クラ駅長50年史 ㊴-2
2023/08/06(Sun)
本日は日曜日ですが、引き続き「クラ駅長50年史」の2011年の
後編をお送り致しますクラ駅長です。
…回数の囲み数字の通り39歳~40歳の頃なんですが、同年から
翌2012年に掛けては私的に色々な出来事が相次いだ、私の人生
の中でも激動の時代だったような気がしますので、記述内容も
強化しておく必要があるでしょう。
2011年の世相や一般的な話に関しては、前回の記事を参照して
頂ければイイのですが、関東から東北・北海道の太平洋沿岸で
大規模な災害(東日本大震災)が起こった年の事です。
2003年の2月に結婚し、同年末に長男が誕生。2007年に長女が
生まれて4人(実質的にはソコに私の両親を加えた6人)家族に
なっていました。
しかし妻がよく分からない人で、途中から精神的におかしくなり、
前年の2002年頃から子供2名を連れて実家に帰ってる、別居状態
になっています。
…ソレが突然「あんたとはもぅやってられんので」と離婚届の用紙
を持ってきました。時期は忘れたんですが春頃だったかな。
別に住んでるから直接的な要因は分からんのですが、半分以上
は予期してた事なので、特にショックも無かったように思います。
まぁアノ人の場合、相手が私でなくても同じ結果だったでしょう。
日本の現状では子供の居る夫婦が離婚した場合、余程の事がナイ
限り親権は母親に行き、父親は養育費を支払う事になります。
しかし妻はボーナス的な意味で慰謝料も取れると思ってたよう
ですね。…協議離婚ならソレはありません。テレビの見過ぎだ。
ともあれ慣れない弁護士さんを頼んで協議書のような物を作り、
養育費は定期的に長男と長女の銀行口座に直接振り込む事に
なりました。…忘れたりするとイカンので自動送金です。
そして長男長女は妻の戸籍になるから、学校や保育園も転校し
(別居中はこっちの小学校まで車で送迎してたらしい)、「学校行事
などは連絡して(私も)出席出来るようにする。」となったんですが
実際の所、見に行った事はありませんでした。
基本的に土日が休めない仕事だから滅多に行けない(不機嫌
になる)し、たまに行こうとして連絡しても「何を今更」みたいな感じ
で絡まれるので、「だったら行かない方がマシ」となりますよね。
長男長女はどぅ思ってたのかは知りませんが。ちなみに私が子供
の頃は、父親なんて学校行事に滅多に来てくれませんでしたが、
「ソレはそう言うもんだ」と思ってたから、ソレで父親が嫌いに
なったりはしませんでした(別の理由で鬱陶しい人でしたが)。
以後、長男長女とも殆ど会わなかったんですが、誕生日祝いや
正月のお年玉などは欠かさず郵送していました。…まぁソレで充分
でしょう。
…私も家族を持つのには向いてナイ人間だったのかも知れず、
特に未練はありませんでした。
そして離婚してしまえば、ワザワザ職場に遠い実家から通う必要
もナイと言う事で、再び独り暮らしに戻ります。
…職場と同じ枚方市内で、車なら10分程度で行ける所なんですが、
会社には内緒なのでウチの店の従業員名簿を見て、パートさん
などが住んでナイ空白地帯を選んで引っ越しましたよ。
そんな感じでココからは、いよいよ木村鉄道について書く事に
しましょう。
そもそも社長(木村裕子)の存在を知ったのは、前年(2010年)
頃の事だったと思います。2ちゃんねる(当時)にスレッドがあり、
そこにあったリンクからブログを見に行ったのが切っ掛けだった
と思うんですよ。
…基本的に鉄道趣味と言うのは男中心の世界でしょう。女性も
居ない事はナイのでしょうが、ソレを前面に出してのアイドルさん
と言うのは当時としては珍しい存在だったと思います。
ちなみに社長が鉄道アイドルとして活動し始めたのは、更に何年
か前の事だと思われるので、些か出遅れた感じではあります。
ブログの端っこに付属するプロフィールを読むに「ちょっと作り
すぎかも?」と思ったりもしましたが、記事本文を見れば相当な
知識の持ち主であろうと言う事は分かります。
取り敢えず過去のブログ記事を読む所から始め、当時は通販
部門があった「サンショップ大阪」で著書の「鉄道一直線」など
を買いました。
暫くは静観し、何となくキリのいい同年の7月1日からコメントの
投稿を始めました。しかし当時の職場では、まだ土日に休みを
取るのは困難な状況なので、イベントなどには参加出来ません。
ブログで報告される内容には、同年3月に震災の被害を受けた
三陸鉄道を支援するツアーなどもあり、行けない事を残念に
思う日々が続いてたようにも覚えています。
…で偶々休みだったのか、8月の誕生日に近いタイミングで
行われたライブチャットに参加したのが初コンタクトでした。
コレは距離で差別される事もナイし、画面越しであれば緊張も
少ないから、初参加として丁度いいと思ったんですよ。
社長からの第一声は「何か初めての感じがしない」でした。
…少し前からブログのコメントを書いてたからでしょう。社員の
名前をなかなか覚えない社長にしては良い反応かと思います。
当時のライブチャットは「社内会議」と題されており、例えば「貨物
列車の勉強をしてみたい」等の議題も存在しました。集まる皆さん
もソノ方向では博識な人が多いから、打てば響く感じの場でしたよ。
ともあれ離婚して自由時間が増えた&社長と出会って鉄道趣味と
言う物に再び興味を持ち始めたので、休みの日などに長距離の
乗り鉄に出掛けたり、鉄道関係の博物館などを回るようになります。
本格的に生参加のイベントに参入して社長と直に対面するのは
同年の年末からなのですが、コノ辺りの事情は次回に併せて書く
方が適切かと思います。暫くお待ちください。
…後に知り合った渡辺(ゆゆ385-2)さんは私の事を「アイドルに
ウツツを抜かして離婚に至った」と勘違いしてたようですが、今回
の記事を読めば分かるように「逆」ですからね。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
後編をお送り致しますクラ駅長です。
…回数の囲み数字の通り39歳~40歳の頃なんですが、同年から
翌2012年に掛けては私的に色々な出来事が相次いだ、私の人生
の中でも激動の時代だったような気がしますので、記述内容も
強化しておく必要があるでしょう。
2011年の世相や一般的な話に関しては、前回の記事を参照して
頂ければイイのですが、関東から東北・北海道の太平洋沿岸で
大規模な災害(東日本大震災)が起こった年の事です。
2003年の2月に結婚し、同年末に長男が誕生。2007年に長女が
生まれて4人(実質的にはソコに私の両親を加えた6人)家族に
なっていました。
しかし妻がよく分からない人で、途中から精神的におかしくなり、
前年の2002年頃から子供2名を連れて実家に帰ってる、別居状態
になっています。
…ソレが突然「あんたとはもぅやってられんので」と離婚届の用紙
を持ってきました。時期は忘れたんですが春頃だったかな。
別に住んでるから直接的な要因は分からんのですが、半分以上
は予期してた事なので、特にショックも無かったように思います。
まぁアノ人の場合、相手が私でなくても同じ結果だったでしょう。
日本の現状では子供の居る夫婦が離婚した場合、余程の事がナイ
限り親権は母親に行き、父親は養育費を支払う事になります。
しかし妻はボーナス的な意味で慰謝料も取れると思ってたよう
ですね。…協議離婚ならソレはありません。テレビの見過ぎだ。
ともあれ慣れない弁護士さんを頼んで協議書のような物を作り、
養育費は定期的に長男と長女の銀行口座に直接振り込む事に
なりました。…忘れたりするとイカンので自動送金です。
そして長男長女は妻の戸籍になるから、学校や保育園も転校し
(別居中はこっちの小学校まで車で送迎してたらしい)、「学校行事
などは連絡して(私も)出席出来るようにする。」となったんですが
実際の所、見に行った事はありませんでした。
基本的に土日が休めない仕事だから滅多に行けない(不機嫌
になる)し、たまに行こうとして連絡しても「何を今更」みたいな感じ
で絡まれるので、「だったら行かない方がマシ」となりますよね。
長男長女はどぅ思ってたのかは知りませんが。ちなみに私が子供
の頃は、父親なんて学校行事に滅多に来てくれませんでしたが、
「ソレはそう言うもんだ」と思ってたから、ソレで父親が嫌いに
なったりはしませんでした(別の理由で鬱陶しい人でしたが)。
以後、長男長女とも殆ど会わなかったんですが、誕生日祝いや
正月のお年玉などは欠かさず郵送していました。…まぁソレで充分
でしょう。
…私も家族を持つのには向いてナイ人間だったのかも知れず、
特に未練はありませんでした。
そして離婚してしまえば、ワザワザ職場に遠い実家から通う必要
もナイと言う事で、再び独り暮らしに戻ります。
…職場と同じ枚方市内で、車なら10分程度で行ける所なんですが、
会社には内緒なのでウチの店の従業員名簿を見て、パートさん
などが住んでナイ空白地帯を選んで引っ越しましたよ。
そんな感じでココからは、いよいよ木村鉄道について書く事に
しましょう。
そもそも社長(木村裕子)の存在を知ったのは、前年(2010年)
頃の事だったと思います。2ちゃんねる(当時)にスレッドがあり、
そこにあったリンクからブログを見に行ったのが切っ掛けだった
と思うんですよ。
…基本的に鉄道趣味と言うのは男中心の世界でしょう。女性も
居ない事はナイのでしょうが、ソレを前面に出してのアイドルさん
と言うのは当時としては珍しい存在だったと思います。
ちなみに社長が鉄道アイドルとして活動し始めたのは、更に何年
か前の事だと思われるので、些か出遅れた感じではあります。
ブログの端っこに付属するプロフィールを読むに「ちょっと作り
すぎかも?」と思ったりもしましたが、記事本文を見れば相当な
知識の持ち主であろうと言う事は分かります。
取り敢えず過去のブログ記事を読む所から始め、当時は通販
部門があった「サンショップ大阪」で著書の「鉄道一直線」など
を買いました。
暫くは静観し、何となくキリのいい同年の7月1日からコメントの
投稿を始めました。しかし当時の職場では、まだ土日に休みを
取るのは困難な状況なので、イベントなどには参加出来ません。
ブログで報告される内容には、同年3月に震災の被害を受けた
三陸鉄道を支援するツアーなどもあり、行けない事を残念に
思う日々が続いてたようにも覚えています。
…で偶々休みだったのか、8月の誕生日に近いタイミングで
行われたライブチャットに参加したのが初コンタクトでした。
コレは距離で差別される事もナイし、画面越しであれば緊張も
少ないから、初参加として丁度いいと思ったんですよ。
社長からの第一声は「何か初めての感じがしない」でした。
…少し前からブログのコメントを書いてたからでしょう。社員の
名前をなかなか覚えない社長にしては良い反応かと思います。
当時のライブチャットは「社内会議」と題されており、例えば「貨物
列車の勉強をしてみたい」等の議題も存在しました。集まる皆さん
もソノ方向では博識な人が多いから、打てば響く感じの場でしたよ。
ともあれ離婚して自由時間が増えた&社長と出会って鉄道趣味と
言う物に再び興味を持ち始めたので、休みの日などに長距離の
乗り鉄に出掛けたり、鉄道関係の博物館などを回るようになります。
本格的に生参加のイベントに参入して社長と直に対面するのは
同年の年末からなのですが、コノ辺りの事情は次回に併せて書く
方が適切かと思います。暫くお待ちください。
…後に知り合った渡辺(ゆゆ385-2)さんは私の事を「アイドルに
ウツツを抜かして離婚に至った」と勘違いしてたようですが、今回
の記事を読めば分かるように「逆」ですからね。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
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