新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

おおさか東線を探る ④

2019/05/22(Wed)

そんな感じで途中下車した城北公園通駅から、少し歩いて赤川橋梁
見に行く事にしましたクラ駅長です。

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ホームから肉眼でも見えてた事ですし、住宅地を抜けるので道が些か
複雑ではありますが、距離にしたら500m程度の事でしょうか?

築堤の上に線路がある半高架駅ですが、流石に新しい建物ですね。
近所の人にしたら「今日から駅前になるぞ」って稀有な経験でしょう。

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築堤そのもの貨物線の時代からあるので、ソレをくぐる部分などは
昔からの感じです。…コンクリートに直書きされた広告防犯啓発の
文言などが昭和の風情です。

近所のオッサンが丸椅子を持ってきて無意味に座ってるイメージだわ。

その上に造られた旅客線用の構造物新しいモノですね。
上下線で建設時期がズレてるのが変わってます。後述する赤川橋梁
歩道との併用ヤメたのが2013年の事なので、双方ともソレ以降
造られたのでしょう。

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下町っぽい風情の路地を抜けて少し行くと、目的地の赤川橋梁
着きました。概ね線路に沿って歩けるので、迷う事ありません

赤川橋梁の正式名称は「淀川橋梁」だそうですが、淀川を渡る鉄道橋
他に幾つもあるので、コレが一番分かりやすいのだと思われます。
「赤川」橋のこっち側の地名とも同じですし。

建設は昭和4年城東貨物線の鉄橋として最初から複線幅で造られ
ましたが、ずっと下流側(画像の向かって左側)のみが使われてました。

で、余ってる方歩道橋(バイク程度まで通行可)として近所の人に
愛用されてたのが、今回の旅客化で「やっぱり返してくれ」となった
ワケで、無くなると報道されると見物人が押しかける現象になってた
のを覚えております。

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トラス橋の先端部分に銘板がありますが、カナリ風化してる(だから
浸食と言うのか?)しており、全ては読みにくいですね。
「汽車製造株式会社製作」とか「鐡道省」が何とか読めました。

元はココに踏切があったと思われ、線路と平行する歩道橋通行可能
だったという事で、流石に「昔は渡れたから」入っちゃう人ナイ
思うんですが、厳重に閉鎖されています。

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長さは610mあまり、昔ながらのトラス橋が連続する構造で「ザ・鉄橋!」
と言う雰囲気。塗装がマダラになってるのが些か残念な気もします。
下の河川敷公園になってるようですね。珍しい植物も多いそうな。

歩道橋閉鎖された事で、ココを利用してた人たち別ルートを迂回
する事になったようですが、最寄りの別の橋まで900m離れてます。

行って帰ると1800m長くなる勘定ですか。…自治体JRも流石に代替
の橋作ってくれなかったのだな。

そんな感じで目的の1つであった赤川橋梁の見学を終えました。
城北公園通駅に戻って、新大阪まで残りの区間に乗る事にしましょう。

→次回に続く



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No.52 乗り鉄日誌>JR西日本