クラ駅長50年史 ⑫-2
2023/01/29(Sun)
…段々と書くべき事が増えてきましたので、今回も「クラ駅長50年史」
の臨時便を挟む事に致しますクラ駅長です。
5年生と6年生の2年間はクラス替えもなく担任教師も同じだった
ので、記憶が曖昧なんですよ。しかし段々と意外と長距離な旅行
にも行くようになってたので、今回はソノ辺りをマトメてみましょう。
まず5年生の夏休み、学校の臨海学習と言う事で伊勢の二見海岸
へ行きました。
…移動は近鉄ですから、大和八木から宇治山田まで乗ったのが、
「初代あおぞら号」と呼ばれる20100系電車です。同形式は1994年
に廃車になりましたので、私らの世代がギリギリでしょうか?
ご存知ない方は各自で調べて頂ければイイのですが、いわゆる
「修学旅行用」と言う事で、3両編成のオール2階建てと言う特異
なスタイルをしていました。
…しかしドコかに機器類を入れる必要があるから、中間車には1階
が存在しない、JR東日本の215系みたいな感じの電車です。
2階建てなのは「思い出に残る旅になるように」と言う建前ですが、
本音は単に倍の人数を乗せるための構造だろうだと思われます。
また在来線規格の車両なのに2+3の5列席と言う、身体の小さな
中学生以下の子供を詰め込むのに適した構造になっています。
冷房も簡易的な物しかありません。
そんな「初代あおぞら号」で、まず向かったのが伊勢神宮(内宮)
でした。ココは参拝の前に境内を流れる五十鈴川で手を清める
のがお約束ですが、例の落ち着きのない岡田くん徐がにが登場。
彼は何故か「川を泳いでる鯉を触ったらイイ事がある」と思った
らしく、上半身の服を脱いで川に入ったんですよ。…今だったら
先生が制止する所でしょうが、私らと一緒に笑いながらカメラを
向けてました。
その結果、風邪をひいて旅館に着いたら高熱を出し、臨海学習
なのに海に入れず2日間を寝たきりで過ごす羽目になりました。
…ココまで分かりやすい「バチ当たり」と言うのも珍しいわな。
海で泳いだ事より、周辺の色々の方が印象深かった旅です。
その年の夏休みは、父と東北方面へ旅行に行く事になり、初めて
「ブルートレイン」と言う物も体験します。
…京都から「日本海1号」で青森まで行き、バスで奥入瀬渓流を
通って十和田湖を見物。
ココから更にバスで八幡平を超えて近くのホテルで1泊、翌日は
東北新幹線で東京へ出て帰ると言う行程でした。
例によって父は自分で行程を組むような人ではナイので、旅行
会社の人に丸投げです。しかし担当さんに自分の希望などを
聞いて貰うために、一緒に営業店舗へ出掛けたのを覚えてます。
…初めてのブルートレインに興奮したのは良かったんですが、
鉄道に特に興味のナイ父は早々に寝てしまい、他に話し相手
も居ないし退屈でした。写真もソレほど撮らなかったですね。
そして十和田湖から八幡平の山頂を越えて岩手県側のホテル
(当時と名前は違うけどまだあった)までと言うのは、Google
マップで調べたら100km強あるんですよ。
バスは山頂までしか無く、ココでタクシーに乗り継ぐと言う行程
でした。…旅行会社が手配してくれてるから、予約したタクシー
が待っててくれたんですが、子供には結構な強行軍です。
ホテルから盛岡駅もバスでした。…今から考えると、鹿角市辺り
に泊まって花輪線で盛岡へ出りゃ良かったんじゃナイのかなと。
そして3日目は例の如く(私が雨男だから)台風直撃の大雨です。
初めて乗る東北新幹線は間引き運転にでもなってたのか、通路
まで立ち客で満員の状態でした。
大宮まで車内販売も来ず、乗り換えたリレー号もデッキに立った
まま上野まで行きました。…ぁ、185系に乗った経験ってソレ1回
だけかも知れません。もう遅いわな。
それに反して東海道新幹線は何故かガラ空きでした。…ダイヤが
乱れた時に時々ある「グリーン車以外全部自由席」と言う措置が
取られてたので、さぞかし混んでるだろうと思ったんですが。
ともあれ「取り合えず色々と乗った」と言うだけで、実りの少ない
旅でした。…やはり私は自分で色々と決めないとダメなんですよ。
6年生の夏休みは叔父一家の旅行に入れて貰って、乗鞍岳方面
へ行きました。…この時が「単独新幹線初体験」です。
前後に千葉県の叔父宅に泊まり、往路は新宿から高速バスで松本
まで行って、松本電鉄で新島々から更にバスで乗鞍高原へ。
ココの国民休暇村で2泊して、周辺を散策したりバスで乗鞍岳の
山頂まで行ったりしました。
…帰りは松本へ出て夕方頃に特急「あずさ」に乗ったのかな。
そして最終日は、秋葉原にあった交通博物館へ行くのに叔父夫婦
が付き合ってくれました。
叔父は出版社で地図を作る仕事をしてたので、鉄ヲタに特化した
嗜好ではナイものの、旅行と言う事に関して経験も知識も豊富な
人です。少なくとも私の父よりは、格段に慣れててスマートでした。
そして子供(私の従姉)は女子2人だから、鉄道について一緒に
語れる男子が珍しかったんでしょう。旅の豆知識みたいな事を色々
教えてくれました。
ああ言う旅行なら、家族でもまた行きたいもんです。…叔父夫婦は
健在ですが80歳を超えており、もう体力的に無理かも知れませんが。
…やはり長くなりましたね。コレでも色々と削った方なんですが。
ではまた通常ネタに戻し、続きは次の土曜日に紹介しましょう。
※→次回に続く
の臨時便を挟む事に致しますクラ駅長です。
5年生と6年生の2年間はクラス替えもなく担任教師も同じだった
ので、記憶が曖昧なんですよ。しかし段々と意外と長距離な旅行
にも行くようになってたので、今回はソノ辺りをマトメてみましょう。
まず5年生の夏休み、学校の臨海学習と言う事で伊勢の二見海岸
へ行きました。
…移動は近鉄ですから、大和八木から宇治山田まで乗ったのが、
「初代あおぞら号」と呼ばれる20100系電車です。同形式は1994年
に廃車になりましたので、私らの世代がギリギリでしょうか?
ご存知ない方は各自で調べて頂ければイイのですが、いわゆる
「修学旅行用」と言う事で、3両編成のオール2階建てと言う特異
なスタイルをしていました。
…しかしドコかに機器類を入れる必要があるから、中間車には1階
が存在しない、JR東日本の215系みたいな感じの電車です。
2階建てなのは「思い出に残る旅になるように」と言う建前ですが、
本音は単に倍の人数を乗せるための構造だろうだと思われます。
また在来線規格の車両なのに2+3の5列席と言う、身体の小さな
中学生以下の子供を詰め込むのに適した構造になっています。
冷房も簡易的な物しかありません。
そんな「初代あおぞら号」で、まず向かったのが伊勢神宮(内宮)
でした。ココは参拝の前に境内を流れる五十鈴川で手を清める
のがお約束ですが、例の落ち着きのない岡田くん徐がにが登場。
彼は何故か「川を泳いでる鯉を触ったらイイ事がある」と思った
らしく、上半身の服を脱いで川に入ったんですよ。…今だったら
先生が制止する所でしょうが、私らと一緒に笑いながらカメラを
向けてました。
その結果、風邪をひいて旅館に着いたら高熱を出し、臨海学習
なのに海に入れず2日間を寝たきりで過ごす羽目になりました。
…ココまで分かりやすい「バチ当たり」と言うのも珍しいわな。
海で泳いだ事より、周辺の色々の方が印象深かった旅です。
その年の夏休みは、父と東北方面へ旅行に行く事になり、初めて
「ブルートレイン」と言う物も体験します。
…京都から「日本海1号」で青森まで行き、バスで奥入瀬渓流を
通って十和田湖を見物。
ココから更にバスで八幡平を超えて近くのホテルで1泊、翌日は
東北新幹線で東京へ出て帰ると言う行程でした。
例によって父は自分で行程を組むような人ではナイので、旅行
会社の人に丸投げです。しかし担当さんに自分の希望などを
聞いて貰うために、一緒に営業店舗へ出掛けたのを覚えてます。
…初めてのブルートレインに興奮したのは良かったんですが、
鉄道に特に興味のナイ父は早々に寝てしまい、他に話し相手
も居ないし退屈でした。写真もソレほど撮らなかったですね。
そして十和田湖から八幡平の山頂を越えて岩手県側のホテル
(当時と名前は違うけどまだあった)までと言うのは、Google
マップで調べたら100km強あるんですよ。
バスは山頂までしか無く、ココでタクシーに乗り継ぐと言う行程
でした。…旅行会社が手配してくれてるから、予約したタクシー
が待っててくれたんですが、子供には結構な強行軍です。
ホテルから盛岡駅もバスでした。…今から考えると、鹿角市辺り
に泊まって花輪線で盛岡へ出りゃ良かったんじゃナイのかなと。
そして3日目は例の如く(私が雨男だから)台風直撃の大雨です。
初めて乗る東北新幹線は間引き運転にでもなってたのか、通路
まで立ち客で満員の状態でした。
大宮まで車内販売も来ず、乗り換えたリレー号もデッキに立った
まま上野まで行きました。…ぁ、185系に乗った経験ってソレ1回
だけかも知れません。もう遅いわな。
それに反して東海道新幹線は何故かガラ空きでした。…ダイヤが
乱れた時に時々ある「グリーン車以外全部自由席」と言う措置が
取られてたので、さぞかし混んでるだろうと思ったんですが。
ともあれ「取り合えず色々と乗った」と言うだけで、実りの少ない
旅でした。…やはり私は自分で色々と決めないとダメなんですよ。
6年生の夏休みは叔父一家の旅行に入れて貰って、乗鞍岳方面
へ行きました。…この時が「単独新幹線初体験」です。
前後に千葉県の叔父宅に泊まり、往路は新宿から高速バスで松本
まで行って、松本電鉄で新島々から更にバスで乗鞍高原へ。
ココの国民休暇村で2泊して、周辺を散策したりバスで乗鞍岳の
山頂まで行ったりしました。
…帰りは松本へ出て夕方頃に特急「あずさ」に乗ったのかな。
そして最終日は、秋葉原にあった交通博物館へ行くのに叔父夫婦
が付き合ってくれました。
叔父は出版社で地図を作る仕事をしてたので、鉄ヲタに特化した
嗜好ではナイものの、旅行と言う事に関して経験も知識も豊富な
人です。少なくとも私の父よりは、格段に慣れててスマートでした。
そして子供(私の従姉)は女子2人だから、鉄道について一緒に
語れる男子が珍しかったんでしょう。旅の豆知識みたいな事を色々
教えてくれました。
ああ言う旅行なら、家族でもまた行きたいもんです。…叔父夫婦は
健在ですが80歳を超えており、もう体力的に無理かも知れませんが。
…やはり長くなりましたね。コレでも色々と削った方なんですが。
ではまた通常ネタに戻し、続きは次の土曜日に紹介しましょう。
※→次回に続く
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