近鉄電車展Ⅱ ②
2023/07/04(Tue)
さて天理参考館で開催された「近鉄電車展Ⅱ」ですが、企画展示室
がある4階に登ってきましたクラ駅長です。
…ココからが本題なのですが、今年は現在の近鉄橿原線(当時の
路線名としては大阪電気軌道の畝傍線)などが全通して100周年、
京都線の前身に当たる奈良電気鉄道が近鉄に併合されて60周年
の節目の年に当たるのだそうです。
奈良県内の私鉄線は現状では近鉄1社のみですが、昔は各路線で
会社が違っており、長い年月をかけて買収や合併を繰り返した後、
今のようなスタイルになったんですよ。
会場前のスペースに「懐かしの近鉄電車」として昭和40年代後半
の映像が映されてました。主に奈良線の東大阪市内の区間のよう
ですが、この当時ならビデオカメラではなく8mmフィルムでしょう。
…右は今でも僅かながら残ってる8000系の、旧塗装&冷房改造前
の姿ですね。私の子供の頃の記憶にある近鉄電車って概ねこんな
感じなんですが、コレはウチの鉄道模型でも再現する予定です。
ではメインの展示室を見て行きましょう。…ちなみに撮影に関して
は「動画は不可だけど写真はOK」と言う規定になっており、違反
行為ではありません。
…普段は出土遺物や古文書の類を展示してるであろうスペースに、
パネル写真や乗車券類、古いパンフレットなどが入ってます。
博物館と言っても扱う展示物は色々でしょうが、ココには鉄道関係
の資料がカナリ多く所蔵されてると見ました。
…全部紹介すると膨大な量になるので、自分に身近な所から見て
行く事にしますが、まずはソノ畝傍線・橿原線ですね。私の実家
もこの沿線にあるので、普段からよく乗る路線です。
概ね大正時代、奈良線→平端→(天理線を買収)→橿原神宮前の
順で延びて行った事になりますか。
当時は皇国史観の時代だろうから、橿原神宮が人気の観光地の
1つであり、ココに至る路線は「作れば当たる」と分かってたのかも
知れません。
乗車券は意外と軟券が多いようですが、これは同社が元々軌道線
(路面電車の体裁)でスタートしたから、車内売りが基本だった事
によるのだそうです。
続いてが天理軽便鉄道。コレも大正時代の開通ですが、国鉄の
法隆寺から天理を短絡する目的で作られた路線ですね。
…明治期から桜井線(万葉まほろば線)は存在したものの、天理
は天理教関係の需要が多く、奈良や高田を回るより早いと考え
られたのでしょう。
その後、上記の通り平端~天理が大阪電気軌道に買収され、以西
は軽便鉄道のまま残る事になります。…1階にあったガソリンカー
はその当時に導入された物の模型ですな。
ちなみに近鉄合併後の天理線は昭和63年まで単線だったので、
複線化工事に関して私もギリギリ覚えてますわ。
そして大和鉄道。コレは新王寺~西田原本が今も近鉄田原本線
として残っていますが戦前は更に東へ、桜井までの路線も存在した
んです。…しかし戦時中、例によって不要不急路線として休止→
廃止されてしまいました。
最初は1067mm軌間の軽便鉄道としてスタートし、蒸気→内燃化を
経て信貴生駒電鉄→近鉄と変わりました。
…廃止された区間にあった味間駅が残ってれば、私の実家の
最寄駅だった筈であり、もっと大阪へ出やすかっただろうと思うん
ですが、そんな設定で架空のダイヤを組んでみるのも楽しいかも
知れません。
そんな感じで、更に館内の見学を続けて行きましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
がある4階に登ってきましたクラ駅長です。
…ココからが本題なのですが、今年は現在の近鉄橿原線(当時の
路線名としては大阪電気軌道の畝傍線)などが全通して100周年、
京都線の前身に当たる奈良電気鉄道が近鉄に併合されて60周年
の節目の年に当たるのだそうです。
奈良県内の私鉄線は現状では近鉄1社のみですが、昔は各路線で
会社が違っており、長い年月をかけて買収や合併を繰り返した後、
今のようなスタイルになったんですよ。
会場前のスペースに「懐かしの近鉄電車」として昭和40年代後半
の映像が映されてました。主に奈良線の東大阪市内の区間のよう
ですが、この当時ならビデオカメラではなく8mmフィルムでしょう。
…右は今でも僅かながら残ってる8000系の、旧塗装&冷房改造前
の姿ですね。私の子供の頃の記憶にある近鉄電車って概ねこんな
感じなんですが、コレはウチの鉄道模型でも再現する予定です。
ではメインの展示室を見て行きましょう。…ちなみに撮影に関して
は「動画は不可だけど写真はOK」と言う規定になっており、違反
行為ではありません。
…普段は出土遺物や古文書の類を展示してるであろうスペースに、
パネル写真や乗車券類、古いパンフレットなどが入ってます。
博物館と言っても扱う展示物は色々でしょうが、ココには鉄道関係
の資料がカナリ多く所蔵されてると見ました。
…全部紹介すると膨大な量になるので、自分に身近な所から見て
行く事にしますが、まずはソノ畝傍線・橿原線ですね。私の実家
もこの沿線にあるので、普段からよく乗る路線です。
概ね大正時代、奈良線→平端→(天理線を買収)→橿原神宮前の
順で延びて行った事になりますか。
当時は皇国史観の時代だろうから、橿原神宮が人気の観光地の
1つであり、ココに至る路線は「作れば当たる」と分かってたのかも
知れません。
乗車券は意外と軟券が多いようですが、これは同社が元々軌道線
(路面電車の体裁)でスタートしたから、車内売りが基本だった事
によるのだそうです。
続いてが天理軽便鉄道。コレも大正時代の開通ですが、国鉄の
法隆寺から天理を短絡する目的で作られた路線ですね。
…明治期から桜井線(万葉まほろば線)は存在したものの、天理
は天理教関係の需要が多く、奈良や高田を回るより早いと考え
られたのでしょう。
その後、上記の通り平端~天理が大阪電気軌道に買収され、以西
は軽便鉄道のまま残る事になります。…1階にあったガソリンカー
はその当時に導入された物の模型ですな。
ちなみに近鉄合併後の天理線は昭和63年まで単線だったので、
複線化工事に関して私もギリギリ覚えてますわ。
そして大和鉄道。コレは新王寺~西田原本が今も近鉄田原本線
として残っていますが戦前は更に東へ、桜井までの路線も存在した
んです。…しかし戦時中、例によって不要不急路線として休止→
廃止されてしまいました。
最初は1067mm軌間の軽便鉄道としてスタートし、蒸気→内燃化を
経て信貴生駒電鉄→近鉄と変わりました。
…廃止された区間にあった味間駅が残ってれば、私の実家の
最寄駅だった筈であり、もっと大阪へ出やすかっただろうと思うん
ですが、そんな設定で架空のダイヤを組んでみるのも楽しいかも
知れません。
そんな感じで、更に館内の見学を続けて行きましょう。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.1556 鉄道保存施設を探る