2023/03/13(Mon)
…世の中には
人知を超えてドンくさい人が居る物でして、下は私が
仕事中に見た
駐車車両です。
奈良市内のある
駐車場での事なんですが、
バックで駐めようと
したんでしょう。
軽自動車が見事に
背後の壁に
ぶつかってます。
しかも
左の後輪は
車止めを
乗り越えないと来ない位置まで来て
ますから、
普通はココで気が付くと思うんですが。
そして
このまま放置して
車を離れてる事にも驚きました。恐らくは
壁に当たってる事にすら
気付いてナイのでしょう。…表示などは
ありませんが
高齢者だろうなと。
壁だから
まだイイですが、相手が
他人の車とかになる可能性もある
ワケだし、
こうなったら終わりだなと思いましたクラ駅長です。
さて
新たな報告です。日々
Twitterで
「駅ノート」を検索してる中で
見つけた
新規確認の駅として、
岐阜県の
高山本線の
飛騨国府駅へ
行く事になりました。
…
少し前に行った
上枝(ほずえ)の
隣の駅なんですが、その場で
「ついでに探す」と言う事を
殆どしないので、
知らなかったんです。
今回は
単品で行って、
2回目は
上枝と飛騨国府の
セットで回れば
イイだろうと、
なるべく早めに行く事にして
2月初旬に敢行しました。
そして
1駅では勿体ないので、帰りに
比較的近い所で
間がカナリ
開いてる東海道本線の
美濃赤坂に
寄り道します。
飛騨方面へは
名古屋経由で
東海北陸自動車道です。相変わらず
郡上八幡から先が
冬タイヤ規制ですが、今回は
スタッドレスタイヤ
を付けて来ました。
…しかし
前半は
イイお天気だし、
規制区間に入っても道路は
完璧
に除雪されてるから、特に
必要なさそうな気もします。
取り敢えず
ひるがの高原で
小休止を入れましたが、ココも基本的
には
除雪が行き届いております。…しかし駐車スペースに
放置され
てる
トレーラーがありますな。
前回、大井川からの帰りにも見たんですが、
積雪の中で
走る事を
諦めたような
大型トラックを時々見かけるのは
何故だ?
…あんな
超熟練者が乗る車でも、
ノーマルタイヤなんでしょうか?
日本の高速道路の
最高地点だと言う
松ノ木峠を越え、
飛騨地方に
入ります。この辺りも
周囲の積雪は
エラい事になってますが、
道路
は
完全に除雪されてて、
難なく走る事が出来ました。
てか
規制と言いつつ、
検問などが
設けられてるワケでは
ありません
でしたね。
北陸道の
木ノ本辺りだと、
全ての車が一旦
外に出される
場合があるんですが、
そんな必要もナイほど
常識なんでしょうか?
どうせ
通り道なので、
年末に
来たばかりの
上枝にも寄って、
その後
の変化がナイか
確認しておきましょう。…
デハニ会さんの絵の下に、
じょにーさんの
青クマさんシールが追加されてました。
この後
ゆっくまー一家には
「みっくまー」と言う
女の子キャラが参入
するんですが、この時点ではまだ
未発表であり、
グッズも
発売され
てませんでした。
…今後は
貼られるシールにも
バリエーションが増えるのでしょう。
では続いて、
今回の目的地である
飛騨国府駅へ向かう事にします。
※
→次回に続く
※コメント・感想は
→こちらまでお願い致します。
No.1443 軽トラック運転日報
2023/03/12(Sun)
毎週土曜日に連載しております
「クラ駅長50年史」ですが、
中学生
~高校生と言うのは人生の中でも
「激動」な部類に入る時代だと思う
ので、ココまでを振り返って
「抜けてたな」と言う話を
幾つか拾って
みる事に致しますクラ駅長です。
私が行ってた
中学校は、
給食設備が
無かったので
昼は弁当持参
が基本なのですが、
お茶を給湯する設備(
風呂屋の蛇口のような所
から
お茶が出てくる)があって、
クラス毎に
当番が
大きめのヤカン
2つ分の
お茶を
給湯室まで取りに行くシステムだったんですよ。
加えて
冬場はコレに、
弁当箱を保温する設備が使われます。
朝のうちに
金属製の籠に
全員の分の弁当箱を入れ、恐らくは
蒸気
で保温する仕組みなのだと思われます。
…しかし
3年生のクラスは何故かコノ
当番が
機能しておらず、
誰も
取りに行かない。で
仕方ないから私が行くワケですが、当然に
自分
の分と、
お茶も
大きなヤカンに
自分の1杯分だけを汲んでくると言う
嫌がらせをよくやってました。
担任の石橋先生に軽く
怒られました
(突っ込み程度)が、そんな物は
責任を果たさない方が悪いと思うので、特に
反省もしませんでした。
石橋先生と言えば
3年生の社会科で
「公民分野」について習った時、
「
俺が発見してまだ
誰も知らない学説がある」と披露してくれた話が
あるんですよ。
当時は
ロシア大陸に
「ソビエト連邦」と言う
共産主義の国家があった
ワケですが、ココの
政治的なトップである
共産党書記長は、ある
一定
の法則に従って輩出されてると言うんです。
・
レーニン…
ハゲ
・
スターリン…
髭が立派
・
マレンコフ…
七三分け
・
フルシチョフ…
ハゲ
・
ブレジネフ…
眉毛が太い
・
アンドロポフ…
ハゲ
・
チェルネンコ…白髪の
長髪
・
ゴルバチョフ…
ハゲ(+
頭部の痣で有名)
…要するに概ね、「
ハゲと
フサフサが
交互に就任している」と言う
法則性があるそうな。
だから何なんでしょう?
石橋先生当人は
伸ばしたモミアゲを
トレードマークにしてる人だった
ので
「次はモミアゲの人物が来る」と言う
落ちにしてましたが、後に
ソ連は
民主化で
幾つかの国に分割されてしまいました。
…まぁ私は
ソノお蔭で、
人名と順番を覚える事が出来たので
「教え方
が上手い」としてイイんじゃないのかなと。
教師と言えば、
高校の3年間について
全部飛ばしてしまいました
ので、
それに関しても述べておきましょう。
1年生は
広瀬先生と言う
若い男性で、
体育の担当でした。
体育の先生と言うのは当然、
勉強より
運動の方が得意だから
ソノ
道を選ぶのだと思われ、基本的に
担任教師が担当する
道徳の授業
が全く
頭に入ってこなくて困った覚えがあります。
…当時から
人権問題の分野で
色々と議論されてた物に
「狭山事件」
と言うのがありますわな。
詳しい概要などはココでは
省きますが、
要は
犯人として疑われた男性が
被差別地域の出身者だったので、
「警察から
偏見の目で見られたに違いない」と言う話ですよ。
体育担当の先生としては
得意な分野では無かったのでしょう。
明らかに
指導要綱を
棒読みしてるだけの感じで、
初めて聞く私と
しては
何が言いたいのやら全く分からなくて困りました。
コレが
社会科の先生とかだったら、もう少し
分かりやすかったの
かも知れません。
…ちなみに私は
人権問題を
抜きにして
「未解決事件」と言う物に
興味があって、
同事件に関しても
ネットが普及してから
色んな文献
を読んだんですが、
容疑者(被告)の男性の行動などを見るに、
「そりゃ
疑われるのも仕方ない」と言う感じがしました。
真犯人は
捕まっておらず、今でも
真相は謎のままなんだっけ?
2年生は
西川先生と言う、
古文担当の
女の先生でした。…
歳は幾つ
ぐらいだったのかな?今でこそ
死語になってますが
「オールドミス」
と形容するに相応しい感じで、
30台半ばで
独身だったと思います。
…しかしコレが途中で
無事に結婚されたので、
クラス全員で幾らか
(
100円ぐらい)ずつ出して
お祝いを贈ろうと言う事になったんです。
副担任の先生の仕切りで
簡単な学級会をやったんですが、
高校生
ともなれば
下ネタを混ぜるようになるから、誰かが
「Yes No枕」と
言う候補を出してました。
…
関西の人には
「新婚さんいらっしゃい」の
景品として
有名な物
でしょう。
子供の頃は
意味が分からんかったけど、アレは
子作り
に関して
「する?しない?」と言う意味の物だそうです。
Amazonなどの
ネット通販が
ない時代だから、
ドコに行けば買える
のか謎でしたね。結果的に何に決まったのか忘れましたが、
もっと
無難な物になった筈です。
3年生が
増田先生と言う、
英語担当の
30代と思われる男性でした。
…当時の
「若いお父さん」の
標準的なイメージの人なんですが、
私は
英語(と言うか
歴史以外の全教科)が
苦手だったので何となく
印象が薄く、
覚えてるエピソードも
少ないんですよ。
向こうも私をソレほど
特別視してなかった事でしょう。
高校3年生と言うのは
人生の節目になりがちな学年ですが、
担任
の先生が(悪い人ではナイけど)
こんな感じなのは些か
残念かな。
2年生の2月だったか、
大雪が降って
休校になった日があったん
ですが、当時は
携帯電話とか
ないので
連絡が間に合わずに
登校
してしまった生徒が何人か(全体の
半分ぐらい)居たんですよ。
…私は
「何となく面白そう」と言う事で
関係なく登校したんですが、
増田先生は
「折角だから」と来た生徒を
視聴覚教室に集めて、
何か忘れたけど
洋画のビデオを見せて下さいました。
そんな感じの
軽いノリの人だから、
英語が得意な生徒には
ウケが
良かったように思います。
特に
興味の無かった私は「
正式な授業じゃないから
出席する義務
も
ナイだろう」と、
写真部の暗室に籠って
朝から撮って来た写真を
現像してましたが。
「激動」と煽った割に、
小ネタばかりになったような気がしますが
色々と書いてるうちに、今回も
既定の字数(
文字だけの回は
2000
文字以上)に達してしまいました。
まだ
積み残しのネタもありますので、
何かの機会に紹介する事に
して、今回は
ココまでとします。
※
→次回に続く
※コメント・感想は
→こちらまでお願い致します。
No.1442 ○○について考える
2023/03/11(Sat)
では
土曜日になりましたので、今週も
恒例の
クラ駅長50年史の
記事を上げる事に致しますクラ駅長です。
今回は
1990年…平成2年ですか。
「平成」と言うと一気に
身近に
なったような気もしますが、アレとて
30年の長さがありましたから、
既に
「1世代前」です。やはり
歴史を語るのって
難しいですね。
いつものように
Wikipediaから、
当時の出来事を拾ってみましょう。
…まず冒頭に「
バブル景気の
最後の年」と書いてあるんですが、
ホントにそうなんでしょうか?
当時の私は
高校生だから特に
経済的
な恩恵を受けた
記憶はナイんですが、感覚としては
あと3年ぐらい
は
バカ騒ぎが続いてたように思います。
後に
大学生になった時、
就職活動などでソレを
実感したんですが、
その辺りは
当該の記事に回す事にしましょう。
同年の7月に、
兵庫県の高校で
「校門圧死事件」と言うのが起こり
ました。
遅刻指導として
始業時間に
校門を閉めた際、駆け込んで
きた
女子生徒が
頭部を挟まれて死亡したんですが、実は
コレに近い
事って
ウチの学校でも起こってたんですよ。
…やはり
朝の登校時間帯に
同じような事をやってて、
殺到した何人
かが
将棋倒しになったのを、私は3階の廊下から
目撃したんです。
女子の方が多い環境だから
悲鳴がスゴかったですね。特に
怪我
をした生徒も
居なかったらしく、
問題にもなりませんでしたが、
今だったら
動画を撮られて
ネットで拡散してたかも知れません。
出来事とは
違うんですが当時、
おおた慶文と言う人の
イラストが
流行ってて、それを気に入った
母親に「
画集を
探して買ってきて
欲しい」と頼まれた事がありました。
知らない方は
画像で検索して頂ければいいんですが、
凄く可愛い
女の子のイラストが
鉛筆と水彩絵具で描かれており、現在の
萌え絵
とは
違う上品なタッチの作品が多いんですが…
…何かの
カレンダーに載ってたのを見て母が
気に入ったらしく、
「探して買ってこい」と。当時は
ネットで検索出来たり
Amazonで
商品が
入手出来るようなシステムも
ないから、まず
発売されてる
のか
否かすら
分からん状態です。
しかも
「おおた慶太」とか何とか、名前を
微妙に間違えてたし。
でソレを
男子高校生に買いに行かせようとする
神経が分からん。
当時はまだ、
前々年に起こった
宮崎勤の事件が世間の人々の
記憶に大きく残ってた時期であり、
ロリコンに対する
弾圧のような
風潮がありました。
…
発売されてるのかも
分からん美少女イラストの本を探して
本屋
で訊いて回るとか、
自分の息子が
ロリコン扱いされる
危険性とか
考えなかったんでしょうか?まぁ
バカだから
仕方ないけど。
取り敢えず碌に
聞き込みもせず、学校近くの
大きな本屋を
ざっと
見ただけで
「無かった」と報告しました。…あっても
レジへ持って
行くのには
勇気が要る行動だったでしょう。
同年の
鉄道の話題を見てみると、やはり
ローカル線の
廃止や
第三セクター会社への移管、
非電化だった区間の
電化完成など
の記事が目立ちます。
そんな中で
目に付いたのが「
チャレンジ20,000kmキャンペーン
の
終了」と言う記述でした。…コレはイメージとして
国鉄時代の
物なんですが、
JR移管後も
残ってたんですね。
…
国鉄(又は
JR)
全線を完乗するとなると、当然に
北海道や九州
へも出掛ける必要があるから、
高校生ではまだ
「挑戦しよう」と言う
言う
発想は出ませんでした。
周知の通り
私が
私鉄を含めた全国完乗を
達成してしまうのは、
40代に入ってからです。…誰も
祝ってくれないし、何の
景品も
貰ってませんけどね(厳密に言えば
只見線が
残ってるか)。
さて私は
4月から
高校3年生です。まず
春の遠足は当時
大阪の
鶴見緑地で開催されていた
「花の万博」だったのを覚えています。
…
工期が
間に合わず、
開幕後も一部の施設が
建設中だったり、
ウォーターライドと言う乗り物で
事故が起こって
車体が宙吊りの
まま
放置されてるとか、あるパビリオンで
幽霊が出たとか、
本来
の出し物以外の所で
話題が尽きなかったイベントです。
写真部だった私は
卒業アルバム担当の先生から依頼され、
単独
行動で会場を回っては
同級生のグループを探してソレ用の
写真を
撮る「仕事」をしていました。
…普段は特に
モテないけど、
ファインダー越しだと
女の子も
笑顔
になるし
「ありがとう」みたいな感じになる。
妙な感じでした。
まぁ
気分の悪い事ではナイから
楽しかったけど。
ぁ、
写真部の同
学年で男子は
私1人だったんですが、私が入った
年に部
長だった先輩の彼女(私と
同学年)がそのまま
推されて
しまい
部長に就任。私は「
実務を取り仕切る
ナンバー2」と言う、
例の
「副だけど実際は責任者」と言う
アレになってしまいます。
所で
勉強は
どうだったのか?…コレが実は
あまり覚えてなくて。
当然の事に段々と
大学受験と言う物が
近付いて来るワケですが、
私は
勉強より
部活などの方が楽しかったから、
受験勉強とか
碌にやってなかったように思います。
そもそもが
団塊ジュニアと言う事で
無駄に人数が多い世代であり、
景気が良くなって
大学の進学率も
上がったのか、
競争率の高い
時代でもありました。
日々の課題などは遅れる事なく
出しても、
それ以上の
自主的な
事にまで
手が回らなかったような記憶がありますね。
どうせ
人生は長いんだから、
高校は高校で
普段の生活を
楽しみ、
受験勉強は
翌年に特化した方が
効率が良いだろうと、
「浪人上等」
なスタンスで構えてました。…
親は大変でしょうが、
知らん。
3回に渡って
高校生活について書きましたが、やはり
抜けてる所
が
多いように思います。
明日も
補足ネタとして続けましょうか。
※
→次回に続く
※コメント・感想は
→こちらまでお願い致します。
No.1441 ○○について考える