新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

駅ノート 鯖瀬③

2022/10/05(Wed)

そんな感じで久し振りフェリー利用で上陸した四国です。
徳島港から主に国道55号線を使って、県の南西部へ向かいました
クラ駅長です。

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今回はJR牟岐線ソノ先にある阿佐海岸鉄道駅ノートを描く
ワケですが、比較的近くにある由岐日和佐後日に回すので、
まずは鯖瀬に向かいます。約1時間半と出ましたね。

…この区間で、高速道路に準じた高規格バイパスと言うのは、現状
では阿南市の南部から日和佐の先までの、日和佐道路と呼ばれる
約10kmのみとなっています。

行く行くは阿南安芸自動車道として海部を経て県境を越え、高知県
安芸方面まで繋がるのでしょう。

…そうなる、と宍喰甲浦でも到達時間短縮する事が可能です。
高速バスでも走ろうものなら牟岐線更に大変な事になるかも
知れませんが、私は鉄ヲタではナイので知った事ではありません。

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ともあれ正午を過ぎたぐらい鯖瀬駅に到着しました。
…ココも3回目になるので、自撮り撮り方変えてみましょう。

国道から少し脇道に入った所にがあり、この脇道を更に進むと
鯖大師本坊と言う四国霊場の別格札所のお寺に至ります。

付近に小規模な集落もありますが、利用客1日平均4人程度。
鯖大師本坊への参拝者も殆どが自動車利用なのでしょう。

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鯖大師本坊へ至る道の途中からスロープを上ると鯖瀬駅です。
…このスロープは上にも下にも車止めの類ナイので、物理的
にはホームへも自動車で到達する事が可能なのですよ。

駅舎なく左のような簡素な待合室のみがある駅です。
築堤の上にある棒線構造のホームからは太平洋が見渡せますね。

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そしてココの名物と言えば、国道から脇道分岐する地点のにある
「さばせ大福」のお店です。

小規模ながら札所寺院の門前町と言う事になるのか、元は徒歩で
巡礼するお遍路さん向けの茶店だったようなイメージですね。

大福餅1個80円と言う事で、3個買いました。後でおやつ代わりに
頂く事にしましょう。…真ん中の茶色い物は確認してませんが恐らく
蕎麦粉が入った物だと思われます。

また「食べログ」を見ると2013年頃の情報として店の奥でうどんが
頂けるような事も書いてありました。今でもあるのかしら?

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駅ノート過去に2回描いてますが、その後にいつの間にやらノート
が失くなったと言う報告がTwitter上に載っていました。

…失くなったのはノートだけペンケースなどは残ってたらしい
ので、管理撤去ではなく単に誰かに捨てられたのでしょう。

それで前回宍喰甲浦描きに来た時過去の絵プリントアウト
した物を貼った上で寄贈しておいたんですよ。しかし今回来てみたら
ソレがなく、代わりに連絡帳ベース別のノートが置かれてました。

自分が置いた物が半年程度で失くなったと言うのは些か残念
話ですが、まぁ何らかの形で存続してるならイイや。と割り切って
コレに描く事にしました。

またコンビニへ寄って過去絵プリントアウトする事も考えましたが、
私の絵が嫌い捨てられたと言う事なら意味はありません

ともあれ単純「さばせ大福」のお店を描いて、のろ空腹シリーズ
と言う事にしておきました。ベースが連絡帳なので罫線が上下左右
に引かれており、歪ませずスキャナを使うのが難しいですね。

過去の2枚残ってませんがコレで目標値の3枚達成です。
私の絵が原因で、また捨てられたらごめんなさい

当日はコレで予定終了なので、早め宿に入れそうです。
コレに関しても今回は少し工夫しましたので、続けて「おまけネタ」
で紹介する事にしましょう。

→次回に続く



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No.1284 駅ノートの記録

駅ノート 羽根

2022/10/01(Sat)

さて能登半島駅ノート乱立エリアの報告の続きですが、3駅目
宇出津の町を越えて羽根駅に向かいましたクラ駅長です。

宇出津奥能登地域では比較的開けた町になっており、かつて
の宇出津駅「コンセールのと」と言う観光施設として再開発
為されています。

なやはるるさん駅ノートは恐らくは非公認の設置なので、その
ような場所に置く事は憚られたのでしょう。ココは通過になります。

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羽根宇出津1つ奥手にあった駅です。ココまで見てきた能登線
廃線跡によくある標準的なスタイル無人駅だったようですが、
国道からのアクセスは良く広めの駅前広場もありました。

てかココは今回の宿泊地にしている「能登うしつ荘」から約300m
至近距離にあるのですよ。国道から高台へ上るアクセス道路の途中
にある感じでしょうか。

この国民宿舎には2度目の宿泊ですが、前回は意識してなかった
ので全く気が付きませんでした。…つまりココを描き終えれば数分
で自室に帰れる事になります。コレは便利ですね。

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現役時代駅名票残ってナイし、同名のバス停見当たらない
ので、「津波避難場所」の看板で代用しましょう。
「旧鉄道羽根駅」と言う独特な表現が使われています。

駅前にはニワシロユリの花が何株か咲いていました。コレは自生
するような花なんでしょうか?付近の住民の方が彩りとして植えた
物かも知れません。

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ゆるくカーブしたホームカナリの長さがあり、6両編成ぐらい余裕
で停まれそうな感じです。

国鉄時代能登半島普通急行キハ58系の2両ユニット
で必要に応じて長さを変えてたようなイメージがあります。
が営業していれば「能登うしつ荘」へのアクセスもイイ筈ですね。

蛸島寄りには踏切の跡が残っていました。この付近は集落
接していて、踏切を渡った山手側には墓地があります。

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ホーム上の待合室もココまで見てきた各駅似たような感じです。
同区間高度経済成長期「とにかく線路を延ばせ」と言う感じで
敷設されたのか、各駅の個性あまりナイように思えますね。

待合室内には昭和40年代古い感謝状が残されていました。

右はこの近所の自治会の方が、冬場の除雪作業に協力したと言う
もの、右は「羽根生徒会」なる組織が、方法は不明ですが業績向上
に協力
したと言う理由のもので、ともに金沢鉄道管理局長の名前
になっています。

…てか「羽根生徒会」って何なんでしょう?羽根駅の近くには高校
中学校存在しないようなのですが。

そしてのと鉄道時代の案内書きが1枚…元は国鉄(JR)線だから
「みどりの窓口」そのまま使えたのでしょう。

駅ノートココまでの駅跡と同じくなやはるるさんの設置です。
絵師さんの作品などは確認出来ませんでした。

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さての方ですが、ココは事前に思い付いたネタを描いたので
現地で考える手間が要りませんでした。

「羽根」と言う駅名だから「ハネ」B寝台という連想に至り、のろ
待合室改造してB寝台の一角を再現し、泊まりやすいように
リフォームしてしまったようです。

そう言えば東京のドコだったかに寝台特急「北斗星」をイメージした
ゲストハウスがありましたね。

ソレはいいとして、問題待合室の軒下にあるスズメバチの巣です。
現役の駅じゃないから撤去する人居ないようで、カナリ巨大な物
が完成しており、危険な状況になってました。

…当然にこんな所描けるワケがなく、ココも車の荷台で描いて
います。よっぽど旅館に持ち帰ってやろうかと思いましたが、ソレ
では誰かさんと同じルール違反になってしまいます。

そんな感じで移動距離が短かい1日だったので、無事に3箇所
駅ノートが描けました。3駅分に関する「おまけネタ」を紹介したら
今回の能登半島の報告終了になります。

→次回に続く



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No.1280 駅ノートの記録

駅ノート 藤波

2022/09/30(Fri)

そんな感じで能登半島駅ノート乱立エリア2回目を続けます。
続いて既存設置波並から1つ奥藤波(何れも駅跡)に向かって
おりますクラ駅長です。

…改めて思うのですが、この区間「〇波」と言う駅名矢鱈と多い
のですよ。「波並」も漢字表記は異なりますが「〇なみ」と読むし。

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能登町藤波地区には、藤波運動公園と言う大規模なスポーツ施設
があります。体育館などもあるようですがココのメインテニスコート
であり、近隣の大会などはココが使われる事が多いようですね。

運動公園は海岸沿いの国道から坂道を上った高台にあるのですが、
敷地の中に切り通しの谷になってる箇所があり、能登線ココを
通っていたようです。

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以前(2018年)に来た時は、ココに約100m分の線路が残っており、
谷を跨ぐ高架橋の下に同社の古い気動車が1両、保存と言うか
放置されていました。

…コレが同路線廃線跡の中で1つの名物になってたんですが、
今年の4月~5月にかけて遂に解体されてしまったらしいのです。

当該車両は廃止時に使われていたNT100型のうちの123号車です。
「NT123号 解体」などで検索すれば詳細が出てきますよ。

高架下から蛸島方向へ何mか移動させ、左上の画像の地点付近で
解体されたと思われますが、作業何日かに渡ったので実況中継
のように途中経過Twitter上で報告されていました。

それから4ヵ月ほど経っての訪問になったので、当然に何の痕跡
も残ってませんし、作業後に線路も撤去されたようです。

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藤波駅はココから300mほど蛸島寄りにあったようです。運動公園
集落のある所から更に山手の方向へ細い道が続いていました。

内陸部にあるので、国道バス停「藤波駅口」と言う名前に
なっています。…てか駅はもぅナイんですけどね。

駅前の道路は地図で見る限りは続いていますが、雑草が茂ってて
自動車の通行出来ず、実質的にココで行き止まりの状態です。
能登線の各駅で見かける利用促進の看板が残ってました。

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駅跡には棒線構造のホームと、能登線では標準的ブロック積み
の待合室が残っています。

路線が現役ならココが運動公園の最寄り駅になりますが、ダイヤ
が薄いからドノ程度の利用者があったのかは不明です。

学校の運動部試合で来るとかだと、親や顧問の先生車で
送ってくるパターンが多かったかも知れませんね。

雑草エラい事になってますが、これは季節的なものでしょう。
冬場に来ればもぅ少し見やすいと思われます。

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駅ノート他の設置箇所と同じくなやはるるさんの手による物で
じょにーさん青熊さんシールがありました。

…ソレも含めて一般的な書き込みは、やはりNT123号車解体
関するものが多いので、私もソレをネタにしておきました。

やはり廃線から17年放置されてた物が「何故このタイミングで?」
と言う感想になります。…待合室は施錠されておらず入れますが
ココも環境が悪いので車の荷台で描いています。

2駅を描き終わった所で正午を過ぎていましたので、昼食を挟んで
3駅目を描く事にします。今回は移動距離が短かいのでですよ。

→次回に続く



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No.1279 駅ノートの記録