駅ノート 甲
2022/09/10(Sat)
さて能登線の配線区間ですが、今回訪問予定のノート設置駅の
2つ目として、先程の鹿波から1つ先(蛸島方向)の甲(かぶと)駅
にやって来ましたクラ駅長です。
…鹿波から同駅までの営業キロは3.8kmとなっていますが、コレは
山をトンネルで一直線に抜けた場合の距離なのでしょう。カーナビ
の設定では海岸を迂回して9kmあまりのようでした。
こちらは廃駅ながら、堅牢な造りの駅舎が残っています。付近には
小規模ながら集落があるので、秘境化しにくい環境なのでしょう。
…能登線にはコノような感じで「コンクリートブロックを積んだだけ」
の駅舎が矢鱈と多いような気がするんですよ。もぅ一手間加えて
壁をモルタルで塗ってみるとか出来なかったんでしょうか?
それとも集客が見込めず早々に廃止される事を見越してたとか?
Wikipediaによると元は交換設備のある急行停車駅で、タブレット
閉塞の時代は有人駅だったそうな。
入口は施錠されていますが、のと鉄道のマークが残っています。
あと画像では見切れるように撮ったんですが、駅舎の前の広場
には乗用車が2台ほど駐まってました。一見するとパーク&ライド
に見えますが、既に鉄道は存在しないので意味不明です。
窓ガラスにスマートフォンを密着させて駅舎内を撮ってみましょう。
斜めに切ったような形の出札窓口と手荷物用の低いカウンターが
あるのは、国鉄の有人駅のお約束みたいなもんです。
それに加えて再末期に使われてたと思われる券売機もありました。
駅舎を正面から見て右端にトイレがあります。驚いた事にココは
施錠されておらず、最低限の設備ですが何とか使えそうでした。
…廃止から17年経ってますが完全に放置されてるワケでもなく
明らかにココは誰かが掃除して使える状態を保ってますよね。
駅舎の背後にはカナリ広い敷地があり、島式ホームと待合室が
残っています。駅舎からカナリ離れた所に上屋があり、手前の
小規模な待合室は末期になって追加された物かも知れません。
元は上下線の線路の他に側線が何本かあり、現在は能登中島に
あるオユ10型郵便車は元々、ココの側線で保存されてた物だそう
です(廃止直前に現在の場所に移動)。
駅ノートは手前の待合室にありました。ボールペンの他に色鉛筆
のセットも置かれています。
設置者は例によってなやはるるさんでしょう。やはり冒頭に周辺の
状況を解説した地図が貼ってありました。
こちらも絵師さんの作品などはありませんが、一般の書き込みが
全くゼロと言う事もなく、やはり廃線跡巡りが好きな人が一定数
居る事が実感出来ました。
ココは駅の設備が概ね残ってるので、オーソドックスにのろ一家も
廃線跡巡りの途中で立ち寄った感じにしておきましょう。
…真ん中の松の木は廃止後に植えられた物だそうです。
それが17年でココまで大きく育ったと言う事か?
所で現在の駅の所有者は誰なのか?もし自治体だったら、ホーム
を舞台に見立てて整備して、イベント広場のような使い方も出来そう
な気がするんですが、勿体無い話です。
しかし夏場の廃線跡と言うのは矢鱈と木や草が茂ってるもんで、
色鉛筆の緑ばっかり減って困りますね。
明日は日曜日なので「考えるシリーズ」の記事を挟んで、鹿波と甲
の「おまけネタ」に続ける事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
2つ目として、先程の鹿波から1つ先(蛸島方向)の甲(かぶと)駅
にやって来ましたクラ駅長です。
…鹿波から同駅までの営業キロは3.8kmとなっていますが、コレは
山をトンネルで一直線に抜けた場合の距離なのでしょう。カーナビ
の設定では海岸を迂回して9kmあまりのようでした。
こちらは廃駅ながら、堅牢な造りの駅舎が残っています。付近には
小規模ながら集落があるので、秘境化しにくい環境なのでしょう。
…能登線にはコノような感じで「コンクリートブロックを積んだだけ」
の駅舎が矢鱈と多いような気がするんですよ。もぅ一手間加えて
壁をモルタルで塗ってみるとか出来なかったんでしょうか?
それとも集客が見込めず早々に廃止される事を見越してたとか?
Wikipediaによると元は交換設備のある急行停車駅で、タブレット
閉塞の時代は有人駅だったそうな。
入口は施錠されていますが、のと鉄道のマークが残っています。
あと画像では見切れるように撮ったんですが、駅舎の前の広場
には乗用車が2台ほど駐まってました。一見するとパーク&ライド
に見えますが、既に鉄道は存在しないので意味不明です。
窓ガラスにスマートフォンを密着させて駅舎内を撮ってみましょう。
斜めに切ったような形の出札窓口と手荷物用の低いカウンターが
あるのは、国鉄の有人駅のお約束みたいなもんです。
それに加えて再末期に使われてたと思われる券売機もありました。
駅舎を正面から見て右端にトイレがあります。驚いた事にココは
施錠されておらず、最低限の設備ですが何とか使えそうでした。
…廃止から17年経ってますが完全に放置されてるワケでもなく
明らかにココは誰かが掃除して使える状態を保ってますよね。
駅舎の背後にはカナリ広い敷地があり、島式ホームと待合室が
残っています。駅舎からカナリ離れた所に上屋があり、手前の
小規模な待合室は末期になって追加された物かも知れません。
元は上下線の線路の他に側線が何本かあり、現在は能登中島に
あるオユ10型郵便車は元々、ココの側線で保存されてた物だそう
です(廃止直前に現在の場所に移動)。
駅ノートは手前の待合室にありました。ボールペンの他に色鉛筆
のセットも置かれています。
設置者は例によってなやはるるさんでしょう。やはり冒頭に周辺の
状況を解説した地図が貼ってありました。
こちらも絵師さんの作品などはありませんが、一般の書き込みが
全くゼロと言う事もなく、やはり廃線跡巡りが好きな人が一定数
居る事が実感出来ました。
ココは駅の設備が概ね残ってるので、オーソドックスにのろ一家も
廃線跡巡りの途中で立ち寄った感じにしておきましょう。
…真ん中の松の木は廃止後に植えられた物だそうです。
それが17年でココまで大きく育ったと言う事か?
所で現在の駅の所有者は誰なのか?もし自治体だったら、ホーム
を舞台に見立てて整備して、イベント広場のような使い方も出来そう
な気がするんですが、勿体無い話です。
しかし夏場の廃線跡と言うのは矢鱈と木や草が茂ってるもんで、
色鉛筆の緑ばっかり減って困りますね。
明日は日曜日なので「考えるシリーズ」の記事を挟んで、鹿波と甲
の「おまけネタ」に続ける事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1259 駅ノートの記録