駅ノート 鹿波
2022/09/09(Fri)
…と言う事で、遂にのと鉄道の廃線区間の乱立エリアに踏み込む
事になりましたクラ駅長です。
前回の最後に見た海岸近くの集落内から内陸部へ左折し、約2km
走ると廃線跡の築堤が見えてきました。
国鉄時代の能登線は、昭和34年から段階的に線路を延ばし、終点
の蛸島まで開通したのが昭和39年の事だそうです。
その後、昭和62年の分割民営化を経て翌昭和63年に第三セクター
ののと鉄道に移管した後、平成17年に廃線となりました。
鹿波駅を含む区間は初期の昭和38年に開通したので、同駅もソレ
と同時に開業しています。開業から46年で廃止と言うのは、鉄道の
寿命としては短かい方でしょうか?
車(方向転換後なので来た方を向いてます)を駐めた辺りが駅への
導入路だと言う事で、用途のよく分からない小屋が1つありました。
航空写真で確認してみますと、青いマーカーを置いた地点が上記の
小屋です。そしてAとBの2方向からスロープ状の小路が見え、途中
で合流して駅へ向かう動線だったと思われます。
…線路は恐らくオレンジ色の線で記したルートにあり、僅かにホーム
と待合室の建物らしき物が確認出来ました。
では実際にA方向のスロープから上ってみましょう。
生い茂った雑草をかき分けて進むと、程なくしてホーム跡に出ました。
…小規模な待合室が残ってますね。
同区間の廃駅には過去に幾つか行きましたが、基礎にコンクリート
ブロックを積んで木製の壁を載せた「よくあるタイプ」の待合室です。
入口の扉は施錠されてますが窓の1つが開いてると言う事で、先行
設置された白丸駅と同じ状況です。しかし駅ノートはありません。
その待合室の裏手に2階建ての建物が残ってます。…しかしココ
まで荒れると店舗なのか集合住宅なのか、全く分かりません。
てか上に載せた航空写真を見ての通り、周囲は田んぼと畑ばかり
の環境で人家と言う物が全くありません。農作業の人が時々車で
通りますが、最終的には駅があっても苦しい状況だったでしょうね。
…そんな感じで先に駅の方を紹介しましたが、駅ノートは実は先程
の小屋の中にあるんですよ。まぁ事前の情報で分かってましたが、
ココに戻って見てみる事にします。
「用途のよく分からない小屋」と書きましたが、コレは電話ボックス
の跡だそうな。…よくあるガラス張りの物に比べると随分立派ですね。
当然の事に内部に公衆電話はありません。狭いながらも比較的
キレイな建物であり、ドアを閉めれば風雨も防げるようですが、
今の季節だとカナリ暑い事になるでしょう。
置かれている電話帳が2004年(平成16年)の物ですから、やはり
廃止時のまま時間が止まってるようです。
駅ノートはココでは「駅前ノート」となっています。以後の駅も同様
なのですが、今年の4月~5月にTwitter名なやはるるさんと言う人
が概ね14箇所の駅跡に一気に置いた物の1つです(旧来のノート
の更新も含む)。
…ツイートを見るに、地元か少なくとも北陸近県内に住んでる方で、
能登線の廃線区間の駅やトンネル、高架橋の跡などを研究されてる
方だと見ました。ジャンルにすると「郷土史家」みたいな感じかな?
ノートの冒頭には同駅周辺の廃線跡と、区間内に残る高架橋などの
構造物を調べた地図が添付してあり、廃線跡をがっつり巡る方には
便利な資料になると思われます。
…絵師さんの作品やゆっくまーシールは未踏の状態でした。
てか私以外にワザワザ絵を描きに来る物好きは居るんでしょうか?
取り敢えず訪問者の大多数は穴水方向から来ると思われるので、
廃線区間の取っ掛かりの駅になるでしょう。イントロダクション的な
意味も込めて、ココから先のノート設置駅を略図にしておきました。
朝食ナシで来たので7:30に着いて8:00~10:00ぐらいで描きました。
続いて隣の甲(かぶと)駅跡へ移動します。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
事になりましたクラ駅長です。
前回の最後に見た海岸近くの集落内から内陸部へ左折し、約2km
走ると廃線跡の築堤が見えてきました。
国鉄時代の能登線は、昭和34年から段階的に線路を延ばし、終点
の蛸島まで開通したのが昭和39年の事だそうです。
その後、昭和62年の分割民営化を経て翌昭和63年に第三セクター
ののと鉄道に移管した後、平成17年に廃線となりました。
鹿波駅を含む区間は初期の昭和38年に開通したので、同駅もソレ
と同時に開業しています。開業から46年で廃止と言うのは、鉄道の
寿命としては短かい方でしょうか?
車(方向転換後なので来た方を向いてます)を駐めた辺りが駅への
導入路だと言う事で、用途のよく分からない小屋が1つありました。
航空写真で確認してみますと、青いマーカーを置いた地点が上記の
小屋です。そしてAとBの2方向からスロープ状の小路が見え、途中
で合流して駅へ向かう動線だったと思われます。
…線路は恐らくオレンジ色の線で記したルートにあり、僅かにホーム
と待合室の建物らしき物が確認出来ました。
では実際にA方向のスロープから上ってみましょう。
生い茂った雑草をかき分けて進むと、程なくしてホーム跡に出ました。
…小規模な待合室が残ってますね。
同区間の廃駅には過去に幾つか行きましたが、基礎にコンクリート
ブロックを積んで木製の壁を載せた「よくあるタイプ」の待合室です。
入口の扉は施錠されてますが窓の1つが開いてると言う事で、先行
設置された白丸駅と同じ状況です。しかし駅ノートはありません。
その待合室の裏手に2階建ての建物が残ってます。…しかしココ
まで荒れると店舗なのか集合住宅なのか、全く分かりません。
てか上に載せた航空写真を見ての通り、周囲は田んぼと畑ばかり
の環境で人家と言う物が全くありません。農作業の人が時々車で
通りますが、最終的には駅があっても苦しい状況だったでしょうね。
…そんな感じで先に駅の方を紹介しましたが、駅ノートは実は先程
の小屋の中にあるんですよ。まぁ事前の情報で分かってましたが、
ココに戻って見てみる事にします。
「用途のよく分からない小屋」と書きましたが、コレは電話ボックス
の跡だそうな。…よくあるガラス張りの物に比べると随分立派ですね。
当然の事に内部に公衆電話はありません。狭いながらも比較的
キレイな建物であり、ドアを閉めれば風雨も防げるようですが、
今の季節だとカナリ暑い事になるでしょう。
置かれている電話帳が2004年(平成16年)の物ですから、やはり
廃止時のまま時間が止まってるようです。
駅ノートはココでは「駅前ノート」となっています。以後の駅も同様
なのですが、今年の4月~5月にTwitter名なやはるるさんと言う人
が概ね14箇所の駅跡に一気に置いた物の1つです(旧来のノート
の更新も含む)。
…ツイートを見るに、地元か少なくとも北陸近県内に住んでる方で、
能登線の廃線区間の駅やトンネル、高架橋の跡などを研究されてる
方だと見ました。ジャンルにすると「郷土史家」みたいな感じかな?
ノートの冒頭には同駅周辺の廃線跡と、区間内に残る高架橋などの
構造物を調べた地図が添付してあり、廃線跡をがっつり巡る方には
便利な資料になると思われます。
…絵師さんの作品やゆっくまーシールは未踏の状態でした。
てか私以外にワザワザ絵を描きに来る物好きは居るんでしょうか?
取り敢えず訪問者の大多数は穴水方向から来ると思われるので、
廃線区間の取っ掛かりの駅になるでしょう。イントロダクション的な
意味も込めて、ココから先のノート設置駅を略図にしておきました。
朝食ナシで来たので7:30に着いて8:00~10:00ぐらいで描きました。
続いて隣の甲(かぶと)駅跡へ移動します。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1258 駅ノートの記録