クラ駅長50年史 ⑪
2023/01/21(Sat)
ではココで、土曜日恒例の「クラ駅長50年史」の記事を挟む事に
致しますクラ駅長です。今回は1983年…昭和58年ですか。
まずは例によって同年の出来事をWikipediaから拾ってみますと…
NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)で「おしん」が放送され、大ブーム
になった事が冒頭に書いてありました。ヒロインの少女時代を演じた
小林綾子さんは、私と同じ歳の筈です。
…同作品には後に上演された舞台版と言うのもあるんですが、
コレは何かのチャリティーを兼ねており、小林綾子さんと母親役の
泉ピン子(呼び捨て)が劇中のボロボロの衣装を着て募金箱を持ち、
出口で待ってるんですよ(そんな映像をワイドショーで見た)。
「何か姑息よねぇ」と思ったのを覚えています。
あと何故か「徳島ラジオ商殺しの再審決定」とか「免田事件で逆転
無罪」とか「永山則夫事件の上告を棄却」とか、裁判関係の話題が
多く上がってました。
…「ロッキード事件」の第一審で、田中角栄に有罪判決が出たのも
同年の事のようです。
何れも私の人生とは何の関係もありませんが、そろそろ新聞の
社会面ぐらいは読むようになっており、それなりに関心を持って
ました(感想を書く方は個別の事件について掘り下げないで下さい)。
任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売されたのも同年ですか。
それ以前から「ゲームウォッチ」や、その亜流を含む携帯ゲーム機
のハシリのような物もありましたが、当時の子供は余程の金持ちを
除けば「誕生日やクリスマスに買って貰える」と言う程度でしたか。
私の学校でもブームになりましたが、友達との重複は避けて全体で
種類を多くし、貸し借りで色んなゲームを楽しむのが一般的だった
ように記憶しています。
…しかし「ファミコン」に関しては何故か私は興味を示さず、いわゆる
テレビゲームの類を入手するのは、就職した年のプレステⅠまで
時間を経る事になります。
外で遊ぶ方が多かったし、「テレビに繋ぐ=自室で出来ない」と言う
点が面倒だったからかも知れません(親が構いに来るのが嫌とか)。
同年の鉄道ネタとしては、まず1月に青函トンネルの先進導坑が
開通した事が載ってました。
テレビのニュースで、首相官邸に設けられたスイッチを総理大臣
(中曾根康弘)が押して、最後の壁が爆破される映像を見た覚えが
あるんですが、あれはこの時の物だったんですかね?
…「アレってホントに線が繋がってんのか?」と今でも疑問です。
同年のローレル賞は、熊本市交通局の8200型路面電車ですね。
確か前年のデビューですが、日本初のVVVFインバーター制御
を用いた鉄道車両だったと思います。
そして北海道の白糠線を皮切りに、各地の国鉄赤字ローカル線の
廃止が始まったのも同年の事でした。…あと10年早く生まれてれば
北海道の乗り鉄ももっと楽しかっただろうと残念なのですよ。
さて私は同年の4月から小学5年生です。クラス替えがあって、
担任は今西先生と言う若手の男性になりました。
この人は私が1年生の時に教育実習に来てたのを覚えてるから、
その時に大学生だとすれば26歳ぐらいだったのでしょう。
…ソレにしては老けてたな。今の26歳と全く違うイメージです。
大の阪神タイガースファンで、「阪神が勝った翌日は宿題なし」
などと言う公私混同を平気でやる人でした(まぁ滅多に勝たない)。
…コイツのせいで、プロ野球そのものが嫌いになった気がします。
そして成立の経緯は忘れましたが、「忘れ物をしたら竹の棒で尻
を叩かれる」と言う立派な体罰が存在しました。…今だったらSNS
等で拡散されて懲戒モノでしょう。
一応は女子も同様に叩かれるんですが、やはり明らかに手加減
してるのが逆に嫌らしいと言うか、困った大人ですね。
(スカートだから中の空気がクッション代わりにもなるらしい。)
そんな環境でも、私はソレなりに随所で活躍するようになります。
高学年になると「〇〇委員」と言う物に属して、勉強以外の学校生活
を運営していくワケですが、私は児童会の委員に立候補して通って
しまいました(クラスから男女1名ずつを選挙で選ぶ)。
立候補の挨拶で「今年は挑戦の年にしたい」とか口から出任せな
事を言ったら、数人が真に受けて感動させてしまったようです。
主に朝礼の司会や、運動会などのイベントの企画をやってました。
また高学年は、地域の集団登校でリーダー的に下級生を引率して
登校する役割があり、私は5年生にしてソレを担う事になります。
本来は6年生の仕事なんですが、唯一居る6年生の山本くんは
小学生にして立派なヤンキーであり、フラフラして滅多に学校に
来ないから、仕方なくの人事だったんですけどね。
…後に成人した山本くんは、仲間数人と工事現場からトルエンを
盗んだ容疑で逮捕されてしまいました。別にいいんだけど。
この「実際は副なんだけど仕方なく責任者をやらされてる」と言う
状況が、以後の人生でも何故か色んな所に付いて回るようになる
んですよ。また出てきた所で述べる事にしましょう。
もう1つ覚えてるのは「丸刈りブーム」かなあ。隣のクラスの岸田
先生(中年男性)が夏場に電気バリカンを持ってきて、頭を刈って
貰うと言うのが何故か流行りました。
散髪は素人だから凝った髪型なんか出来ず、全員が丸刈りです。
そのクラスでは男子全員が面白がって丸刈りになり、ウチの第1号
として私が志願したのですよ。
ほぼ遊び半分なので、まず昼休みにセンターを縦一文字に刈った
状態で、「よし休憩、続きは放課後な。」みたいな状況でした。
…コレは児童側も心得てるので、虐待には当たらないでしょう。
やはり何と言うか、今の小学生(詳しく知らんけど)とはカナリ乖離
した文化だったような気がします。子供の人権なんて、今より遥か
に低かったんでしょうね。…でもソレなりに楽しい時代でした。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
致しますクラ駅長です。今回は1983年…昭和58年ですか。
まずは例によって同年の出来事をWikipediaから拾ってみますと…
NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)で「おしん」が放送され、大ブーム
になった事が冒頭に書いてありました。ヒロインの少女時代を演じた
小林綾子さんは、私と同じ歳の筈です。
…同作品には後に上演された舞台版と言うのもあるんですが、
コレは何かのチャリティーを兼ねており、小林綾子さんと母親役の
泉ピン子(呼び捨て)が劇中のボロボロの衣装を着て募金箱を持ち、
出口で待ってるんですよ(そんな映像をワイドショーで見た)。
「何か姑息よねぇ」と思ったのを覚えています。
あと何故か「徳島ラジオ商殺しの再審決定」とか「免田事件で逆転
無罪」とか「永山則夫事件の上告を棄却」とか、裁判関係の話題が
多く上がってました。
…「ロッキード事件」の第一審で、田中角栄に有罪判決が出たのも
同年の事のようです。
何れも私の人生とは何の関係もありませんが、そろそろ新聞の
社会面ぐらいは読むようになっており、それなりに関心を持って
ました(感想を書く方は個別の事件について掘り下げないで下さい)。
任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売されたのも同年ですか。
それ以前から「ゲームウォッチ」や、その亜流を含む携帯ゲーム機
のハシリのような物もありましたが、当時の子供は余程の金持ちを
除けば「誕生日やクリスマスに買って貰える」と言う程度でしたか。
私の学校でもブームになりましたが、友達との重複は避けて全体で
種類を多くし、貸し借りで色んなゲームを楽しむのが一般的だった
ように記憶しています。
…しかし「ファミコン」に関しては何故か私は興味を示さず、いわゆる
テレビゲームの類を入手するのは、就職した年のプレステⅠまで
時間を経る事になります。
外で遊ぶ方が多かったし、「テレビに繋ぐ=自室で出来ない」と言う
点が面倒だったからかも知れません(親が構いに来るのが嫌とか)。
同年の鉄道ネタとしては、まず1月に青函トンネルの先進導坑が
開通した事が載ってました。
テレビのニュースで、首相官邸に設けられたスイッチを総理大臣
(中曾根康弘)が押して、最後の壁が爆破される映像を見た覚えが
あるんですが、あれはこの時の物だったんですかね?
…「アレってホントに線が繋がってんのか?」と今でも疑問です。
同年のローレル賞は、熊本市交通局の8200型路面電車ですね。
確か前年のデビューですが、日本初のVVVFインバーター制御
を用いた鉄道車両だったと思います。
そして北海道の白糠線を皮切りに、各地の国鉄赤字ローカル線の
廃止が始まったのも同年の事でした。…あと10年早く生まれてれば
北海道の乗り鉄ももっと楽しかっただろうと残念なのですよ。
さて私は同年の4月から小学5年生です。クラス替えがあって、
担任は今西先生と言う若手の男性になりました。
この人は私が1年生の時に教育実習に来てたのを覚えてるから、
その時に大学生だとすれば26歳ぐらいだったのでしょう。
…ソレにしては老けてたな。今の26歳と全く違うイメージです。
大の阪神タイガースファンで、「阪神が勝った翌日は宿題なし」
などと言う公私混同を平気でやる人でした(まぁ滅多に勝たない)。
…コイツのせいで、プロ野球そのものが嫌いになった気がします。
そして成立の経緯は忘れましたが、「忘れ物をしたら竹の棒で尻
を叩かれる」と言う立派な体罰が存在しました。…今だったらSNS
等で拡散されて懲戒モノでしょう。
一応は女子も同様に叩かれるんですが、やはり明らかに手加減
してるのが逆に嫌らしいと言うか、困った大人ですね。
(スカートだから中の空気がクッション代わりにもなるらしい。)
そんな環境でも、私はソレなりに随所で活躍するようになります。
高学年になると「〇〇委員」と言う物に属して、勉強以外の学校生活
を運営していくワケですが、私は児童会の委員に立候補して通って
しまいました(クラスから男女1名ずつを選挙で選ぶ)。
立候補の挨拶で「今年は挑戦の年にしたい」とか口から出任せな
事を言ったら、数人が真に受けて感動させてしまったようです。
主に朝礼の司会や、運動会などのイベントの企画をやってました。
また高学年は、地域の集団登校でリーダー的に下級生を引率して
登校する役割があり、私は5年生にしてソレを担う事になります。
本来は6年生の仕事なんですが、唯一居る6年生の山本くんは
小学生にして立派なヤンキーであり、フラフラして滅多に学校に
来ないから、仕方なくの人事だったんですけどね。
…後に成人した山本くんは、仲間数人と工事現場からトルエンを
盗んだ容疑で逮捕されてしまいました。別にいいんだけど。
この「実際は副なんだけど仕方なく責任者をやらされてる」と言う
状況が、以後の人生でも何故か色んな所に付いて回るようになる
んですよ。また出てきた所で述べる事にしましょう。
もう1つ覚えてるのは「丸刈りブーム」かなあ。隣のクラスの岸田
先生(中年男性)が夏場に電気バリカンを持ってきて、頭を刈って
貰うと言うのが何故か流行りました。
散髪は素人だから凝った髪型なんか出来ず、全員が丸刈りです。
そのクラスでは男子全員が面白がって丸刈りになり、ウチの第1号
として私が志願したのですよ。
ほぼ遊び半分なので、まず昼休みにセンターを縦一文字に刈った
状態で、「よし休憩、続きは放課後な。」みたいな状況でした。
…コレは児童側も心得てるので、虐待には当たらないでしょう。
やはり何と言うか、今の小学生(詳しく知らんけど)とはカナリ乖離
した文化だったような気がします。子供の人権なんて、今より遥か
に低かったんでしょうね。…でもソレなりに楽しい時代でした。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1392 ○○について考える