新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

クラ駅長50年史 ⑧

2022/12/31(Sat)

いよいよ2022年大晦日になってしまいましたが、ウチのブログは
特別な事しませんので、土曜日恒例「クラ駅長50年史」の記事
を紹介して参りますクラ駅長です。


今回は1980年昭和55年ですね。
Wikipediaから当時の出来事を拾ってみると、「ルービックキューブ
が発売開始」と言うのが何故か真っ先に目に付きました。

我が家でもがドコかで買ってきて一時的なブームになりましたが、
私は「虎の巻」がナイと1面すらマトモに出来ませんでした。

ただアレは類似品も多かったらしく、正式な物じゃなかった可能性も
あります。

名人ものの数分6面を合わせてしまうんですよね?恐らくは
何らかの法則性に則って回せば早いんでしょうが、回すと言う作業
だけでも結構な時間を要する筈です。未だによく分かりません

鉄道関係では同年2月に、京阪電鉄本線近所の中学生による
置石脱線事故が起きています。コレは私もテレビのニュースで見て
カナリ驚いたのを覚えてますな。

同年の10月には国鉄のダイヤ改正で、東海道山陽新幹線東京~
博多最速で6時間40分になったと書いてあります。

当時は「のぞみ」と言う種別が存在しないから、山陽区間「ひかり」
では停車駅に結構なバラつきがあり(今でもそうか)、中には「ひかり
を追い抜くひかり」と言うアリバイトリックみたいなスジもありました。


…前回は書く事が多く2回に分かれてしまったので、世相の話
少な目にして自分自身の事に文字数を割く事にしましょう。

私は4月から小学校2年生です。先述のように私が行ってた小学校
では1年生と2年生ではクラス替え行わず担任の先生同じ人
でした(コレは変わる場合もある)。

大西先生と言う若い女性なのですが、2年生の途中結婚して産休
に入ったりしてたから、20代後半だったんでしょうか?

しかし今の同世代の女性と比べると遥かに老けてたイメージです。
コノ人に限らず全体的にそう見えてました。自分が子供だったから
かも知れませんが、当時の大人は総じて今より老けてましたね。

女の先生によくあるヒステリー傾向な人で、段々と学校に慣れて
「要らん事しぃ」の私なんかはよく怒られてたのを覚えています。

理由として「ダメな事だから」と言うより「思い通りにならない」事に
キレてたようなフシがありますが。

休み時間先生の近くで怒られてるとして、周囲も子供だから空気
を読まず割り込んで先生に話し掛ける者が居たりしますよね。

先生がソレに対応して、私の件に戻ってくる時の台詞は決まって
「せやろ?」なんですよ(標準語で「そうでしょ?」みたいな)。

慣れてくる反省するより「出るかな?出るかな?」みたいな感じで
楽しんでました。…嫌な子供ですね。

前年の1979年から「ドラえもん」アニメ放送が始まっており、
子供たちの間でもブームになった時、大西先生が「どんな物か見て
おきたい」とか言い出して、単行本を持ってる子に借りて昼休みに
読んでた
のを覚えています。…自分で買えよ


この年の夏休み父親職場の同僚やソノ家族みんな海水浴
行くと言い出し、私もソレに参加した事がありました。…大型免許
持ってる人が居て、レンタカーのマイクロバスを借りてきたんですよ。

マイクロバス最大定員29人だから、恐らく20人前後でしょう。
三重県鳥羽辺りへ行ったんですが、ソレだけの大人数なのに
誰も昼食の手配しておらず帰路の途中まで食事抜きでした。

…帰路に見つけたドライブイン飛び込みで入り、バラつく面倒
だからと言う事で「大人はカツ丼子供はカレーライス」と決められ
てしまいました。

しかしこのカレー幼児には辛すぎる代物で、多くの子供殆ど
食べれなかったのを覚えています。…急に大人数で来て面倒な量
を注文し、子供は殆ど残すとか、店の人には悪い事をしました

バスの車内では大人たちが前方の席に集まり「次はあのトラック
とか対向車を決めて、ナンバーの数字当てっこして遊んでます。

大の大人がソレだけで楽しんでるとは思えないので、アレは恐らく
金品を賭けての博打だったんでしょう。

そして行き集合場所まで自転車(2人乗り)で行ったのに、帰り
同僚の人に家の近所まで車で送って貰ったので、我が家の大人用
自転車は当日から二度と戻ってきませんでした。

奈良県に住んでる私としては、海に入ると言う体験は初めての事
だった筈なんですが、上記のように周辺の印象だけが矢鱈と強く
「海はどうだったのか?」と聞かれると殆ど覚えてません


そしてコノ年、何度か書いてる「食中毒で入院」と言う大事件
起こります。繰り返しになりますが「用水路流れてきたスイカ
を食った」と言う自業自得な事が原因でした。

奈良盆地スイカの産地でもあり、実家の周りはスイカ畑が多く
あります。…そして種を取るために収穫せず放置してあるスイカ
が結構転がってるんですよ。ソレの1つでしょう。

腹が減ってたではなく、用水路で友達と遊んでての「度胸試し」
みたいな動機だった筈です。

1週間ぐらいだったんですかね?消化器系壊して入院だから
食事お粥柔らかい煮物ばっかりで、明らかに物足りません

そこへ空気の読めないが登場。私に付き添ってるに「貰った
寿司が大量にあるけど食うか?」とか言い出しました。

「この子は食べれないんだから持って帰ってよ」「ぃゃ、家にもまだ
あるんだ」みたいな事では仕方なくに向かい、私に背を向けて
寿司を食い始めてました。…そうじゃなくて、食うんなら外へ行け

50年生きてきて「入院した」と言う経験はコレ1度だけです。
そして「食いきれないほどの寿司」を貰って来たのもコノ時だけ
でした。何とも間の悪い話です。


ともあれ食中毒から生還し、11月に私は8歳になりました。

ケーキを焼いてくれたんですが、バースデーケーキ用の蝋燭
なんて洒落た物を用意する頭はナイので、仏壇から白いカメヤマ
ローソクを持ってきて、しかも「ケーキが垂れると良くない」と
言う事か、適当なカマボコ板8本の蝋燭を立てるんですよ。

…ビジュアル的にどぅ見ても「八つ墓村」です。
「何か違うなー」と思いつつ取り敢えずは平静を装ってましたが、
年齢的には癇癪を起して泣くのもアリだったかも知れません。

「子供は子供なりに気を遣ってる」と言う事は、幼児でも意外とある
ような気がします。

何だカンだと今年も終わりですので、来年宜しくお願い致します

→次回に続く



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