新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

2001年 紀勢線一周の旅 ③

2021/05/16(Sun)

さて2001年紀勢線一周の旅ですが、紀伊田辺から乗った105系
普通列車で、何度かの長時間停車を繰り返しつつ紀伊勝浦駅に到着
しておりますクラ駅長です。

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…ココでも長く停まるから駅の外まで出る余裕があったんですが、
駅舎は当時から変わってナイものの、駅名の上付近に塗ってある
線の色違うようです。

コレは恐らく最初に「スーパーくろしお」用の編成に採用された車体
デザインと揃えた物だと思われます。流石に模型化されてナイか。

ココでは名古屋行きの「ワイドビュー南紀」が先発です。キハ85系
1989年から走ってますので、この時点で既に10年以上が経過して
ますが、よく考えたら今でも現役なのは不思議な話ですね。

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当時はどぅだったか知りませんが同駅の駅弁は現状では改札外の
駅前ロータリーで売られてるので、この時は気が付かなかったのか
買わなかったようです(買ってれば写真がある筈)。

…そんな感じでようやく仮の目的地にしていた新宮駅に到着です。
駅舎時計がありますが、そろそろ16時前…ほぼ夕方ですね。

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白浜アドベンチャーワールドPR用か、パンダの絵ラッピング
した105系が留置線に居ました。

105系から採用された前面デザイン運転席の窓回り黒いから
元から「パンダ顔」と言われてた筈ですよね。妙な偶然もあるもんだ。

ココからは東海区間に入るので普通列車キハ11でした。
…まだ当時はキハ40系の方が主流であり、どうせ乗るなら古い方
雰囲気があってイイと期待してたので、私としては「ハズレ」です。

ともあれコノ普通列車多気まで向かいます。

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新宮でも駅弁を買ったようで、メモには「4食目」だと書かれてました。
…考えたら柿の葉寿司小鯛の雀寿し軽い物だから、合計で3食
なら普通の事なのか?ぃゃ「全部が駅弁」ってのは世間的には変だ。

段々と暗くなるフィルムの残量を気にしながらだった筈なので、ココ
からの写真少ないんですが、紀伊長島駅を撮ってました。乗務区
があるので、30分ぐらい停まるような普通列車今でも存在します。

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…見てるとすれ違う列車全部キハ40系なんですよ。当時の東海
同系車は、国鉄時代青モケットのままだから(上部にビニール
製のカバーはある)、乗り鉄の雰囲気としてはその方がいいのに。

そんな感じで多気まで来た所で、フィルム使い切ったようです。
フィルムの残量カメラ作動するギリギリの長さだと、右のように
中途半端な状態で撮れてしまいます。当時はよくある事でした。

ココから新しいのを買っても無駄が大きいと考えたのか、又は買える
所が無かったのか、記録ココまでで終わってました。記憶では亀山
関西本線に乗り換え、加茂を経て奈良まで帰った筈です。

なので記事の内容としても中途半端ではありますが、今回の報告
ココまでになります。この辺りは20年の歳月を経ても意外と変わって
ない所が多く、新幹線などのメイン幹線とは違う趣きを感じました。

ではまた次回から現代の報告に戻ります。
いよいよ長年の念願であったアレを買う事になったので、少し回数
取って紹介して行く事にしましょう。




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No.777 乗り鉄タイムトラベル