★冷暖房と水回りの思い出
2022/12/18(Sun)
…毎週土曜日は「クラ駅長50年史」の連載を続けてるワケですが、
段々と書き足りない事が出てきましたので、今回は当時の実家の
冷暖房と水回りについて書いてみたいと思いますクラ駅長です。
一般の「考える」シリーズと区別するため、50年史関係の記事は
タイトルの頭に「★」を付ける事にしましょうか。
「②」の回で少し書いたんですが、私が誕生時から19歳ぐらいまで
住んでた実家は、明治時代に建てられたと思しき古い屋敷でした。
恐らく建設時は電気や水道、給湯設備なども皆無であり、まず電気
は照明器具や日常生活用のコンセントに至るまで、全てが後付けの
配線で柱や梁などにコードが這ってる構造でした。
安全装置は今どきのブレーカーではなく「ヒューズ」と言う物です。
自動車用の電装部品などには今でも使われていますが、アレの
大きい物だと思えばよろしい。…100Vだからな。
…切れると交換が必要になるから、買い置きを切らさないように
注意する必要があり、ソレが配電盤にネジで留めてあるので、夜は
暗い中を懐中電灯で照らして取り換える作業を要してました。
田舎の大きな家で、壁で仕切られた部屋と言うのも少ないから、
エアコンの類は一切ありません。夏場は窓を開けてるか、扇風機
を使う程度が関の山でしょう。
…そう言えば小学校で配られた「夏休みの心得」などのプリントには
「課題は朝の涼しいうちに済ませよう」みたいな事が書いてありました。
地域的にそんな家も多かったのか、又は「クーラーは体に悪い」と
言う発想で、当時はまだ未導入な家庭があったのかも知れません。
冬場の暖房は最も多用されてたのが練炭火鉢でしょう。一応は石油
ストーブや電気こたつもありましたが、居間の主力は練炭です。
…練炭って最近は自殺アイテムとしてしか聞かなくなりましたが、
要するに着火したソレを専用のコンロに入れ、更に大きな陶器製の
容器に入れる事で、程よく暖が取れる仕組みになっています。
陶器の縁に手を置くと暖かいし、コンロ部分にヤカンを置いておけば
給茶用のお湯も使える。網で餅を焼いたりするのも可能です。
朝に点けると概ね翌朝まで火が残ってました。
…しかし自殺に使えるぐらいだから、最初はカナリ有毒なガスが出る
らしいんですよ。だから序盤の1時間ぐらいは障子を開け放って換気
する必要があり、暖房として使えるのはソレ以後になります。
そんな感じで夏は暑く冬は寒い家に住んでたワケですが、先述した
ように権利関係が複雑で、ウチの家族は「そのうち出て行く」と言う
事が決まっており、親は設備投資をケチってた節があります。
自室にエアコンが付いたのは今の家に引っ越した19歳の時であり、
年で言うと1991年…平成3年の事になります。遅いでしょ。
…話は少し逸れますがソノ時に建てた今の実家も、30年前にしては
古めかしい「田の字」の構造をしています。
それでも当時なら電気やテレビアンテナの線ぐらい、壁の中に隠す
技術ぐらい幾らでもあったのに、矢鱈と後付けの配線が多いですね。
親が最初は嫌がってたクセに、後から「やっぱりエアコンが欲しい」
とか言うからなんですが、やはり現代家屋の内装として不細工です。
話を昔の実家に戻しますが、次に水回りですね。
最初は当然に井戸だった(実際に敷地内に残ってた)のが普通の
上水道になり、流石に私もソレしか知らないんですが、取り敢えず
困ったのがトイレですよ。…平成に入っても汲み取り式ですから。
…普段はイイとして、問題なのは学校などに提出する検便です。
コレはホントに、庭に新聞紙を敷いてやらされてました。
幸いな事に外からは見ないエリアが幾つもありましたが、地味に
屈辱的です。男児だからイイけど娘ならグレるかも知れません。
便所が汲み取り式だから当然に時々中身を捨てる必要があり、
私が幼児の頃は家の前に肥溜めが存在しました。
…だから私が落ちたワケですが、コレは後にバキュームカーの
業者さんに処理を依頼するようになります。
そして水回りとセットになってるのが給湯設備ですね。
コレは流石に灯油で湯を沸かすボイラーがあったんですが、古い
家なので風呂そのものの構造は「五右衛門風呂」に近い物であり、
釜の焚口が存在しました。
ボイラー設備のある洗濯場と風呂は目測で10m程度離れており、
スイッチを点けても温かいお湯が出るまでのタイムラグが長く、
無駄に時間が掛かってました(水管は恐らく地中にある)。
…古い家だからそんな置き方しか出来なかったようです。
そしてボイラーがポンコツだったのか、よく止まるんですよ。
そんな時は水だけ溜めて下から火で焚く、最も原始的な方法に
なります。…風呂はソレでいいとしても、朝に顔を洗うお湯などは
沸かせず、冬場は寒さに耐えつつ水で洗うしかなかったですね。
風呂の焚口付近の一角は紙やビニールなどのゴミ捨て場と化して
おり、それを燃料にします。それはソレで無駄がなくてイイのかも。
風呂を直火で焚くと底が熱くて入れませんので「下水板…げすいた」
なる木製の板があり、それを風呂の底に噛まします。…木製だから
そのままでは浮いてくるので、別の部品で留めるんですよ。
この状況は流石に母も嫌だったのか、私が10歳ぐらいの時に当時の
金額で60万円ほど掛けてソーラーシステムを併用する新しいボイラー
を導入しました。
…勿論「置いて行くのは勿体無い」と新しい実家に移設しましたが、
今はもぅ残っていません。今時の灯油ボイラーに比べるとカナリ
大きくて複雑な構造だったように思います。
こうして書き出してみると、今とはまるで違う時代に生きてたような
気すらして来ました。現代文明と言うのはホントに有り難い物ですね。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
段々と書き足りない事が出てきましたので、今回は当時の実家の
冷暖房と水回りについて書いてみたいと思いますクラ駅長です。
一般の「考える」シリーズと区別するため、50年史関係の記事は
タイトルの頭に「★」を付ける事にしましょうか。
「②」の回で少し書いたんですが、私が誕生時から19歳ぐらいまで
住んでた実家は、明治時代に建てられたと思しき古い屋敷でした。
恐らく建設時は電気や水道、給湯設備なども皆無であり、まず電気
は照明器具や日常生活用のコンセントに至るまで、全てが後付けの
配線で柱や梁などにコードが這ってる構造でした。
安全装置は今どきのブレーカーではなく「ヒューズ」と言う物です。
自動車用の電装部品などには今でも使われていますが、アレの
大きい物だと思えばよろしい。…100Vだからな。
…切れると交換が必要になるから、買い置きを切らさないように
注意する必要があり、ソレが配電盤にネジで留めてあるので、夜は
暗い中を懐中電灯で照らして取り換える作業を要してました。
田舎の大きな家で、壁で仕切られた部屋と言うのも少ないから、
エアコンの類は一切ありません。夏場は窓を開けてるか、扇風機
を使う程度が関の山でしょう。
…そう言えば小学校で配られた「夏休みの心得」などのプリントには
「課題は朝の涼しいうちに済ませよう」みたいな事が書いてありました。
地域的にそんな家も多かったのか、又は「クーラーは体に悪い」と
言う発想で、当時はまだ未導入な家庭があったのかも知れません。
冬場の暖房は最も多用されてたのが練炭火鉢でしょう。一応は石油
ストーブや電気こたつもありましたが、居間の主力は練炭です。
…練炭って最近は自殺アイテムとしてしか聞かなくなりましたが、
要するに着火したソレを専用のコンロに入れ、更に大きな陶器製の
容器に入れる事で、程よく暖が取れる仕組みになっています。
陶器の縁に手を置くと暖かいし、コンロ部分にヤカンを置いておけば
給茶用のお湯も使える。網で餅を焼いたりするのも可能です。
朝に点けると概ね翌朝まで火が残ってました。
…しかし自殺に使えるぐらいだから、最初はカナリ有毒なガスが出る
らしいんですよ。だから序盤の1時間ぐらいは障子を開け放って換気
する必要があり、暖房として使えるのはソレ以後になります。
そんな感じで夏は暑く冬は寒い家に住んでたワケですが、先述した
ように権利関係が複雑で、ウチの家族は「そのうち出て行く」と言う
事が決まっており、親は設備投資をケチってた節があります。
自室にエアコンが付いたのは今の家に引っ越した19歳の時であり、
年で言うと1991年…平成3年の事になります。遅いでしょ。
…話は少し逸れますがソノ時に建てた今の実家も、30年前にしては
古めかしい「田の字」の構造をしています。
それでも当時なら電気やテレビアンテナの線ぐらい、壁の中に隠す
技術ぐらい幾らでもあったのに、矢鱈と後付けの配線が多いですね。
親が最初は嫌がってたクセに、後から「やっぱりエアコンが欲しい」
とか言うからなんですが、やはり現代家屋の内装として不細工です。
話を昔の実家に戻しますが、次に水回りですね。
最初は当然に井戸だった(実際に敷地内に残ってた)のが普通の
上水道になり、流石に私もソレしか知らないんですが、取り敢えず
困ったのがトイレですよ。…平成に入っても汲み取り式ですから。
…普段はイイとして、問題なのは学校などに提出する検便です。
コレはホントに、庭に新聞紙を敷いてやらされてました。
幸いな事に外からは見ないエリアが幾つもありましたが、地味に
屈辱的です。男児だからイイけど娘ならグレるかも知れません。
便所が汲み取り式だから当然に時々中身を捨てる必要があり、
私が幼児の頃は家の前に肥溜めが存在しました。
…だから私が落ちたワケですが、コレは後にバキュームカーの
業者さんに処理を依頼するようになります。
そして水回りとセットになってるのが給湯設備ですね。
コレは流石に灯油で湯を沸かすボイラーがあったんですが、古い
家なので風呂そのものの構造は「五右衛門風呂」に近い物であり、
釜の焚口が存在しました。
ボイラー設備のある洗濯場と風呂は目測で10m程度離れており、
スイッチを点けても温かいお湯が出るまでのタイムラグが長く、
無駄に時間が掛かってました(水管は恐らく地中にある)。
…古い家だからそんな置き方しか出来なかったようです。
そしてボイラーがポンコツだったのか、よく止まるんですよ。
そんな時は水だけ溜めて下から火で焚く、最も原始的な方法に
なります。…風呂はソレでいいとしても、朝に顔を洗うお湯などは
沸かせず、冬場は寒さに耐えつつ水で洗うしかなかったですね。
風呂の焚口付近の一角は紙やビニールなどのゴミ捨て場と化して
おり、それを燃料にします。それはソレで無駄がなくてイイのかも。
風呂を直火で焚くと底が熱くて入れませんので「下水板…げすいた」
なる木製の板があり、それを風呂の底に噛まします。…木製だから
そのままでは浮いてくるので、別の部品で留めるんですよ。
この状況は流石に母も嫌だったのか、私が10歳ぐらいの時に当時の
金額で60万円ほど掛けてソーラーシステムを併用する新しいボイラー
を導入しました。
…勿論「置いて行くのは勿体無い」と新しい実家に移設しましたが、
今はもぅ残っていません。今時の灯油ボイラーに比べるとカナリ
大きくて複雑な構造だったように思います。
こうして書き出してみると、今とはまるで違う時代に生きてたような
気すらして来ました。現代文明と言うのはホントに有り難い物ですね。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
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