新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

1999年 岡山の旅 ④

2021/04/20(Tue)

さて1999年岡山の旅ですが、経ヶ丸グリーンパーク保存車を見た
後、レンタカーを借りた倉敷市の方向へ戻ってきましたクラ駅長です。

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ドコをどぅ走ったのかは忘れましたが、瀬戸内海に出たようですね。

…背後に「47」と読める県道の標識がありますが、やはり笠岡市~
倉敷市にかけての海岸沿いを通る道路のようです。倉敷市とは言え
コノ付近は工業地帯の雰囲気ではありません

そのまま水島のコンビナート地区に入り、水島臨海鉄道を見に行った
ようです。当然にココも以後の乗り潰し実際に乗る事になりますが、
当時は要所要所見れればイイや、とでも思ってたんでしょう。

右が終点の三菱自工前駅に到着した写真です。…ファインダー
でも掛かってたのか、右端に謎の障害物が写ってますね。現像する
まで分からないのも、フィルムカメラならではのミスでしょう。

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時刻は夕方の4時頃でしょう。11月なので段々と暮れかけてる時間帯
ですが、駅名の通り周囲は三菱自動車の工場しかナイような所です
から、通勤時間帯以外は全く人気のナイ駅でした。

この雰囲気は今でもソレほど変わってナイと思われます。

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同路線終点1つ手前水島駅がソコソコの規模の主要駅なので
現在では日中の約半分程度の列車が水島折り返します

この当時は朝8時台の次が15時台まで空く、極端な通勤特化ダイヤ
だったようです。同社の場合もメインは貨物輸送だし、現在のように
グッズを売ったり珍しい車両でPRしたりと言う方向性もナイし。

夕方になって、ようやくキハ20型普通列車がやって来ました。
…当時としても数が減って珍しくなりつつあった形式ですが、国鉄色
ではなく同社オリジナル塗装ですね。

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水島臨海鉄道に関しては完全に「おまけ」なのでコノ程度で終了です。
レンタカーを返しに新倉敷駅まで帰って来ました

…ココからまた山陽新幹線「6両こだま」で帰ります。夕方のラッシュ
需要か、30分間隔で走ってるのは今と似たような感じでしょう。

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0系新幹線翌2000年東海道区間から撤退し、9年後2009年
完全に引退してしまいました。

イベント映画の撮影用に各種1編成ずつ残しておくってのは無理
なのかしらね?ぇ、ダイヤ的にも邪魔になる?

帰りに買った駅弁掛け紙(フタ)も撮ってました。調べてみるとコノ
「幕の内 夢二」2015年頃まで岡山駅で販売されてたようです。

そんな感じで1999年タイムトラベルした乗り鉄の旅は如何でした
でしょうか?てか今回の場合、乗り鉄行き帰りの新幹線だけ
現地ではレンタカー移動だから、純粋に乗り鉄の旅でもナイのかな?

当分の間、旅行回数減りそうなので(昨年比で)更に過去の画像を
色々と漁って、場つなぎでも面白い記事を提供出来ればと思います。




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No.751 乗り鉄タイムトラベル

1999年 岡山の旅 ③

2021/04/19(Mon)

さて1999年岡山の旅ですが、メインの目的は井笠鉄道を探る旅
なので、同社新山駅跡地に作られた井笠鉄道記念館に到着して
おりますクラ駅長です。…廃線から27年目に相当する頃です。

ぁ、前回に書き忘れたんですが、笠岡駅近くの高架下にあるホジ9号
気動車
に関しては、当時はソノ存在を全く知らなかったので、完全に
見落とした事になります。

インターネット使えなかった時代では色々と限界がありますな。

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ともあれ記念館の保存車です。ドイツコッペル社製小型機関車
客車・貨車1両ずつ保存されてるのは今と同じなんですが、全体的
荒れてると言うのか、今の方がキレイな感じですね。

…後に塗装の塗り直しや、車体の外板の貼り替えなどが行われたの
でしょう。保存車両整備しようと言う活動は、どの地方でも今の方が
活発
に行われてるような気がします。

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館内も何枚か撮ってますが、左の沿線地図は今でも同じ物が残って
います。当時はもっと雑然としてた印象で、自分のメモには「客を呼ぶ
気はナイらしい」と書いてありました。

コレまた今ほどの情報化社会ではナイから、田舎にある入場無料
施設は「知る人ぞ知る」存在で、訪問客も稀だったのかも知れません。

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そんな感じで新山駅跡地井笠鉄道記念館を見学した後、もぅ1箇所
同社保存車がある所へ向かうんですが、途中で何やら見慣れない
私鉄路線に出くわしました。…井原鉄道井原駅です。

…当時の私は鉄道より車で旅する事の方が楽しく鉄道趣味から
些か遠ざかってたので、こんな所に新規開業の路線開通したとは
知らなくて、何となく物珍しくて撮っただけに留まってます。

同路線が開業したのが同年の1月11日の事だから丁度10ヵ月目の日
だったようで、何やらイベントのような事をやってました。
開業して間もないから、線路のバラストがまだキレイな灰色でしょ。

そして20年後木村鉄道の社員旅行同社を訪問した際、ガイド
の方に「井笠鉄道の路盤再利用している箇所はありますか?」と
質問してしまったのは、この時の記憶があったからなのです。

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井原鉄道線路を越えて更に北側の山手に上がった所に、経ヶ丸
グリーンパークと言うレジャー施設があります。

ココに井笠鉄道末期に活躍していたホジ101号と、小型客車が保存
されてると言うので見に来たんですよ。

…ようやく自撮りが出てきましたね。26歳ぐらいです。若い?
当時から実年齢より上に見られがちだったので自分としてはソレほど
変わってナイ気はするんですが、顔の皮膚は明らかに垂みました

髪の量多く見えますが、生え際の位置はソレほど変わってません
単に散髪に行くタイミングの問題で、伸びきってる状態なのでしょう。
服のセンスも今と大差なくYシャツネクタイブルゾン定番です。

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そんな事よりホジ101号ですが、現在当時と同じ条件で保存されて
います。比べてみると1999年の方が車体色が濃いように見えますね。

…だから塗装直し等のメンテナンスは特に行われておらず経年
よる色褪せなのでしょう。窓ガラス無いのも当時から同じです。

ともあれ当時の予定としては、笠岡駅鬮場駅記念館グリーン
パーク4箇所を回れた事で全て完了でした。…後に他の保存車
駅跡などの情報が追加され、22年後再訪する事になるんですが。

このまま帰る時間が余る(と思ったかどうかは忘れた)ので、あと
1箇所気になる鉄道スポットを見に行く事にしました。…この辺の
行動パターンも、とソレほど変わってナイですね。

→次回に続く



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No.750 乗り鉄タイムトラベル

1999年 岡山の旅 ②

2021/04/18(Sun)

さて1999年岡山の旅ですが、0系「こだま」に乗った私は新倉敷
で下車しました。

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ココで駅レンタカーを借ります。…この時が確か、初めて駅レンタカー
を使った
日だと思いますクラ駅長です。

ぁ、この名前現在のHP(最初は「魔法のiらんど」から始まった)を
作った時からの物なので、名乗るのは2年ほど先の事です。

当時から切符レンタカーセットで事前予約する必要があり、まだ
ネットでは出来なかった(てか私がインターネットを始めるのが翌年
ぐらい)から、全て奈良駅の窓口で買いましたわ。

切符割引になる分で「ちょっとイイやつ」と思い、ホンダアコード
を借りてます。当時の最新型6代目。今でも好きなスタイルですよ。
ナンバープレート分類番号3桁になったのは前年の1998年です。

この日はココからまず笠岡市へ向かい、後にも何度か訪れる事になる
井笠鉄道跡地を探る旅なのです。

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そんな感じで山陽本線笠岡駅にやって来ました。…インターネット
使えなかった時代なので事前に笠岡駅電話で問い合わせたん
ですが、当時は笠岡駅近くにレンタカー屋さん無かったんですよ。

その時に直近で教えて貰ったのが新倉敷駅だったと言う事情でした。

この駅は今も当時ソレほど変わってナイ感じですが、JR西日本
旅行商品のブランドが「ウエンズ」である辺りに時代を感じます

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繰り返しになりますが井笠鉄道は、軽便鉄道の路線は昭和46年
廃止されたものの、会社そのもの旅行会社として残っています。

…現在は港の近くに移転していますが当時は駅前の商店街店舗
があったようですね。

そして笠岡駅1番線ですが、広島方の先井笠鉄道が発着して
いた古いホーム現在でも残っています。…ぁ、写り込んでるJRの
車両「カフェオレ色」旧広島塗装ですな。

しかし上の画像では保線車両が置いてある位置まで駐車場が拡張
されており、少し状況が変わってしまいました。

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笠岡駅から1kmほど行った所に車庫があり、ココの駅名は「鬮場」
言いました。この辺りの風景とソレほど変わってナイ感じです。

近年笠岡駅へ行った時も、当時と同じ構図写真を撮ってます。
駅前のロータリーバスとタクシーしか入れないからなんですが、
如何に発想が進歩してナイかが分かりました。

同路線も例によって廃止後バス転換されたようで、廃線跡最も
近い所を走ってると思われるバスも撮ってました。

当時でも数が減りつつあったモノコックボディバスですが、画像を
見る限り、現在地元の方保存運動をやってるアレ同型の車
見えます。…当時の登録番号まで知りませんが、もしかして実物?

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そして訪れたのが、新山駅跡地を利用した井笠鉄道記念館です。
…今ならインターネットで簡単に情報が入手出来るんですが、ココの
存在ドノようにして知ったのか?ちょっと覚えてません

またを走らせるにしてもカーナビ存在しないので、地図を見て
なります。…簡単に拡大とか出来ない道路地図に、こんなマイナーな
施設まで載ってたのかな?

ともあれ当時から入場無料でした。見学して行きますよ。

→次回に続く



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No.749 乗り鉄タイムトラベル