新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

駅ノート 紀伊長島⑤

2023/09/18(Mon)

…と言う事で紀勢本線の駅ノートですが、1泊2日のうちの初日で
熊野市と尾鷲の5巡目を描き、そのまま尾鷲市内で1泊。2日目の
朝から紀伊長島にやって来ましたクラ駅長です。…ココも5巡目な。

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同駅にはパーク&ライド用と思しき無料の駐車場が完備しています。
バスのロータリーもソレに付属する感じで、駅舎に向かって右側にある
ので、駅舎前の歩道は広く取ってありますね。

…前回に来た時に絵のネタにしたんですが、駅舎の入口に向かって
左側に、「ワイドビュー南紀」をPRする広告看板があったんですよ。

同駅から特急「南紀」と東海道新幹線「のぞみ」を使えば、東京で
約6時間半の滞在時間が取れる。…みたいな内容だったんですが、
ダイヤ改正で時間が変わり、また「ワイドビュー」と言う冠詞が無く
なったので、削除に次ぐ削除でカナリ中途半端な物になってました。

私は「HC85系に変わったら丸ごと新しくなるだろう」と予想してたの
が、看板そのものが無くなってました。…コレは思い切った話です。


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同駅も有人駅ですが、窓口の営業時間が限られています。前回に
来た時の様子では、9時40分の営業開始とともに駅員さんがノート
を出してましたので、今回は「ソレに間に合えばいいだろう」と余裕
をかまして来たんですが、既に出た状態でした。

…担当する駅員さんによるのかも知れませんが、2日目はココを
描いて帰るだけなので、特に急ぎません。

新規の絵師さんの作品は、デハニ会さんのが1点のみありました。

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窓口が開いて9時47分発の多気行きの普通列車が着くと、実質的
に営業開始の雰囲気です。

…窓口の造りは国鉄時代そのままです。実質的に1往復しかナイ
「寝台券」や、臨時列車でしか存在しない「急行指定券」などの表記
も残ってますね。

特急「南紀」がモノクラスになったから、同駅からの「グリーン券」
と言うのも今では売られる事はナイかも知れません。

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季節柄、改札口付近に風鈴が飾られてました。駅と言うのは列車の
出入りで定期的に風圧が来るから、特に風のナイ日でも鳴ります。
…単純な演出ですが、私は結構好きですよ。

そして三重県(殊に伊勢地域)では、一般的には正月用の注連縄を
1年中飾る風習があります。

…「紀伊長島」と言うだけにココは旧国名では紀伊国なんでしょうが、
土着の習慣と言う物に明確な国境はナイのでしょう。

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ココでも下りの「南紀1号」を撮るのが恒例になってますが、何故
かまた列車の到着前後だけエラい雨になりました。
…山間部で引っ掛けてきたのか、排気筒に木の枝が絡まってます。

さて今回は、ドコかで「新型車両デビュー記念」を描きたかったので
最終地点で簡単に済ませるべく、お馴染みの「電車ごっこ」にしてみ
ました。…「気動車ごっこ」が正しいのか?

特急「南紀」もデビューして45年、車両が3世代目と言う事になる
んですよね。…旧キハ85系の時代が矢鱈と長かったワケですが、
やはり私らのイメージでは「新型車」の部類です。

しかし今回は矢鱈と雨が降りますね。ソノ辺も含めて「おまけネタ」
に続けましょう。

※→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.1632 駅ノートの記録

趣味に関する秘話 ①

2023/09/17(Sun)

ココまで色々と書いてきた「クラ駅長50年史」ですが、趣味関係の
変遷について軽く流しただけだったような気がするので、幾つかの
ジャンルに関して、私なりの考え方や当時の人間関係について
細かく述べてみたいと思いますクラ駅長です。

過去の記事に何を書いたのか、自分でも忘れてる場合が多くあり、
繰り返しの内容になるかも知れませんが、軽い総集編だと思って
頂ければ幸いです。

…場合によっては限定公開にするかも知れませんが、取り敢えず
当たり障りの無さそうな所からいってみましょう。


① 写真

今も昔も、鉄道趣味からカメラに入っていく人と言うのが一定数
居ると思われます。私もソノ1人ですが、時代的に1980年代後半が
中学生~高校生だったので、国鉄の分割民営化やソノ後に来る
バブル景気と被るんですよ。

…当時の撮り鉄のメインは、やはりジョイフルトレインでしょう。

余り気味の12系や14系が主体であり、JRの各支社で個性豊かな
車両が多くありました。しかし私はあまりソレには興味が無かった
と言うか…数が多すぎて追い切れなくなったように思います。

また当時は今のようなインターネットやSNSが無かったからあまり
知られてナイだけですが、その頃から撮り鉄のマナーと言うのは
あまり良いものでは無く、駅などでの罵声や他人を押し退けて場所
を確保するような行儀の悪い輩が存在しました。

…そう言う所に辟易としたと言うか、私は鉄道を撮るにしても、駅の
風景や乗務員さんを絡めて「人が写ってる構図」の方向に行きます。

で高校から大学と写真部に在籍し、色々と撮ったワケですが…

高校は設備もソレほど充実しておらず、技術的な事も全体的に拙い
物だったと思われますが、大学で一気にクオリティーが上がったと
言うか、高度な事を求められて戸惑いました。

…まぁ何事も上を目指すのはイイ事なんですが、先輩と言うかOBの
口出しが厄介で困ったんですよ。

部の行事として年に何度か写真展をやるワケですが、OBが顔を
出すのはイイとして、矢鱈と酷評されるのが嫌でしたね。

…それも撮り方や焼き方の技術面の話ではなく「こんな作風は若者
らしくない」みたいな単なるそいつの主観だったり、私のように駅の
風景ばかり撮ってると「内容が片寄りすぎてる」とか。

人によって好きな被写体や、撮りたいジャンルは自ずと固定化され
て行くと思うし、「こいつは鉄道が好きなんだな」で済ませればイイ
と思うんですけどね。

今でも旅先などでは主に記録として撮る事は多いです。しかし肖像
権とか個人情報にウルサい時代になったので、無許可でその辺の
乗客を勝手に撮るとか出来ない状況になってしまいました。

…でココまでデジタル写真が普及すると、昔みたいな暗室作業
などもナシで済む時代になりました。

何れも卒業以来殆ど関わってませんが、どうなったんでしょうね?
完全な偏見ですが何となく、当時のOB(現在の歳で60前後)がまだ
口出ししてそうなイメージがあるわ。


② 車(Y31系セドリック)

この話は初めてだと思います。今まで何台か乗り換えた自家用車
のうち最も愛着があり、今年で車齢17年になっても伊藤かずえさん
のシーマなみのレストアを自費で行って乗り続けてるワケですが。

変わった車だと言う自覚はあるから、やはり当時は「同じ車種の
他のユーザーはどの程度居て、日々のメンテナンスとかどぅしてる
んだろう?」とか気になるもんです。

…当時(2006年)だとインターネットはあれどTwitterはまだ普及
しておらず(奇しくも同年からサービスが始まってる)、今より若干
の不自由がありました。

またブログと言う物も黎明期だった筈であり、「○○さんの部屋」
みたいな個人サイトの方が主流だったように覚えています。

だから「Y31」系とかで個別に探して、ソコに付属している掲示板に
書き込むのが一般的な連絡の取り方でしょう。

そんな事で関西でも何人かのユーザーが居る事を知り、掲示板
を通じての遣り取りを始めたんですよ。その人たちは当然に、時々
実際に集まって車を並べて語り合うオフ会もやってたようです。

…話は脱線しますが、名古屋にあるオートバックスのある店舗で、
車関係のオフ会に協力的な所があり、予約すれば駐車場の一角
をソレ用に占有させてくれる所があったりしたようです。

しかしその手のオフ会と言うのは、当然に土日祝で開催される事
が多い(と言うか全部)。観光地の飲食店に勤務してた私にすると
滅多に参加出来ず、後の報告を羨ましく見るだけになってました。

一度だけ無理矢理に、夜になってから途中参加で行った事があり
ました。基本的には新参者の私にも親切に対応して貰え、その日
は楽しく過ごす事が出来たんですが…

その後メンバーの人たちは「みんな個々に連絡を取り合える状況
にあるから」と言う理由でホームページを閉じてしまい、新入りの
私は置き去りを食らってしまうんですよ。

…意図的に私が除け者にされたワケではなく、実際にソノ理由で
私は単に忘れられてただけだと思いますが、何か寂しい話です。

Y31系には以後もずっと乗ってますが、車の趣味に関して誰かと
繋がる事は無くなってしまいました。話し掛けられるのは駐車場
のオッサンの「懐かしいねー」みたいな世間話だけです。

…時代は流れてますから、今はY31系の絶対数も減ってるでしょう。

今なら日程的な自由も利きそうだから、集まりがあれば参加出来る
とは思うんですが、自分から発信するのはガラじゃありません。
なかなか難しいものがありますね。


そんな感じで次回以降も、年代を追って他の趣味に関しても色々と
思い出してみる事にしましょう。

※→次回に続く



※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。

No.1631 ○○について考える

クラ駅長50年史 ㊺

2023/09/16(Sat)

今週も土曜日になりましたので「クラ駅長50年史」の報告です。
…段々と惰性でやってるのが自分でも分かるんですが、今回も取り
敢えず既定の字数(2000文字)を目指して頑張って書いてみましょう。


今回は2017年…平成29年ですね。段々と「現代」ですので、記憶に
新しい事も多いですが、例によってWikipediaから見てみましょう。

まず同年の世相として「忖度」「インスタ映え」が流行語だと書いて
あります。…6年前の出来事なので、恐らく今でも通じる物ばかり
ですが、Instagramは私も手を出さないまま現在に至ります。

…Twitter(今はXと言うのか?)があれば充分だし、見た感じどうも
日常の些細な事と言うより、文字通り「映え」を重視したアホみたい
な内容のが多いような気がして。

後にネットスラングとして「インスタ蝿」と言うのが出てきましたが、
コレはホントによく出来た言葉だと思います。…で更にアホみたいな
物の最上級として、TikTokが登場するワケですが。

そして同年の出来事として覚えてるのが、東京の明治神宮などで
油と思われる謎の液体が撒かれる事件?が起こった事でしょうか。

…実はコレの模倣犯だと思われる事件が奈良でも発生しており、
東大寺の大仏殿に液体が掛けられたんですよ。

調べると成分はコーヒー牛乳だと分かったそうですが、全く意味が
分かりませんね。犯人は捕まったんでしょうか?


同年の鉄道関係の出来事としては、大きな話題としてJR西日本
の「瑞風」、同東日本の「四季島」がデビューした事が挙げられる
でしょうか?。…双方とも現在でも人気の豪華列車ですが、価格が
高い事より切符の取り難さで躊躇してしまう物件です。

また同年の3月、長野県上田市内の北陸新幹線で、線路内に入った
男性が列車に撥ねられて死亡する事故が起こっています。

…コレも当時の報道を覚えてますが、コイツは確か撮り鉄でしょ。
好きな列車に撥ねられて死んだら本望じゃナイのかな(ブラック)。


さて私は先述の通り前年から、木村鉄道の活動を縮小しつつあった
ワケですが、その少し前から色々あって全てのイベントには参加
せず、「実物の鉄道が絡む物」に限定してあったんですよ。

…要するに社員旅行や貸切列車には行くけど、ショッピングモール
内みたいな所のステージイベントは不可。みたいな感じです。

なので頻度が一気に減って、最終的には年2回の社員旅行や秋の
貸切列車
などの近ツー物だけになってました。

この頃から社員旅行も2泊3日が常態化しつつあったと思うんです
が、2月の九州は人吉機関区や「ブルートレインたらぎ」には行かず
熊本電鉄のみとか、6月の東北地方は秋田内陸線と弘南鉄道には
行かず由利高原鉄道だけとか…間引きが多くなります。

社長との関係は上手く行ってなかったけど、仲のいい社員さんたち
に会えるのは楽しみなんですよ。なのでコノ辺は社長の写真も殆ど
撮ってませんが、この「横の繋がり」があったお蔭で、何とか楽しく
過ごす事が出来てました。

…尤も前年辺りから父親の体調が悪くなり、万一の場合に備えて
遠方への旅行を自粛する流れになってたんですが。


 その代わり凝りだしたのが、鉄道模型とお絵描き教室でしょうか?

鉄道模型は同年の2月頃、三岐鉄道の丹生川駅近くにある「貨物
鉄道博物館」を訪れたのがキッカケです。…ココでチャリティーと
して中古の鉄道模型が売られており、スタッフの方に勧められて
DD51型を1両買ったのが始まりです。

当時住んでたワンルームアパートでは限られた大きさの物になり
ますがソレなりに工夫してジオラマを作り、車両を増やして行く事
になります。

…まぁ折角6両セットの編成を買っても4両に減車しないと使えない
物でしたが、何度か試行錯誤して現在実家で製作中の大きな物を
作るための基礎知識を体得する事が出来ました。


そしてお絵描き教室ですね。

…乗り潰しの時に訪れた駅で、駅ノートの丸々1ページを使って
目立つイラストを描く「駅ノート絵師」なる人たちの存在を知り、
その中の1人の方が北条鉄道でボランティア駅長をすると言うので、
時々参加するようになります。

木村鉄道がヒマになったので時間も取りやすく、丁度いい転属先
のような感じでした。尤も最初の頃は、自分で駅ノートに絵を描いて
回る事までは考えてませんでしたが。


そして同年の年末、父親が亡くなりました。昭和8年(1933年)の
生まれだから享年84歳ですね。…「誤嚥性肺炎」と言う、喉に物を
詰まらせた事が死因とされていますが、実質的に老衰でしょう。

現役時代は教師で、定年後も嘱託で近所の児童館の館長さん
みたいな仕事をしてたんですが、とにかく仕事以外に趣味のナイ
人だったから、ソレも終わってしまうと自室でテレビを観てるだけ
の生活になり、一気に老け込んでしまったように思います。

…足腰が弱って認知症も進むと、同じ歳の母親では介護がツラく
なり、何年か前から施設に入ってました。

84年間の人生で「建物の1階でしか暮らした事がナイ」と「デニム
を着用した事がナイ」と言う、謎の記録を持つ人でした。

酒飲みだったけど自動車の運転免許が無かったので「何とか死な
なかった」部類の人だと思われます。最後まで煙草がヤメられず、
畳に幾つものコゲを作ってました。…リフォームに苦労したわ。

亡くなる少し前から遺産(銀行預金など)の整理をやってたし、
亡くなったら葬式の仕切りもせにゃなりません(私が喪主)。

…その後も母親の年金の切り替えなどの手続きをする事になり
ますが、母親の脳みそもソロソロ衰えが見え始めており、殆ど
私が代行したんですよ。

年末年始を挟むので、実際に動くのは年が明けてからと言う事に
なりましたが、父が生まれた戦前の明日香村の戸籍と言うのは、
筆書きの書類をスキャンして保存してあったらしく、発行手数料が
600円もしましたな(通常は300円程度)。


昨今は「終活」と言う言葉が盛んに使われており、私も詳しくは知ら
ないものの、遺品や遺産はアタマがしっかりしてるうちに出来るだけ
シンプルにしておく方がイイのでしょう。

…そんな発想のない時代の人たちなので苦労させられましたが、
自分はソレを反面教師にする積もりです。…てか私は死ぬ前日まで
でも、アタマはハッキリしてる自信はあるんですけどね。

※→次回に続く



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No.1630 ○○について考える