新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

クラ駅長50年史 ⑱

2023/03/11(Sat)

では土曜日になりましたので、今週も恒例クラ駅長50年史
記事を上げる事に致しますクラ駅長です。

今回は1990年平成2年ですか。「平成」と言うと一気に身近に
なったような気もしますが、アレとて30年の長さがありましたから、
既に「1世代前」です。やはり歴史を語るのって難しいですね。


いつものようにWikipediaから、当時の出来事を拾ってみましょう。

…まず冒頭に「バブル景気最後の年」と書いてあるんですが、
ホントにそうなんでしょうか?当時の私高校生だから特に経済的
な恩恵を受けた記憶はナイんですが、感覚としてはあと3年ぐらい
バカ騒ぎが続いてたように思います。

後に大学生になった時、就職活動などでソレを実感したんですが、
その辺りは当該の記事に回す事にしましょう。

同年の7月に、兵庫県の高校で「校門圧死事件」と言うのが起こり
ました。遅刻指導として始業時間校門を閉めた際、駆け込んで
きた女子生徒頭部を挟まれて死亡したんですが、実はコレに近い
ってウチの学校でも起こってたんですよ。

…やはり朝の登校時間帯同じような事をやってて、殺到した何人
かが将棋倒しになったのを、私は3階の廊下から目撃したんです。

女子の方が多い環境だから悲鳴がスゴかったですね。特に怪我
をした生徒も居なかったらしく、問題にもなりませんでしたが、
今だったら動画を撮られてネットで拡散してたかも知れません。


出来事とは違うんですが当時、おおた慶文と言う人のイラスト
流行ってて、それを気に入った母親に「画集探して買ってきて
欲しい」と頼まれた事がありました。

知らない方は画像で検索して頂ければいいんですが、凄く可愛い
女の子のイラストが鉛筆と水彩絵具で描かれており、現在の萌え絵
とは違う上品なタッチの作品が多いんですが…

…何かのカレンダーに載ってたのを見て母が気に入ったらしく、
「探して買ってこい」と。当時はネットで検索出来たりAmazon
商品が入手出来るようなシステムもないから、まず発売されてる
のか否かすら分からん状態です。

しかも「おおた慶太」とか何とか、名前を微妙に間違えてたし。
でソレを男子高校生に買いに行かせようとする神経が分からん

当時はまだ、前々年に起こった宮崎勤の事件が世間の人々の
記憶に大きく残ってた時期であり、ロリコンに対する弾圧のような
風潮がありました。

発売されてるのかも分からん美少女イラストの本を探して本屋
で訊いて回るとか、自分の息子ロリコン扱いされる危険性とか
考えなかったんでしょうか?まぁバカだから仕方ないけど。

取り敢えず碌に聞き込みもせず、学校近くの大きな本屋ざっと
見ただけ「無かった」と報告しました。…あってもレジへ持って
行くのには勇気が要る行動だったでしょう。


同年鉄道の話題を見てみると、やはりローカル線廃止
第三セクター会社への移管非電化だった区間の電化完成など
の記事が目立ちます。

そんな中で目に付いたのが「チャレンジ20,000kmキャンペーン
終了」と言う記述でした。…コレはイメージとして国鉄時代
物なんですが、JR移管後残ってたんですね。

国鉄(又はJR全線を完乗するとなると、当然に北海道や九州
へも出掛ける必要があるから、高校生ではまだ「挑戦しよう」と言う
言う発想は出ませんでした。

周知の通り私鉄を含めた全国完乗達成してしまうのは、
40代に入ってからです。…誰も祝ってくれないし、何の景品も
貰ってませんけどね(厳密に言えば只見線残ってるか)。


さて私は4月から高校3年生です。まず春の遠足は当時大阪の
鶴見緑地で開催されていた「花の万博」だったのを覚えています。

工期間に合わず開幕後も一部の施設が建設中だったり、
ウォーターライドと言う乗り物で事故が起こって車体が宙吊り
まま放置されてるとか、あるパビリオンで幽霊が出たとか、本来
の出し物以外の所で話題が尽きなかったイベントです。

写真部だった私は卒業アルバム担当の先生から依頼され、単独
行動
で会場を回っては同級生のグループを探してソレ用の写真を
撮る「仕事」
をしていました。

…普段は特にモテないけど、ファインダー越しだと女の子笑顔
になるし「ありがとう」みたいな感じになる。妙な感じでした。
まぁ気分の悪い事ではナイから楽しかったけど。

ぁ、写真部の同学年で男子私1人だったんですが、私が入った
年に部長だった先輩の彼女(私と同学年)がそのまま推されて
しまい部長に就任。私は「実務を取り仕切るナンバー2」と言う、
例の「副だけど実際は責任者」と言うアレになってしまいます。

所で勉強どうだったのか?…コレが実はあまり覚えてなくて

当然の事に段々と大学受験と言う物が近付いて来るワケですが、
私は勉強より部活などの方が楽しかったから、受験勉強とか
碌にやってなかったように思います。

そもそもが団塊ジュニアと言う事で無駄に人数が多い世代であり、
景気が良くなって大学の進学率上がったのか、競争率の高い
時代でもありました。

日々の課題などは遅れる事なく出してもそれ以上自主的な
にまで手が回らなかったような記憶がありますね。

どうせ人生は長いんだから、高校は高校で普段の生活楽しみ
受験勉強翌年に特化した方が効率が良いだろうと、「浪人上等」
なスタンスで構えてました。…親は大変でしょうが、知らん


3回に渡って高校生活について書きましたが、やはり抜けてる所
多いように思います。明日補足ネタとして続けましょうか。

→次回に続く



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No.1441 ○○について考える