新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

1999年 岡山の旅 ③

2021/04/19(Mon)

さて1999年の岡山の旅ですが、メインの目的は井笠鉄道を探る旅
なので、同社の新山駅跡地に作られた井笠鉄道記念館に到着して
おりますクラ駅長です。…廃線から27年目に相当する頃です。

ぁ、前回に書き忘れたんですが、笠岡駅近くの高架下にあるホジ9号
気動車
に関しては、当時はソノ存在を全く知らなかったので、完全に
見落とした事になります。

…インターネットが使えなかった時代では色々と限界がありますな。

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ともあれ記念館の保存車です。ドイツのコッペル社製の小型機関車と
客車・貨車が1両ずつ保存されてるのは今と同じなんですが、全体的
に荒れてると言うのか、今の方がキレイな感じですね。

…後に塗装の塗り直しや、車体の外板の貼り替えなどが行われたの
でしょう。保存車両を整備しようと言う活動は、どの地方でも今の方が
活発
に行われてるような気がします。

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館内も何枚か撮ってますが、左の沿線地図は今でも同じ物が残って
います。当時はもっと雑然としてた印象で、自分のメモには「客を呼ぶ
気はナイらしい」と書いてありました。

コレまた今ほどの情報化社会ではナイから、田舎にある入場無料の
施設は「知る人ぞ知る」存在で、訪問客も稀だったのかも知れません。

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そんな感じで新山駅跡地の井笠鉄道記念館を見学した後、もぅ1箇所
同社の保存車がある所へ向かうんですが、途中で何やら見慣れない
私鉄路線に出くわしました。…井原鉄道の井原駅です。

…当時の私は鉄道より車で旅する事の方が楽しく、鉄道趣味から
些か遠ざかってたので、こんな所に新規開業の路線が開通したとは
知らなくて、何となく物珍しくて撮っただけに留まってます。

同路線が開業したのが同年の1月11日の事だから丁度10ヵ月目の日
だったようで、何やらイベントのような事をやってました。
開業して間もないから、線路のバラストがまだキレイな灰色でしょ。

そして20年後、木村鉄道の社員旅行で同社を訪問した際、ガイド
の方に「井笠鉄道の路盤を再利用している箇所はありますか?」と
質問してしまったのは、この時の記憶があったからなのです。

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井原鉄道の線路を越えて更に北側の山手に上がった所に、経ヶ丸
グリーンパークと言うレジャー施設があります。

ココに井笠鉄道の末期に活躍していたホジ101号と、小型客車が保存
されてると言うので見に来たんですよ。

…ようやく自撮りが出てきましたね。26歳ぐらいです。若い?
当時から実年齢より上に見られがちだったので自分としてはソレほど
変わってナイ気はするんですが、顔の皮膚は明らかに垂みました。

髪の量は多く見えますが、生え際の位置はソレほど変わってません。
単に散髪に行くタイミングの問題で、伸びきってる状態なのでしょう。
服のセンスも今と大差なく、Yシャツ&ネクタイにブルゾンが定番です。

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そんな事よりホジ101号ですが、現在も当時と同じ条件で保存されて
います。比べてみると1999年の方が車体色が濃いように見えますね。

…だから塗装直し等のメンテナンスは特に行われておらず、経年に
よる色褪せなのでしょう。窓ガラスが無いのも当時から同じです。

ともあれ当時の予定としては、笠岡駅・鬮場駅跡・記念館・グリーン
パークの4箇所を回れた事で全て完了でした。…後に他の保存車や
駅跡などの情報が追加され、22年後に再訪する事になるんですが。

このまま帰ると時間が余る(と思ったかどうかは忘れた)ので、あと
1箇所、気になる鉄道スポットを見に行く事にしました。…この辺の
行動パターンも、今とソレほど変わってナイですね。

※→次回に続く



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No.750 乗り鉄タイムトラベル

1999年 岡山の旅 ②

2021/04/18(Sun)

さて1999年の岡山の旅ですが、0系の「こだま」に乗った私は新倉敷
で下車しました。

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ココで駅レンタカーを借ります。…この時が確か、初めて駅レンタカー
を使った
日だと思いますクラ駅長です。

ぁ、この名前は現在のHP(最初は「魔法のiらんど」から始まった)を
作った時からの物なので、名乗るのは2年ほど先の事です。

当時から切符とレンタカーをセットで事前予約する必要があり、まだ
ネットでは出来なかった(てか私がインターネットを始めるのが翌年
ぐらい)から、全て奈良駅の窓口で買いましたわ。

…切符が割引になる分で「ちょっとイイやつ」と思い、ホンダアコード
を借りてます。当時の最新型は6代目。今でも好きなスタイルですよ。
ナンバープレートの分類番号が3桁になったのは前年の1998年です。

この日はココからまず笠岡市へ向かい、後にも何度か訪れる事になる
井笠鉄道の跡地を探る旅なのです。

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そんな感じで山陽本線の笠岡駅にやって来ました。…インターネット
が使えなかった時代なので事前に笠岡駅に電話で問い合わせたん
ですが、当時は笠岡駅近くにレンタカー屋さんが無かったんですよ。

その時に直近で教えて貰ったのが新倉敷駅だったと言う事情でした。

この駅は今も当時とソレほど変わってナイ感じですが、JR西日本の
旅行商品のブランドが「ウエンズ」である辺りに時代を感じます。

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繰り返しになりますが井笠鉄道は、軽便鉄道の路線は昭和46年に
廃止されたものの、会社そのものは旅行会社として残っています。

…現在は港の近くに移転していますが当時は駅前の商店街に店舗
があったようですね。

そして笠岡駅の1番線ですが、広島方の先に井笠鉄道が発着して
いた古いホームが現在でも残っています。…ぁ、写り込んでるJRの
車両が「カフェオレ色」の旧広島塗装ですな。

しかし上の画像では保線車両が置いてある位置まで駐車場が拡張
されており、少し状況が変わってしまいました。

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笠岡駅から1kmほど行った所に車庫があり、ココの駅名は「鬮場」と
言いました。この辺りの風景は今とソレほど変わってナイ感じです。

…近年に笠岡駅へ行った時も、当時と同じ構図で写真を撮ってます。
駅前のロータリーはバスとタクシーしか入れないからなんですが、
如何に発想が進歩してナイかが分かりました。

同路線も例によって廃止後にバス転換されたようで、廃線跡に最も
近い所を走ってると思われるバスも撮ってました。

当時でも数が減りつつあったモノコックボディのバスですが、画像を
見る限り、現在地元の方が保存運動をやってるアレと同型の車に
見えます。…当時の登録番号まで知りませんが、もしかして実物?

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そして訪れたのが、新山駅の跡地を利用した井笠鉄道記念館です。
…今ならインターネットで簡単に情報が入手出来るんですが、ココの
存在はドノようにして知ったのか?ちょっと覚えてません。

また車を走らせるにしてもカーナビは存在しないので、地図を見てに
なります。…簡単に拡大とか出来ない道路地図に、こんなマイナーな
施設まで載ってたのかな?

ともあれ当時から入場無料でした。見学して行きますよ。

※→次回に続く



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No.749 乗り鉄タイムトラベル

1999年 岡山の旅 ①

2021/04/17(Sat)

…そんな感じで今日から新しいカテゴリー「乗り鉄タイムトラベル」を
始める事にしましたクラ駅長です。

私は常々「母親が死んだら実家を片付けて住む」と言う話をしており
ますが、母はまだ生きてるものの1か月ほど前から老人介護施設に
入居するようになり、実家が実質的に空き家になったのですよ。

なので日々の駅ノートや猫ヨシヨシに費やす日数の半分程度を実家
の片付け作業に充てる事にして、ネタを補完するために実家に残る
古い写真を再構成して記事数を稼ぐ事を思い付きました。

…まずは概ね20年ぐらい前の物になるんですが、当時は鉄道からも
カメラからも遠ざかり気味だったので、場合によっては「写ルンです」
で撮ってるような物もあり、カナリ画質が悪い。…勿論印画紙です。

フィルムカメラってのは現場での画像確認が出来ないから、今から
見るとヒドい物ばかりですね。それをデジタルスキャナで読み込み、
場合によってはトリミングや画質の調整を行ってあります。

しかし基本的な発想は昔から変わってナイので、過去に撮った写真
で現代にブログに書いてみてもソレほど違和感は感じません。

昔はコノような発表の場が無かったので、アルバムに整理して時々
友達に見せる程度でした。…便利な時代になったもんですな。

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と言う事で前置きが長くなりましたが、まずは1999年に岡山方面へ
行った話から御紹介してみましょう。記録によると同年の11月21日
に日帰りで出掛けた事になっています。

…今から22年前ですか。私は26歳、社会人になって3年目ぐらいの
話です。今と違って自撮りは少ないですが、そのうち出て来るかも。

当日は朝早い山陽新幹線に乗るので、京都ではなく新大阪へ行く
行路になっており、奈良を4:59に出る大和路線の始発電車に乗った
ようです。…当時のJR奈良駅は、まだ旧駅舎の地上駅でしたね。

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…すっかり懐かしくなったパタパタ式の発車案内がイイ感じでしょ。
6:34発のこだま603号で、まずは新倉敷へ向かいます。

当時は同年6月に発生したトンネル内のコンクリート片の崩落事故
の影響で大規模な一斉点検が行われており、山陽新幹線は一部の
列車が間引き運転になっておりました。

…アルバムのメモ欄には「トンネルが心配だ」と書いてありますが、
新幹線に有責事故は皆無だと信じてるので、軽い気持ちの筈です。

ぁ、まだ九州新幹線はおろか「ひかりレールスター」も存在しません。
700系は同年3月にデビューしてる筈ですが、まだ数は少なく「のぞみ」
の一部の列車にだけ充当されてたイメージですね。

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そんな状況で乗る「こだま」は、当然の事に0系の6両編成です。
西の空が段々と明るくなってきましたね。

朝から駅弁を買ってますが、6時台の新大阪駅で買えたのかしら?
内容を記録しようと言う意図もナイので、単に撮っただけですが
とんかつ系の駅弁だな。

…飲物がお茶なのは、後でレンタカーの運転を控えてるから?
てか当時は飲酒運転に関する認識も罰則もユルかったので、車でも
飲みたい時は飲んでたような記憶があります。

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当時の6両こだまには営業してないビュッフェ車両が連結されており、
お約束の速度計も撮ってますね。

時速210kmってのは我々の世代が子供の頃の「新幹線の最高速度」
としての共通認識ですが、当時の場合は「こだま」と言う列車種別に
よる物だと思われます。

どんなダイヤだったのかまでは忘れましたが、相生で500系「のぞみ」
に抜かれました。最高速度300km/hを出してたとすれば「写ルンです」
でよく写し止めたもんだ。

…そんな感じで22年前の旅が再びスタートしました。
0系6両の「こだま」に乗った私は、新倉敷で下車する予定です。

※→次回に続く



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No.748 乗り鉄タイムトラベル