新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

1999年 大井川鉄道の旅 ③

2021/04/24(Sat)

そんな感じで1999年大井川鉄道の旅ですが、近鉄420系に乗って
更に先を目指しておりますクラ駅長です。

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次の駅で同じ近鉄特急車16000系と出会いました。…駅の形状
から見て五和(現在の合格)ですね。

同駅の北側を通る新東名高速道路が開通するのは2012年の事、
現在のような観光施設無かったし、この時点で合格地蔵尊
あったのか否か不明です。

同じ近鉄車同士の上下交換ですが養老線南大阪線に分かれてた
ので現役時代に出会う事の無かった組み合わせになります。

このまま大井川に沿って茶畑の中を走り、次は家山で下車しました。

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気分的に本線「約半分」と言う地点です。現在でもSL急行途中
停車駅であり、団体ツアーの利用客などはココで入れ替えになる事も
ありますね。…そしてスハフ43型ずっと留置されてたイメージです。

駅舎の佇まいレトロな雰囲気で、SLが登場する映画のロケなど
にもよく使われる所ですが、古い建物「わざと残してある」のかと
思ってたんですが、建て直す資金がナイらしいと分かってきました。

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先述のように当時普通列車本数が割とあったから、ココで暫く
待って次の上り少し戻ろうと思ったようです。

ヒマ潰しに駅前の商店街を見てたら、珍しい車を発見しました。
「トヨタの軽トラ」と呼ばれたミニエースですね。

1967年1975年に製造された車で、当時としても「よく残ってたな」
と言うイメージでした。現在の軽トラックより僅かに大きい程度であり
この辺りのグレードの車は今では必要ナイのかも知れません。

800cc空冷エンジンと言うのも今では殆どナイでしょうね。

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と言う事で次に来た上り列車京阪3000系でした。本家京阪電鉄
では1991年頃から8000系への置き換えが進み、先頭車のみが順に
富山地鉄へ譲渡されていった時代の事です。

大井川鉄道へは1995年(4年前)に、この3007編成先頭車が2両
譲渡されてきました。

この列車で福用まで戻り、更に金谷まで往復して戻ってくるのを待ち
先へ進んだようです。…ワンマン化された車内も撮ってますね。

運賃表示器が追加された代わりに、京阪名物成田山(寝屋川市の
大阪別院)の御守無くなってました

福用駅同社姉妹鉄道として提携しているスイスブリエンツ・
ロートホルン鉄道の駅を模したスイス風の建物の駅舎です。同年の
前年に改築された新しい駅舎でした。…こう言う金はあるのか?

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この京阪3000系で次は下泉まで行き、ココで後続SL急行に乗り
換えています。…私が子供の頃に体験した脱線事故の時もですが、
当時同駅にも駅員さんが居て急行停車駅でもありました。

窓口SL急行の急行券を買おうとしたら、フリー切符を持ってる
のに普通乗車券まで出されてしまい、指摘すると年配の駅員さん
ブツブツと文句を言われたのを覚えています。

ぃゃ、降りる時にフリー切符を見せてるんだから、分かってくれてる
と思うじゃないですか。

ともあれ次はココからSL急行に乗って、終点の千頭へ向かいます。

→次回に続く



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No.755 乗り鉄タイムトラベル