが、この駅舎文化財指定を受けています。

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当然に元は有人駅だったようで、建設当時流行だったと思われる
45度角度を切った出札窓口が特徴的な構造でした。

天浜線無人駅には町興しを兼ねて飲食店理髪店などの店舗が
入居してるケースが多いのですが、同駅には「ポッポ屋原谷会」なる
看板が出ていました。

商店ではなく地域サークルのような団体だと思われます。貼り紙
駅舎内の展示物から推測するに、絵手紙の教室だったりコーラスの
サークルだったり?

…しかし謎のウイルスの影響で「無期限休止」の状況だそうな。

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駅ノート同団体設置&管理してるようで、日付からして2018年の
春頃から存在するようですが、ネット上情報が上がったのがつい最近
の事であり、絵師さんゆっくまーシール未踏の状態でした。

…つまり私がソレに関して(シールは貼ってませんが)一番乗りです。
屋内に吊るしてある割に傷んでおり、ページがカビてる所もあります。

途中でやってきた列車は例の音街ウナラッピング車両でした。
…以前から同社とのコラボ企画が見られますが、ヤマハが開発した
ヴォーカロイドだと言う事で、ヤマハ浜松ウナギの連想なのか?

見ての通り、巨大ウナギの被り物尾ヒレを含む胴体のような髪
特徴ですが私の心が汚れてるのか、モノによっては髪の先大きく
なった陰茎に見えて仕方ありません。

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そして同駅は、2004年に放送されたドラマ「ウォーターボーイズ2」
ロケ地になった所だと言う事で、撮影用の小道具として造られたと
思われる駅名票が飾られています。…よくあるパターンですね。

…劇中では「姫乃」と言う駅名だったようですが、内容に関しては全く
知りません。先に公開された同名の映画なども含めて「男子高校生
シンクロナイズドスイミングに挑戦する話」とだけ知ってる感じです。

ともあれ初めて来た駅なので簡単に駅舎の正面てん音街ウナ
そしてのろ水泳部風のキャラにしておきましょう。…音街ウナの衣装
は実際に作ったらカナリの重さになりそうな気がします。

…今回は鉄道利用なので、ダイヤに合わせて3時間程度滞在する
感じで行路を組み、再び掛川経由日帰り帰宅です。

翌日&翌々日お休みだったので、直接は繋がってませんが続いて
紀勢本線へ行きます。三重県内でまた新規設置の駅があるのですよ。

→次回に続く



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No.543 駅ノートの記録

天浜線への旅2020 ②

2020/09/23(Wed)

因美線4箇所駅ノートを描いた帰りゆっくまーシールのサイトの
情報を元に、赤穂線備前福河駅寄り道しましたクラ駅長です。

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「備前」と付くから岡山県かと思われがちですが、ココは兵庫県です。

Wikipediaで調べてみると、やはり元は岡山県(日生町)だったのが、
昭和38年に同駅を中心とする地区が兵庫県(赤穂市)に編入された
のだそうな。越境合併と呼ばれる措置ですね。

に着く手前に小高い峠があり、地形的にもソノ方が自然です。
恐らくは岡山側より赤穂市の方と結び付きが強く地元の人の強い
要望などがあったのかも知れません。

…しかし駅ノートはありませんでした。空振りですね。まぁ存在を
知って
間がなかったのと、過去に絵が描かれた実績確認されて
ません
ので、ココは誤報に近い物として番外編にも入れません

一応、考えてたネタのような感じです。発想が無駄にならない
ように簡単にだけ描いてみましたが、赤穂と言えば忠臣蔵でしょ。

芝居映画などで出て来る赤穂浪士討ち入りの衣装火事装束
であり、実際の討ち入りは冬場だからよかったようなものの、今時分
季節だと暑くて仕方ナイだろう?と言う感じにしてみました。

さて新たな報告ですが、続けて駅ノートです。

日々その存在を色んな媒体(主にツイッター)で探して、対象範囲内
新規の物を発見すれば記録して描きに行くワケですが、そんな中
で見つけたのが天竜浜名湖鉄道(以下天浜線)の原谷と言う駅です。

天浜線ユリカモメで有名な浜名湖佐久米駅にあって、今年の1月
訪れましたが、その後の発見だったので単体での訪問となりました。

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今回は自動車使わず東海道新幹線「こだま」掛川まで行き、
天浜線に乗り換える事にしましょう。…久し振りに日帰りです。

静岡県内は他に大井川鉄道本線幾つかの駅と、コレまた新規発見
となった岳南電車吉原駅も予定してますが、今回はイイや。
掛川~吉原新幹線だと新富士)ってカナリの距離ですからね。

新幹線自体が空いてるのと、「こだま」なんか特に。と言う発想で
自由席にしました。新大阪発の「こだま」としては始発708号です。

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掛川に来たのも久し振りですね。連絡改札を通って天浜線の乗り場へ
出ました。先発は向かっての列車…TH2100型です。

TH9200型イベント用にも使える車両で、カラオケモニター
テレビなどが装備され、座席は転換クロスシートになっています。
平成筑豊鉄道における501号車みたいなもんでしょうか?

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浜名湖北岸新所原~掛川を結ぶ同線ですが、目的地の原谷駅
掛川からの方が近く15分程度で着くようです。

原谷までは片道360円有人駅券売機では往復切符が買えるので、
今回もマトメて買っておきましょう。

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乗り潰しで乗った時は新所原→掛川の方向だったので、こっちから
乗るのは初めてかも知れません。旧国鉄の路線に乗った時のクセで、
発車したら「JRと線路は繋がってるのか?」のチェックをします。

同社両端がJR(東海道本線)と接続していると言う、珍しい形
路線なので(元はバイパス的な発想で造られたのかも知れません)、
反対側新所原駅も同様なのですが、渡り線が確認出来ました。

天浜線と言えば、やはり浜名湖畔を走るイメージが強いのですが、
この辺りは概ね内陸部の盆地の風景が続きます。

約15分小旅行でしたが、無駄に揺れる1両の列車ローカル線の
旅情に溢れています。…と言う事で、間もなく目的地の原谷駅ですよ。

→次回に続く



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No.542 乗り鉄日誌>第三セクター路線

駅ノート 美作滝尾②

2020/09/22(Tue)

さて因美線駅ノートですが、津山駅近くのα-12泊した3日目は、
最も帰りやすい(中国道のインターに近い美作滝尾駅を残してあり
ましたので、ココを描いて帰る事になりますクラ駅長です。

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近隣の他のノート設置駅と同様、昭和初期から残るレトロな木造
駅舎の駅です。そして同駅に関しては映画のロケ「男はつらいよ」
に登場した事が知られており、ソレを売り物にした駅でもあります。

「寅次郎紅の花」は、寅さんシリーズ48作目…実質的な最終作です。
駅舎内には撮影の様子を写したパネル写真が数多く飾られてますが
ソノ辺は前回に訪問した時に紹介しましたので割愛しておきましょう。

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駅舎内国鉄時代の雰囲気で溢れております。…何なら各地から
備品などを持ち寄ってわざと展示してあるぐらいの勢いですね。

寅さんシリーズも始まった当初は昭和40年代前半であり、こんな
雰囲気の駅も各地に素で残ってたワケですが、最終作平成なので
既にJRに移管しており、当時も貴重な存在だったかも知れません。

手荷物貨物を扱ってた関係で、窓口ソレに関する案内がある
のは当然としても、ハカリリヤカーまで残ってるんですね。
…コレが後々、今回のネタのヒントになりました。

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前回も感心して見入ってしまった駅務室です。施錠されてますが窓越し
に見ると、現役当時の雰囲気のまま残してあるんですよ。少し埃っぽい
のを除けば、今にも誰かが駅の仕事を始めそうな感じです。

…壁には右のようなポスターがありました。国鉄時代特急列車
新幹線などの正面ヘッドマークなどを並べたやつ。確かにあったね
交通博物館(当時)などに行くとお土産に売ってた記憶があります。

キハ82とかは同じ車両が並んでますが、ヘッドマークは全部違う筈。
でも当時の技術なら、ソコだけ抜いて合成するより実物を取り換えて
撮った方が手っ取り早かったかも知れませんな。

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そんな駅舎前回に描きましたので、今回は敷地の奥にある建物
ネタにしてみましょう。…構造からして貨物用のホームと倉庫だと
思われます。建物はそのまま自転車置き場に使われていました。

はい、やはりソレの上屋である事を示す札が付いてますが、当然に
線路は撤去されてて何故か栗の木が植えられています。

…昔は一般的な中間駅でも貨物の取り扱いが盛んに行われており、
この辺だと農作物を出荷するのに貨物列車が使われてたのでしょう。

行き止まりになった側線貨車を入れておいて荷物を積み、通り
かかる貨物列車連結して行く(又は切り離して側線に入れる)と言う
システムは分かるんですが、各駅全部ソレをやってたら大変でしょ。

停車する→車掌車を外す→貨車を追加する→また車掌車を繋ぐ?

ホントにを一々そんな事をしてたのか?が信じられないのですが。
そして積む前の空の貨車どのタイミング用意するのか?

ソレを更に最寄りの貨物ヤード行先別に仕分けして…と言う手間で
到着日時ハッキリしない事が嫌われ衰退して行ったワケですから。

ドコを調べてもソノ辺の事出てきませんので、ご存知の方があれば
また教えて下さい

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駅ノートはココでは最新刊しか公開されてませんので、常に1冊しか
ナイのですが、絵師さんの作品としては小さい物が3点

…先程の知和駅同じ日付なので、例の「絵師さん合宿」大人数
津山方面まで来て、グループを分けたのだと思われます。ふーん。

と言う事で、私はソノ貨物用ホームを描いてみました。

農作物を出荷するにしても、恐らくは地域の農協などの仕切り
もっと大量に積み込んだと思われますから、こんな個人レベルの量
ではナイかも知れませんが、雰囲気重視ですよ。

リヤカーこんな感じでイイですか?小さい頃に住んでた実家にも
あったんですが、詳しい構造とかもぅ忘れたな

と言う事で今回は元々の予定因美線の4駅だった所を、智頭急行
の2駅も新規に描けて、短かいけど充実した旅でした。

…この調子で行くと今年は100枚を超えそうですね。まだまだ描くよ




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No.541 駅ノートの記録