亀の瀬トンネルを探る ①
2022/11/28(Mon)
さて新たな報告です。
仕事のシフトの流れで自分の連休が土日に被ると、ホテルの混雑
などを考えて遠出をする気が失せるので、単発ネタとして近所の
鉄道遺跡?を探りに行く事にしましたクラ駅長です。
JR大和路線の河内堅上と三郷の間に、地元の通称で「亀の瀬」と
呼ばれる地点があるんですよ。上記の2駅の間に府県境があり、
河内堅上は大阪府、三郷は奈良県になります。
…大和川の北側に沿った三室山の南側斜面では、昔から大規模な
地すべり災害が何度も発生しており、自治体や国交省が対策工事
を行なっているエリアがあるんですよ。
ココに「亀の瀬地すべり資料室」と言う資料館があり、対策工事や
排水トンネルの資料を公開してると言う事で見学に行ってきました。
大和川と平行してる国道25号線からすぐの所で、隣の河内堅上駅
には駅ノートで何度か行ってるものの、ココは初めてです。
関係者専用の管理道路である旨が書かれた橋を渡るんですが、
地元の生活道路も兼ねてるので何の規制もありません。坂道を
登ると小規模な資料館がありました。…見学は無料のようです。
昔は不定期に公開されてたのが、令和2年に一連の地すべり対策
事業が日本遺産に指定されたのを機会に、日曜祝日などに予約なし
でも見学出来るようになったとの事です(平日は要予約)。
時間を切ってボランティアと思われるおじさんが案内してくれる見学
ツアーもあるんですが、中途半端なタイミングで行ったのでセルフで
回る事にしましょう。
…「鉄道絡みのネタはいつ出てくるんだ?」と言う所ですが、まずは
地すべり対策事業についての展示を見て行きます。
私も地理学的な事は専門ではナイので何となくしか分からないの
ですが、この付近は昔から「滑りやすい」地質だったようで、最も
古い所では4万年ほど前の地すべりの跡が地層から伺えるそうな。
近代以前の記録は特に残ってナイものの、明治以降で大規模な
地すべりが3回ほど起こっています。なので昭和30年代に入ると
国の主導で大規模な対策工事が行われるようになりました。
具体的には大雨が降った時に雨水を逃がすための排水トンネルを
掘るとか、太い杭を何本も打ち込んで地盤を強化するとかだそうな。
…その甲斐があって、現在では大規模な地すべりは殆ど起きなく
なりました。しかし現在でもセンサーやカメラなどで24時間の監視
が為されており、警戒は続けられてるようです。
ではココからようやく鉄道の話になります。この付近の国鉄関西本線
は明治25年に開通したもので、現在のルートとは違い大和川の北岸
を亀の瀬トンネルと言う約700mのトンネルで抜けていました。
大正13年にはもぅ1本を追加して複線化されたワケですが、昭和7年
の地すべり災害で2本のトンネルは完全に埋まってしまいます。
亀の瀬トンネルは完全に崩壊して復旧は無理だとされ、大和川の
南岸を通る現在のルートに切り替えられました。…だから鉄橋で
大和川を2度も渡る複雑な線形になってしまったと言う事なのか。
それが平成20年になり新たに排水トンネルを掘ってる時、埋まってた
明治時代のトンネルが偶然に発見され、一部がほぼ完全な形で出て
きたらしいんです。
…そのトンネルを「折角だから保存しよう」と言う事になり、資料室
の公開に合わせて内部へも入れるようになったと言う事だそうな。
資料館内には発掘されたレールやトンネルに使われていた煉瓦など
も展示されていました。
また右の写真は直接関係ナイかも知れませんが、古い時代の国道
工事の様子だと思われます。トロッコを牽くのが小型の蒸気機関車な
所に時代を感じますね。
屋内の資料室はコノぐらいの感じです。…何とか予備知識の勉強が
出来た所で、実際のトンネルなどを見に行く事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
仕事のシフトの流れで自分の連休が土日に被ると、ホテルの混雑
などを考えて遠出をする気が失せるので、単発ネタとして近所の
鉄道遺跡?を探りに行く事にしましたクラ駅長です。
JR大和路線の河内堅上と三郷の間に、地元の通称で「亀の瀬」と
呼ばれる地点があるんですよ。上記の2駅の間に府県境があり、
河内堅上は大阪府、三郷は奈良県になります。
…大和川の北側に沿った三室山の南側斜面では、昔から大規模な
地すべり災害が何度も発生しており、自治体や国交省が対策工事
を行なっているエリアがあるんですよ。
ココに「亀の瀬地すべり資料室」と言う資料館があり、対策工事や
排水トンネルの資料を公開してると言う事で見学に行ってきました。
大和川と平行してる国道25号線からすぐの所で、隣の河内堅上駅
には駅ノートで何度か行ってるものの、ココは初めてです。
関係者専用の管理道路である旨が書かれた橋を渡るんですが、
地元の生活道路も兼ねてるので何の規制もありません。坂道を
登ると小規模な資料館がありました。…見学は無料のようです。
昔は不定期に公開されてたのが、令和2年に一連の地すべり対策
事業が日本遺産に指定されたのを機会に、日曜祝日などに予約なし
でも見学出来るようになったとの事です(平日は要予約)。
時間を切ってボランティアと思われるおじさんが案内してくれる見学
ツアーもあるんですが、中途半端なタイミングで行ったのでセルフで
回る事にしましょう。
…「鉄道絡みのネタはいつ出てくるんだ?」と言う所ですが、まずは
地すべり対策事業についての展示を見て行きます。
私も地理学的な事は専門ではナイので何となくしか分からないの
ですが、この付近は昔から「滑りやすい」地質だったようで、最も
古い所では4万年ほど前の地すべりの跡が地層から伺えるそうな。
近代以前の記録は特に残ってナイものの、明治以降で大規模な
地すべりが3回ほど起こっています。なので昭和30年代に入ると
国の主導で大規模な対策工事が行われるようになりました。
具体的には大雨が降った時に雨水を逃がすための排水トンネルを
掘るとか、太い杭を何本も打ち込んで地盤を強化するとかだそうな。
…その甲斐があって、現在では大規模な地すべりは殆ど起きなく
なりました。しかし現在でもセンサーやカメラなどで24時間の監視
が為されており、警戒は続けられてるようです。
ではココからようやく鉄道の話になります。この付近の国鉄関西本線
は明治25年に開通したもので、現在のルートとは違い大和川の北岸
を亀の瀬トンネルと言う約700mのトンネルで抜けていました。
大正13年にはもぅ1本を追加して複線化されたワケですが、昭和7年
の地すべり災害で2本のトンネルは完全に埋まってしまいます。
亀の瀬トンネルは完全に崩壊して復旧は無理だとされ、大和川の
南岸を通る現在のルートに切り替えられました。…だから鉄橋で
大和川を2度も渡る複雑な線形になってしまったと言う事なのか。
それが平成20年になり新たに排水トンネルを掘ってる時、埋まってた
明治時代のトンネルが偶然に発見され、一部がほぼ完全な形で出て
きたらしいんです。
…そのトンネルを「折角だから保存しよう」と言う事になり、資料室
の公開に合わせて内部へも入れるようになったと言う事だそうな。
資料館内には発掘されたレールやトンネルに使われていた煉瓦など
も展示されていました。
また右の写真は直接関係ナイかも知れませんが、古い時代の国道
工事の様子だと思われます。トロッコを牽くのが小型の蒸気機関車な
所に時代を感じますね。
屋内の資料室はコノぐらいの感じです。…何とか予備知識の勉強が
出来た所で、実際のトンネルなどを見に行く事にしましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1338 鉄道保存施設を探る