新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

三池炭鉱専用鉄道跡を探る ⑥

2021/03/24(Wed)

さて三池炭鉱専用鉄道跡地を探る旅ですが、廃線跡が部分的に
公開されてる区間に来ましたので、自転車を置いて少し歩いてみる
事にしましたクラ駅長です。

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入口から400mほど進んだ地点に、対向式ホーム駅跡らしき物が
ありました。…ココは元から複線ですから、大抵の駅こんな感じ
だったと思われます。

ホームの本体廃レールを組んで造った物であり、上部の床全て
無くなってる所からすると木製の板が貼ってあったのでしょう。
…脇にある勾配票廃レールを加工したような物です。

この区間が開通したのは明治期の話ですが、旅客列車が走ってた
のは昭和20年代から同59年までの事だそうです。

電車存在せず電気機関車2両程度の客車を牽引する感じ
なのですが、その客車旧国電の付随車みたいなスタイルをしてる
と言う、稀有な外見の列車だったようですな。

ネット検索すれば当時の画像は色々と出てきます。更に興味のある
方は「西部警察」北九州ロケの回のDVDも見て下さい。

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ホーム跡に明らかにレプリカ駅名票が立ってました。
駅の入口は来た方向と反対(大牟田)側にあるようなので見に行くと
僅かながら床板コンクリート製の階段などが残ってました。

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そして妙見駅に関する解説の看板が設置されています。
この付近には三池炭鉱関連の社宅なども多くあったようで、旅客列車
利用者数多かったようです(但し乗れるのは関係者のみ)。

現役当時の資料として、昭和52年の物だと言う発車時刻表の写真
載ってました。これはカナリ貴重な資料かも知れません。

平日は概ね1時間に1往復の運転で最終が0時過ぎ最盛期の炭鉱
なんて確実に24時間操業してた筈であり、通勤列車としてソレだけの
需要があったと言うのに驚かされます

…その代わり休日朝のラッシュが終わったら、日中2時間毎
ノンビリ走って夕方には終わり両極端なダイヤですね。

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なかなかに興味深い物が見れました。では更に西三池港の方向へ
進みましょう。

この辺りから線路は送電線の鉄塔の股の下を通ってたようです。

この風景ずっと見たかったと言うか最も三池炭鉱鉄道らしい」
風景だと思うんですよ。雑誌などで同路線が紹介される時、大抵は
こんな感じの所を走ってる写真が載ってたものです。

そしてまた勾配を登って築堤の上を走る格好になります。

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この付近は住宅地新しい商業施設などが廃線跡すぐ両側まで
迫ってますので、また道路を迂回して鹿児島本線踏切に出ました。

踏切上に立って熊本方向を見ると、オーバークロスしてるのが三池
炭鉱鉄道廃線跡、その先が荒尾駅です。一時期はココの立体交差
を繋ぐ短絡線も存在したようですね。

何だカンだと結構な距離を走ってきました。まもなく三池港へ出る
と思われますので、お昼までには何とか終わりそうですよ。

→次回に続く



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No.724 鉄道廃線跡を探る