新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

休憩時間について考える

2022/09/11(Sun)

ブログのネタ探す&取材に行くのが大変で、その補完として
毎週日曜日「考える」シリーズで数を稼ぐ事にしたんですが、
段々とこちらも大変になってきましたクラ駅長です。

以前「時間について考える」と言う事で、私の日々の生活のうちで
「時間」と言う物について考えた話を書きましたが、今回はもぅ少し
具体的に、仕事趣味での旅行に関しての「休憩時間」の話です。

端的に言えば「要らんからソノ分早く終わってくれ」と思ってます。

まぁトイレへ行くぐらいの最低限な時間は必要かも知れませんが、
1時間要りません。10分でいいわ。…私は食事も無駄に早食い
なので、ソレだけあればパンとかおにぎりなら食べれます

例えば朝の9時から夕方17時まで拘束される用事があったとして、
大抵は12時~13時「昼休み」に充てられる事が多いですよね。
この場合だと「昼休み要らんから16時で終われよ」となります。

私は就職して以来、上記のような勤務を殆どやった事がナイので
逆に不規則な事の方に慣れてしまい、今から事務所とか工場
から昼休憩を経て夕方まで」と言う働き方は無理ですわ。

そのような職場が多い地域だと、昼食昼の12時台集中する
から飲食店コンビニ混むワケだし。日々ソノような勤務で仕事
してる人を見ると逆に「大変だろうな」と思います。

飲食店はソコで働く側にすればソノ時間帯忙しいから、休憩は
ピークを過ぎた頃に回すワケですが、例えば時間を貰って事務所
で座ってたにしても、不意打ちのように忙しくなる手伝わざる
を得ない状況になります。…心底ゆっくり出来ないのなら要らん

唯一、初めて配属された職場だけは「忙しかったら休憩ナシ早く
帰れる」と言うシステムになってました。

コレは「新人残業代を払うのは勿体無い」と言う発想の裏返し
だったのですが、私は早く帰れる方がイイので率先して「休憩
要りません」で仕事してましたね。

もし昼休みをくれるんなら、逆にめっちゃ長くして3時間ぐらい
とか、家に帰って昼寝出来るぐらい欲しい。と思ってました。

仕事に関してはそんな感じとして、続いては趣味で出掛けた場合
の話ですが、時間が決まってる乗り鉄などはとして、廃線跡
巡り駅ノートは兎に角「時間が足りなくなる」事が最大の恐怖
なので、休憩も殆ど取りません

奇しくも今やってるのと鉄道廃線区間鹿波・甲・沖波と回った
日は休憩ナシでずっと「見る・描く・移動する」の繰り返しでした。

…まぁココは昼食に使えそうな飲食店はおろか、コンビニ個人
商店すらナイような地域だったと言うのもありますが、食事
昼休みに時間を取るぐらいなら、早く終わらせて宿へ帰りたい

結果的に今回はソレが正解だったんですが、詳細は後日の記事で。

…ココから再び仕事の話に戻りますが、続いては現在の仕事
関しての私の「休憩の取り方」のお話です。

日々の私の仕事にも、当然に休憩時間義務付けられています。

法的な決まりなのか単に会社の服務規程だけの話なのかは知り
ませんが、日勤の日は勤務時間中のドコかで1時間と21分と言う、
謎に中途半端な時間の休憩を取る事になっています。

通し勤務の日はソレが2回…合計で2時間42分になりますか。

しかしコレは「何時から」とか交代制決まってる物ではナイから
自分の都合で上記の時間以上の休憩を取り、料金メーターに内蔵
されている運行管理計に記録させるんですよ。

休憩と言う物は本来、仕事を完全に忘れて体を休めるべき物
だと思ってますので、会社へ帰ったりすると意味を為しません

だから奈良に住んでた時は一旦自宅に帰って日勤の日2時間
通し勤務の日3時間休憩に充ててました。…このアパート
実家へ引っ越した後も借り続けてるので、今でも休憩はココです。

殆ど脱いで買い込んである食料で昼食を取り、ブログの記事
を1回分書いて後は昼寝をするんですよ。まさに理想的

パソコンを使うだけならネットカフェでもいいんですが、ココまで
自由はありませんからね。

基本的には朝の7時から仕事してるので、休憩時間としては14時
~17時辺りが多いかな。…一度休憩する後がツラいから、残り
の時間短かい方がいい。またコノ時間帯は日中で最も気温が
高いので、涼むのにも適しています。

1日が24時間と言うのは誰でも平等な事ですが、時間の使い方
工夫する(コレは人によって違いますが)とソレなりに快適
過ごせる事もあると言うお話でした。

…では今日の休憩あと1時間残ってますので、軽く昼寝する
に致します。お疲れ様でした

→次回に続く



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No.1260 ○○について考える

駅ノート 甲

2022/09/10(Sat)

さて能登線配線区間ですが、今回訪問予定ノート設置駅
2つ目として、先程の鹿波から1つ先(蛸島方向)甲(かぶと)駅
にやって来ましたクラ駅長です。

20220910a.JPG 20220910b.JPG

鹿波から同駅までの営業キロ3.8kmとなっていますが、コレは
トンネル一直線に抜けた場合の距離なのでしょう。カーナビ
の設定では海岸を迂回して9kmあまりのようでした。

こちらは廃駅ながら、堅牢な造りの駅舎が残っています。付近には
小規模ながら集落があるので、秘境化しにくい環境なのでしょう。

能登線にはコノような感じで「コンクリートブロック積んだだけ
駅舎矢鱈と多いような気がするんですよ。もぅ一手間加えて
壁をモルタルで塗ってみるとか出来なかったんでしょうか?

それとも集客が見込めず早々に廃止される事を見越してたとか?

20220910c.JPG 20220910d.JPG

Wikipediaによると元は交換設備のある急行停車駅で、タブレット
閉塞の時代は有人駅だったそうな。

入口施錠されていますが、のと鉄道のマークが残っています。

あと画像では見切れるように撮ったんですが、駅舎の前の広場
には乗用車が2台ほど駐まってました。一見するとパーク&ライド
に見えますが、既に鉄道は存在しないので意味不明です。

20220910e.JPG 20220910f.JPG

窓ガラススマートフォンを密着させて駅舎内を撮ってみましょう。

斜めに切ったような形の出札窓口手荷物用の低いカウンター
あるのは、国鉄有人駅お約束みたいなもんです。
それに加えて再末期に使われてたと思われる券売機もありました。

駅舎を正面から見て右端トイレがあります。驚いた事にココは
施錠されておらず最低限の設備ですが何とか使えそうでした。

廃止から17年経ってますが完全に放置されてるワケでもなく
明らかにココは誰かが掃除して使える状態を保ってますよね。

20220910g.JPG 20220910h.JPG

駅舎の背後にはカナリ広い敷地があり、島式ホーム待合室
残っています。駅舎からカナリ離れた所上屋があり、手前
小規模な待合室末期になって追加された物かも知れません。

元は上下線の線路の他に側線が何本かあり、現在は能登中島
あるオユ10型郵便車は元々、ココの側線保存されてた物だそう
です(廃止直前現在の場所に移動)。

駅ノート手前の待合室にありました。ボールペンの他に色鉛筆
のセットも置かれています。

20220910i.JPG 20220910j.JPG

設置者は例によってなやはるるさんでしょう。やはり冒頭周辺の
状況を解説した地図が貼ってありました。

こちらも絵師さんの作品などはありませんが、一般の書き込み
全くゼロと言う事もなく、やはり廃線跡巡りが好きな人が一定数
居る事が実感出来ました。

ココは駅の設備が概ね残ってるので、オーソドックスにのろ一家
廃線跡巡り途中で立ち寄った感じにしておきましょう。

…真ん中の松の木廃止後に植えられた物だそうです。
それが17年でココまで大きく育ったと言う事か?

所で現在の駅所有者は誰なのか?もし自治体だったら、ホーム
舞台に見立てて整備して、イベント広場のような使い方も出来そう
な気がするんですが、勿体無い話です。

しかし夏場廃線跡と言うのは矢鱈と木や草が茂ってるもんで、
色鉛筆緑ばっかり減って困りますね。

明日は日曜日なので「考えるシリーズ」の記事を挟んで、鹿波と甲
「おまけネタ」に続ける事にしましょう。

→次回に続く



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No.1259 駅ノートの記録

駅ノート 鹿波

2022/09/09(Fri)

…と言う事で、遂にのと鉄道廃線区間乱立エリア踏み込む
事になりましたクラ駅長です。

20220909a.JPG 20220909b.JPG

前回の最後に見た海岸近くの集落内から内陸部左折し、約2km
走ると廃線跡築堤が見えてきました。

国鉄時代能登線は、昭和34年から段階的に線路を延ばし終点
の蛸島まで開通したのが昭和39年の事だそうです。

その後、昭和62年分割民営化を経て翌昭和63年第三セクター
のと鉄道に移管した後、平成17年廃線となりました。

鹿波駅を含む区間は初期の昭和38年開通したので、同駅もソレ
同時に開業しています。開業から46年廃止と言うのは、鉄道の
寿命としては短かい方でしょうか?

方向転換後なので来た方を向いてます)を駐めた辺り駅への
導入路だと言う事で、用途よく分からない小屋が1つありました。

20220909c.JPG 20220909d.JPG

航空写真で確認してみますと、青いマーカーを置いた地点が上記の
小屋です。そしてAとB2方向からスロープ状の小路が見え、途中
で合流して駅へ向かう動線だったと思われます。

…線路は恐らくオレンジ色の線で記したルートにあり、僅かにホーム
と待合室の建物らしき物が確認出来ました。

では実際にA方向スロープから上ってみましょう。
生い茂った雑草をかき分けて進むと、程なくしてホームに出ました。
小規模な待合室が残ってますね。

20220909e.JPG 20220909f.JPG

同区間廃駅には過去に幾つか行きましたが、基礎にコンクリート
ブロックを積んで木製の壁を載せた「よくあるタイプ」の待合室です。

入口の扉施錠されてますが窓の1つが開いてると言う事で、先行
設置された白丸駅と同じ状況です。しかし駅ノートありません

その待合室の裏手2階建ての建物が残ってます。…しかしココ
まで荒れる店舗なのか集合住宅なのか、全く分かりません

てか上に載せた航空写真を見ての通り、周囲は田んぼと畑ばかり
の環境で人家と言う物が全くありません農作業の人が時々車で
通りますが、最終的には駅があっても苦しい状況だったでしょうね。

20220909g.JPG 20220909h.JPG

…そんな感じで先にの方を紹介しましたが、駅ノートは実は先程
の小屋の中にあるんですよ。まぁ事前の情報分かってましたが、
ココに戻って見てみる事にします。

用途のよく分からない小屋」と書きましたが、コレは電話ボックス
だそうな。…よくあるガラス張りの物に比べると随分立派ですね。

当然の事に内部に公衆電話ありません。狭いながらも比較的
キレイな建物であり、ドアを閉めれば風雨も防げるようですが、
今の季節だとカナリ暑い事になるでしょう。

20220909i.JPG 20220909j.JPG

置かれている電話帳2004年(平成16年)の物ですから、やはり
廃止時のまま時間が止まってるようです。

駅ノートはココでは「駅前ノート」となっています。以後の駅も同様
なのですが、今年の4月~5月にTwitter名なやはるるさんと言う人
概ね14箇所駅跡一気に置いた物の1つです(旧来のノート
更新も含む)。

ツイートを見るに、地元か少なくとも北陸近県内に住んでる方で、
能登線廃線区間トンネル高架橋などを研究されてる
だと見ました。ジャンルにすると「郷土史家」みたいな感じかな?

ノートの冒頭には同駅周辺廃線跡と、区間内に残る高架橋などの
構造物を調べた地図が添付してあり、廃線跡がっつり巡る方には
便利な資料になると思われます。

絵師さんの作品ゆっくまーシール未踏の状態でした。
てか私以外にワザワザ絵を描きに来る物好き居るんでしょうか?

取り敢えず訪問者の大多数穴水方向から来ると思われるので、
廃線区間取っ掛かりの駅になるでしょう。イントロダクション的な
意味も込めて、ココから先ノート設置駅略図にしておきました。

朝食ナシで来たので7:30に着いて8:00~10:00ぐらいで描きました。
続いて甲(かぶと)駅へ移動します。

→次回に続く



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No.1258 駅ノートの記録