クラ駅長50年史 ㊳
2023/07/29(Sat)
では今週も土曜日になりましたので「クラ駅長50年史」の記事を挟む
事に致しますクラ駅長です。
…一応は「50年史」としてるので、記事内の年齢が50歳になった時点
で終了し、その後は毎年の誕生日にその年の総括として続けて行く
予定なのですが、タイトルをどぅするか?が未定の状態です。
「クラ駅長の自分史」辺りかな?まぁその時になったら考えましょう。
今回は2010年…平成22年ですね。例によってWikipediaの同年の
ページから始める事にしましょう。
この時代になるとWikipediaの記事内容も矢鱈と細かい所まで網羅
さてるから、全て読むのが面倒だったりしますが、殊に奈良県では
「平城京遷都1300年」と言う事で、様々な行事が行われたようです。
…日本史の授業で習う通り平城京遷都は西暦710年だから、計算
しやすい数字ですね。
私が今の仕事に転職するのは2年後の事なのですが、当時の事を
上の人に聞くと、やはり特需景気のような状況で、奈良のタクシー
は相当な売り上げになったそうな。
また同年はテレビのカラー放送が開始されて50周年なのと、地上波
デジタル放送の開始まであと1年と言う事で、移行期間として一部
の自治体で試験放送が始まった年でもあったようです。
…私は当時から殆ど見てなかったワケですが、子供が居ればEテレ
の子供番組とかは見るし、地デジ対応のテレビ受像機に買い替える
などの用意をせにゃならん環境だったと思われます(忘れた)。
そして夏の猛暑が記録的であり、熱中症による死者が約500人、
救急搬送が5万人以上と書いてあります。
…私は夏場にテーマパークのプールサイドで働いてたし、勤務地
の枚方市と言う場所も地形的に気温が上がりやすい地域なので、
確かに矢鱈と暑くて結構痩せたような記憶がありますよ。
同年の鉄道の話題としては、東北新幹線が新青森まで延伸したり、
山陰本線の余部橋梁がコンクリート製の新しい物に変わったり
した事が載ってました。
…新幹線と言えば500系が東海道区間の「のぞみ」から引退して
山陽限定になったのと、山形新幹線の400系も引退しています。
後者は後に、社長(木村)のブログで最終日の東京駅へ行った話を
読みました。…100回以上に渡る無駄に長大な記事でしたが。
地元の奈良県では3月のダイヤ改正からJR奈良駅の高架駅舎が
供用開始となり、それと併せて桜井線に「万葉まほろば線」と言う
路線愛称が付きました。
…コレも恐らくは遷都1300年関連の事業の1つだと思われます。
それ以前のJR奈良駅は、南北に発着する3方向の線路を道路
の方が高架橋で越えてる地点が3箇所あったんですが、勾配で
車速が落ちるのと、桜井線のソレは古くて狭いから渋滞の原因
にもなってたんですよ。
駅と周辺の線路をマトメて高架化し、道路の方を地上に置き換える
と言うのは結構な大工事であり、カネも掛かった事でしょう。
…都市計画が行き当たりばったりなのも、1300年の伝統です。
私生活の方では、長男が小学校に入学しています。私の実家から
最寄りの公立小学校に通うワケだから、私が子供の頃と同じ制服
を着て同じ学校へ行く事に、何となく不思議な感じがしましたよ。
入学式には参加したんですが、先生は当然に入れ替わってる
ものの、私が子供の頃から知ってる近所のお兄さんがPTA会長
だったり…田舎と言うのは独特の狭い社会ですね。
仕事の方は前年と特に大きな変化は無かったんですが、上司が
変わりました。
…飲食業界と言うのは意外と横の繋がりが密であり、全く知らない
人が他の会社から管理職待遇で移籍してくるケースが多いんです。
それまでの店長は団塊世代でパソコンも最低限しか使えない人
だったんですが、新しい店長はもぅ少し若い人(50前後か?)で、
無駄を省いた新しい方針を積極的に取り入れるタイプの人です。
大規模な異動だったのか、ソレに伴って他の社員さんも軒並み
転勤になり、私は一般職ながら「店の細かい所まで知ってる唯一
の存在」になってしまい、総務的な仕事も増えて行きます。
…「抜けられない立場」なので大変ではありましたが、そこそこの
やり甲斐はあったように思います。
その反面と言うのか(私の仕事とは無関係ですが)妻の精神状態
が悪くなり、心療内科へ通うようになりました。
一度だけ通院に付いて行った事があるんですが、先生は白衣すら
着てない普段着のオッサンです。後で知ったんですが、心療内科
の治療と言うのは基本的に対処療法であり、単純に言えば…
「鬱なんですか?じゃあハイになる薬を出しましょう。」
「そのせいで便秘になった?じゃあ便秘薬を追加しますね。」
みたいな風に見えました。状況を見て薬を出すだけなら薬剤師
さんにでも出来そうな話と言うか。…もっと細かいカウンセリングや
サブリミナルな施術をするイメージだったんですが、違うのか?
…ちなみに私は心療内科とか精神鑑定と聞くと、今だに5円玉を
糸で吊るして目の前で振り子にするシーンを想像するんですが、
それは催眠術(しかもインチキな)ですね。
それでも改善する傾向がなく、同年に妻は子供2人を連れて自身
の実家へ帰り、別居する事になりました。…戸籍や住民票はその
ままなので、長男の小学校と長女の保育園はこっち側まで車で
送迎してたようです。
…私や私の両親と性格的に合わなかったとしても、コイツの場合
誰と結婚しても同じ(又はもっと悪い)状況だったと思いますよ。
そして細かい時期は忘れたんですが、この年ぐらいに社長(木村)
の存在を知ったのだと思われます。…実際に会って深く知り合う
ようになるのは、もぅ少し先の事ですが。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
事に致しますクラ駅長です。
…一応は「50年史」としてるので、記事内の年齢が50歳になった時点
で終了し、その後は毎年の誕生日にその年の総括として続けて行く
予定なのですが、タイトルをどぅするか?が未定の状態です。
「クラ駅長の自分史」辺りかな?まぁその時になったら考えましょう。
今回は2010年…平成22年ですね。例によってWikipediaの同年の
ページから始める事にしましょう。
この時代になるとWikipediaの記事内容も矢鱈と細かい所まで網羅
さてるから、全て読むのが面倒だったりしますが、殊に奈良県では
「平城京遷都1300年」と言う事で、様々な行事が行われたようです。
…日本史の授業で習う通り平城京遷都は西暦710年だから、計算
しやすい数字ですね。
私が今の仕事に転職するのは2年後の事なのですが、当時の事を
上の人に聞くと、やはり特需景気のような状況で、奈良のタクシー
は相当な売り上げになったそうな。
また同年はテレビのカラー放送が開始されて50周年なのと、地上波
デジタル放送の開始まであと1年と言う事で、移行期間として一部
の自治体で試験放送が始まった年でもあったようです。
…私は当時から殆ど見てなかったワケですが、子供が居ればEテレ
の子供番組とかは見るし、地デジ対応のテレビ受像機に買い替える
などの用意をせにゃならん環境だったと思われます(忘れた)。
そして夏の猛暑が記録的であり、熱中症による死者が約500人、
救急搬送が5万人以上と書いてあります。
…私は夏場にテーマパークのプールサイドで働いてたし、勤務地
の枚方市と言う場所も地形的に気温が上がりやすい地域なので、
確かに矢鱈と暑くて結構痩せたような記憶がありますよ。
同年の鉄道の話題としては、東北新幹線が新青森まで延伸したり、
山陰本線の余部橋梁がコンクリート製の新しい物に変わったり
した事が載ってました。
…新幹線と言えば500系が東海道区間の「のぞみ」から引退して
山陽限定になったのと、山形新幹線の400系も引退しています。
後者は後に、社長(木村)のブログで最終日の東京駅へ行った話を
読みました。…100回以上に渡る無駄に長大な記事でしたが。
地元の奈良県では3月のダイヤ改正からJR奈良駅の高架駅舎が
供用開始となり、それと併せて桜井線に「万葉まほろば線」と言う
路線愛称が付きました。
…コレも恐らくは遷都1300年関連の事業の1つだと思われます。
それ以前のJR奈良駅は、南北に発着する3方向の線路を道路
の方が高架橋で越えてる地点が3箇所あったんですが、勾配で
車速が落ちるのと、桜井線のソレは古くて狭いから渋滞の原因
にもなってたんですよ。
駅と周辺の線路をマトメて高架化し、道路の方を地上に置き換える
と言うのは結構な大工事であり、カネも掛かった事でしょう。
…都市計画が行き当たりばったりなのも、1300年の伝統です。
私生活の方では、長男が小学校に入学しています。私の実家から
最寄りの公立小学校に通うワケだから、私が子供の頃と同じ制服
を着て同じ学校へ行く事に、何となく不思議な感じがしましたよ。
入学式には参加したんですが、先生は当然に入れ替わってる
ものの、私が子供の頃から知ってる近所のお兄さんがPTA会長
だったり…田舎と言うのは独特の狭い社会ですね。
仕事の方は前年と特に大きな変化は無かったんですが、上司が
変わりました。
…飲食業界と言うのは意外と横の繋がりが密であり、全く知らない
人が他の会社から管理職待遇で移籍してくるケースが多いんです。
それまでの店長は団塊世代でパソコンも最低限しか使えない人
だったんですが、新しい店長はもぅ少し若い人(50前後か?)で、
無駄を省いた新しい方針を積極的に取り入れるタイプの人です。
大規模な異動だったのか、ソレに伴って他の社員さんも軒並み
転勤になり、私は一般職ながら「店の細かい所まで知ってる唯一
の存在」になってしまい、総務的な仕事も増えて行きます。
…「抜けられない立場」なので大変ではありましたが、そこそこの
やり甲斐はあったように思います。
その反面と言うのか(私の仕事とは無関係ですが)妻の精神状態
が悪くなり、心療内科へ通うようになりました。
一度だけ通院に付いて行った事があるんですが、先生は白衣すら
着てない普段着のオッサンです。後で知ったんですが、心療内科
の治療と言うのは基本的に対処療法であり、単純に言えば…
「鬱なんですか?じゃあハイになる薬を出しましょう。」
「そのせいで便秘になった?じゃあ便秘薬を追加しますね。」
みたいな風に見えました。状況を見て薬を出すだけなら薬剤師
さんにでも出来そうな話と言うか。…もっと細かいカウンセリングや
サブリミナルな施術をするイメージだったんですが、違うのか?
…ちなみに私は心療内科とか精神鑑定と聞くと、今だに5円玉を
糸で吊るして目の前で振り子にするシーンを想像するんですが、
それは催眠術(しかもインチキな)ですね。
それでも改善する傾向がなく、同年に妻は子供2人を連れて自身
の実家へ帰り、別居する事になりました。…戸籍や住民票はその
ままなので、長男の小学校と長女の保育園はこっち側まで車で
送迎してたようです。
…私や私の両親と性格的に合わなかったとしても、コイツの場合
誰と結婚しても同じ(又はもっと悪い)状況だったと思いますよ。
そして細かい時期は忘れたんですが、この年ぐらいに社長(木村)
の存在を知ったのだと思われます。…実際に会って深く知り合う
ようになるのは、もぅ少し先の事ですが。
※→次回に続く
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