西岩国駅を探る ①
2020/03/27(Fri)
錦川鉄道の守内かさ神駅で駅ノートを描き、岩国市で1泊した翌朝、
当日は岩徳線の柱野駅へ行く予定にしておりましたクラ駅長です。
…夕食はもぅ特に飲み屋じゃなくてイイので、ホテル近くのラーメン屋
へ行ったんですが、岩国は米軍基地があるせいか矢鱈と西洋人(黒人
を含む)が多い印象でした。よく考えたらココで泊まるのは初めてか?
田舎に強い(私の勝手な)イメージのホテルα-1に泊まり、駅まで歩いて
岩徳線に乗ればいい所を、バスで反対方向へ行く事を思い付きました。
…実は岩徳線の最初の駅である西岩国へ行ってみたかったんですよ。
ココは元々、岩国市の中心駅として昭和4年に開業した駅でして、当時
のままの古い駅舎が残っています。
何度か岩国へは来てるものの、なかなか行く機会が無かったもんで、
時間に余裕のありそうな今回の行路に入れてみましょう。
…位置関係としては左の図の感じです。
普通に考えれば岩徳線に乗って途中下車
すればイイ話です。錦川鉄道の列車も走る
区間なのですが、何せ本数が少ないでしょ。
朝の通学時間帯だから連続して走る事も
あるんですが、運悪く岩徳線が先に走る
ダイヤなのです。
バスは郊外の医療センターや商業高校など
へ行くための路線のようですが、10分程度で
西岩国駅に着きました。…30分ほど駅を見て、
予定してた岩徳線に乗れる勘定です。
この辺りの山陽本線は、現在と同じ
柳井経由の「海線」が明治時代に
開通していましたが、距離が短かい
「山線」として現在の岩徳線が計画
され、昭和4年に岩国の中心駅として
開業したのがココなんです。
その後、距離は長いもののトンネルが
少ない「海線」の方が複線化しやすい
との事で現在の体勢に戻されました。
分岐点だった麻里布(まりふ)駅が現在の岩国駅であり、ココは西岩国
駅として現在に至ってるような事情だそうです。
…昭和初期なら一般的な駅舎は木造が主流だったであろう所ですが、
町の中心駅なのでコンクリート製のモダンな駅舎です。
毎度の発想ですが、何か時代物のロケに使えそうな外観ですね。
JR移管後もロゴ入りの駅名看板などは使われておらず、国鉄フォント
に近い字体のシンプルな物のままですね。
エントランス部分がコンクリート製のアーチ型のデザインなのは、名所
である錦帯橋をイメージした物だそうです。…旧来の町の中心地だった
岩国城の城下町へは、ココからの方が近いのは事実です。
やはり駅舎は文化財指定を受けているようです。…こうなると全部で
幾つぐらいあるのか気になって来た所ですが。
そして上に書いたような歴史を簡単に記した案内板もありました。
それと駅前には、復刻版だと言う木炭自動車が展示されています。
…戦時中などの燃料事情の悪い時代に、ガソリンや軽油の代わりに
木炭を燃やして発生する一酸化炭素で走るのだというアレですね。
元の車種としては1960年頃の物だと思われる三菱ジープだから
明らかに戦後の物ですが、地元のエンジニアの方が作って岩国市に
寄贈され、一時期はナンバーを取得して公道も走れたそうな。
「石油がナイなら木炭で!」と当時の技術で考える発想がスゴいわ。
色々な資料を読むに、やはり出力不足は仕方なかったようで、バス
などは坂を登れず乗客が降りてみんなで押したり…だったようですが。
では続いて駅舎の中も見て行きます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
当日は岩徳線の柱野駅へ行く予定にしておりましたクラ駅長です。
…夕食はもぅ特に飲み屋じゃなくてイイので、ホテル近くのラーメン屋
へ行ったんですが、岩国は米軍基地があるせいか矢鱈と西洋人(黒人
を含む)が多い印象でした。よく考えたらココで泊まるのは初めてか?
田舎に強い(私の勝手な)イメージのホテルα-1に泊まり、駅まで歩いて
岩徳線に乗ればいい所を、バスで反対方向へ行く事を思い付きました。
…実は岩徳線の最初の駅である西岩国へ行ってみたかったんですよ。
ココは元々、岩国市の中心駅として昭和4年に開業した駅でして、当時
のままの古い駅舎が残っています。
何度か岩国へは来てるものの、なかなか行く機会が無かったもんで、
時間に余裕のありそうな今回の行路に入れてみましょう。
…位置関係としては左の図の感じです。
普通に考えれば岩徳線に乗って途中下車
すればイイ話です。錦川鉄道の列車も走る
区間なのですが、何せ本数が少ないでしょ。
朝の通学時間帯だから連続して走る事も
あるんですが、運悪く岩徳線が先に走る
ダイヤなのです。
バスは郊外の医療センターや商業高校など
へ行くための路線のようですが、10分程度で
西岩国駅に着きました。…30分ほど駅を見て、
予定してた岩徳線に乗れる勘定です。
この辺りの山陽本線は、現在と同じ
柳井経由の「海線」が明治時代に
開通していましたが、距離が短かい
「山線」として現在の岩徳線が計画
され、昭和4年に岩国の中心駅として
開業したのがココなんです。
その後、距離は長いもののトンネルが
少ない「海線」の方が複線化しやすい
との事で現在の体勢に戻されました。
分岐点だった麻里布(まりふ)駅が現在の岩国駅であり、ココは西岩国
駅として現在に至ってるような事情だそうです。
…昭和初期なら一般的な駅舎は木造が主流だったであろう所ですが、
町の中心駅なのでコンクリート製のモダンな駅舎です。
毎度の発想ですが、何か時代物のロケに使えそうな外観ですね。
JR移管後もロゴ入りの駅名看板などは使われておらず、国鉄フォント
に近い字体のシンプルな物のままですね。
エントランス部分がコンクリート製のアーチ型のデザインなのは、名所
である錦帯橋をイメージした物だそうです。…旧来の町の中心地だった
岩国城の城下町へは、ココからの方が近いのは事実です。
やはり駅舎は文化財指定を受けているようです。…こうなると全部で
幾つぐらいあるのか気になって来た所ですが。
そして上に書いたような歴史を簡単に記した案内板もありました。
それと駅前には、復刻版だと言う木炭自動車が展示されています。
…戦時中などの燃料事情の悪い時代に、ガソリンや軽油の代わりに
木炭を燃やして発生する一酸化炭素で走るのだというアレですね。
元の車種としては1960年頃の物だと思われる三菱ジープだから
明らかに戦後の物ですが、地元のエンジニアの方が作って岩国市に
寄贈され、一時期はナンバーを取得して公道も走れたそうな。
「石油がナイなら木炭で!」と当時の技術で考える発想がスゴいわ。
色々な資料を読むに、やはり出力不足は仕方なかったようで、バス
などは坂を登れず乗客が降りてみんなで押したり…だったようですが。
では続いて駅舎の中も見て行きます。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.362 駅長が見た風景