駅ノート 土佐大正
2022/07/11(Mon)
…そんな感じで早朝に奈良を出て数時間、ようやく最初の目的地
となる予土線の土佐大正駅に到着しましたクラ駅長です。
途中から雨が降り出し、段々とキツくなってきました。当日は午後
から翌朝にかけて結構な大雨になると言う予報が出ています。
以前に半家や十川の駅ノートを描いた帰り、ココにも寄り道したん
ですが、当時から気になってる「国鉄 土佐大正駅」の案内標識。
…周知の通り、国鉄がJRに移管して今年で35年になるワケですが
当時(またはソノ以前)から建ってるとは思えないキレイな物です。
駅そのものは山小屋調のデザインが特徴的な駅舎でした。
向かって左側部分に、地元バス会社の営業所が入居しています。
そして以前は駅ノートがなかったのが、今年の2月頃に新規設置
されました。設置者ご本人のツイートで分かったのですが。
駅に入居しているバス会社は「四万十交通」と言い、この付近の
ローカル路線などを運行しているようです。…だから同駅前が
小規模なバスターミナルでもあるんですよ。
駅の真向かいに昔の商人宿みたいな民宿&食堂の建物があり
ますが、現在は地元の情報発信拠点とゲストハウスになってる
ようでした。…時代の流れですね。
元は有人駅だったのでしょうが、現在は簡易委託駅となっており、
そのバス営業所が駅の窓口業務も兼務しているようです。
…が平日日中のみの営業らしく、当日(日曜日)は閉まってました。
駅ノートはソノ窓口付近にあります。…そして上段の写真のように
訪問日には内装を木目調の物にリフォームする工事の途中だった
ようで、駅舎内に照明器具が全くナイ状況だったんですよ。
尚且つ雨が降り出してるので、日中なのに薄暗くて困りました。
…窓が開いてる壁に沿ってカウンター席のようなテーブルと椅子
があり、ココに座って描けば何とか明かりは確保出来そうですね。
駅舎内に、予土線が全通しソノ中でも主要駅だったと思われる同駅
が開業した当時の写真が飾ってありました。…昭和48年と書いて
ありますが正しくは昭和49年の事だったようです。
「意外と新しいのね」と言うのが第一印象ですが、それでも約50年前
の事であり、そろそろその使命を終えようとしてる気もします。
線路が駅舎より少し高い築堤の上にあるので、駅舎を出ると地下道
を通ってホームに至ります。曲がり角の部分に謎のサイケデリック
なアートがありました。ホームは交換可能な島式の物です。
駅ノートは駅前でゲストハウスを経営している男性が置いた物
だと言う事で、描いてる途中にご本人が通り掛って少しだけお話し
させて頂きました。
十川の「かっぱバックパッカーズ」のオーナーさんに勧められたと
言う事なので、正式な許可を得た物だと思われます。
早くも何人かの絵師さんが訪れており、デハニ会さん、ケンさん、
きろはさんの作品がありました。
私は取り敢えず考えてきたネタなんですが、以前にも少し触れた
西村京太郎氏の短編「殺意を運ぶ列車」の冒頭シーンです。
ぱのの台詞のような通報が警視庁捜査一課に掛かってきて、色々
あって「タイショウ・ショウワ」が予土線の土佐大正と土佐昭和の
2駅の事だと分かり、舞台は隣の土佐昭和駅の駅前へと移ります。
…絵では「通信指令室」としましたが、このシリーズでは何故か
一般人が捜査一課へ直接通報してくるケースが多いんですよ。
事件の情報提供用に捜査本部の電話番号を公開する事は間々
あるでしょうが、ソレは大抵が所轄に置かれた物ですよね。
何の事件も起きてナイ(発覚してナイ)状況からコレは不自然。
そして十津川警部の強引な推理力。よく当たりを引いたもんだ。
更にこの通報者に限らず、文中に何故かタメ口の若い女が多い。
…等々の積年の疑問や「突っ込み所」を一枚の絵にしてみました。
駅舎内に照明がナイので早く描かないと面倒な事になります。
何とか16時過ぎには終わらせる事が出来たので、当日の宿泊地
となる窪川近くのホテルまで戻りますよ。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
となる予土線の土佐大正駅に到着しましたクラ駅長です。
途中から雨が降り出し、段々とキツくなってきました。当日は午後
から翌朝にかけて結構な大雨になると言う予報が出ています。
以前に半家や十川の駅ノートを描いた帰り、ココにも寄り道したん
ですが、当時から気になってる「国鉄 土佐大正駅」の案内標識。
…周知の通り、国鉄がJRに移管して今年で35年になるワケですが
当時(またはソノ以前)から建ってるとは思えないキレイな物です。
駅そのものは山小屋調のデザインが特徴的な駅舎でした。
向かって左側部分に、地元バス会社の営業所が入居しています。
そして以前は駅ノートがなかったのが、今年の2月頃に新規設置
されました。設置者ご本人のツイートで分かったのですが。
駅に入居しているバス会社は「四万十交通」と言い、この付近の
ローカル路線などを運行しているようです。…だから同駅前が
小規模なバスターミナルでもあるんですよ。
駅の真向かいに昔の商人宿みたいな民宿&食堂の建物があり
ますが、現在は地元の情報発信拠点とゲストハウスになってる
ようでした。…時代の流れですね。
元は有人駅だったのでしょうが、現在は簡易委託駅となっており、
そのバス営業所が駅の窓口業務も兼務しているようです。
…が平日日中のみの営業らしく、当日(日曜日)は閉まってました。
駅ノートはソノ窓口付近にあります。…そして上段の写真のように
訪問日には内装を木目調の物にリフォームする工事の途中だった
ようで、駅舎内に照明器具が全くナイ状況だったんですよ。
尚且つ雨が降り出してるので、日中なのに薄暗くて困りました。
…窓が開いてる壁に沿ってカウンター席のようなテーブルと椅子
があり、ココに座って描けば何とか明かりは確保出来そうですね。
駅舎内に、予土線が全通しソノ中でも主要駅だったと思われる同駅
が開業した当時の写真が飾ってありました。…昭和48年と書いて
ありますが正しくは昭和49年の事だったようです。
「意外と新しいのね」と言うのが第一印象ですが、それでも約50年前
の事であり、そろそろその使命を終えようとしてる気もします。
線路が駅舎より少し高い築堤の上にあるので、駅舎を出ると地下道
を通ってホームに至ります。曲がり角の部分に謎のサイケデリック
なアートがありました。ホームは交換可能な島式の物です。
駅ノートは駅前でゲストハウスを経営している男性が置いた物
だと言う事で、描いてる途中にご本人が通り掛って少しだけお話し
させて頂きました。
十川の「かっぱバックパッカーズ」のオーナーさんに勧められたと
言う事なので、正式な許可を得た物だと思われます。
早くも何人かの絵師さんが訪れており、デハニ会さん、ケンさん、
きろはさんの作品がありました。
私は取り敢えず考えてきたネタなんですが、以前にも少し触れた
西村京太郎氏の短編「殺意を運ぶ列車」の冒頭シーンです。
ぱのの台詞のような通報が警視庁捜査一課に掛かってきて、色々
あって「タイショウ・ショウワ」が予土線の土佐大正と土佐昭和の
2駅の事だと分かり、舞台は隣の土佐昭和駅の駅前へと移ります。
…絵では「通信指令室」としましたが、このシリーズでは何故か
一般人が捜査一課へ直接通報してくるケースが多いんですよ。
事件の情報提供用に捜査本部の電話番号を公開する事は間々
あるでしょうが、ソレは大抵が所轄に置かれた物ですよね。
何の事件も起きてナイ(発覚してナイ)状況からコレは不自然。
そして十津川警部の強引な推理力。よく当たりを引いたもんだ。
更にこの通報者に限らず、文中に何故かタメ口の若い女が多い。
…等々の積年の疑問や「突っ込み所」を一枚の絵にしてみました。
駅舎内に照明がナイので早く描かないと面倒な事になります。
何とか16時過ぎには終わらせる事が出来たので、当日の宿泊地
となる窪川近くのホテルまで戻りますよ。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1198 駅ノートの記録