山中温泉の北陸鉄道保存車
2021/05/25(Tue)
そんな感じで石川県の山中温泉にやって来ましたクラ駅長です。
…今回はココの「道の駅」に保存されている北陸鉄道の古い電車を
見に来たのですよ。少し前の記事に上げた通り、1999年に大井川
鉄道に乗りに行った時、最初に金谷駅で当たった車両です。
実に21年振りの再会となりました。やはり感慨深げな物を感じます。
この車両は北陸鉄道の6010系電車と言いまして、昭和38年に同社の
加南線(山中線を含む石川県南部の路線)用に製造された車両です。
しかし同路線は昭和46年に廃止され、その後は大井川鉄道に移って
平成14年まで走ってました。私が乗ったのはその時なのですね。
…製造から6年ならまだ新しい時期だろうし、その後大井川鉄道で
走ってた期間の方が長い事になりますか。珍しい経歴ですな。
その後大井川鉄道でも経年劣化のため廃車になった際、「里帰り」の
意味を込めてココに保存されるようになったそうです。
…普段なら車内も公開されてるらしく、外から見る限り山中温泉を
撮った写真などが展示されてるようですが、現在は謎のウイルスの
影響で入れない状態にされてました。
同系の車両としてはコレ1編成だけのようで「しらさぎ」と言う愛称
が付いています。アルミ車体の電車は当時としては珍しく、まさに
白鷺に似た美しい車両だった事でしょう。
ちなみに北陸本線に特急「しらさぎ」が設定されたのが昭和39年。
おお、1年差ですがこっちの方が先輩だな。記事的にも好ましい。
現状では入れませんが、車内は転換クロスシートが並ぶ仕様です。
観光地向けなのは明白であり、それが大井川鉄道でも重宝された
のだと思われます。
大井川鉄道と言う所は各私鉄の中古車を多く使ってるワケですが、
動態保存の意味も込めてか元からの車番をそのまま使うケースが
多いようで、形式や番号も変化していません。
但し車体側面の社紋だけは移籍時に外されたらしく、現在は復元
した物が取り付けられています。
パンタグラフは電車だと上がった状態でデフォなのかな?…門司港
の公園にあった電気機関車のEF30はパンタグラフがつっかえ棒で
支えてあったのでソレを思い出したんですが。
確か電車と電気機関車では構造が違った筈なのですが、調べても
出てきませんでした。まぁいいや。
北陸の田園地帯でドコまで意味があったのかは謎ですが、戸袋
レールの下までガラスを配した大きな窓の扉が特徴的です。
…そう言えばこんな感じだったな。実物を見るまで忘れてました。
そして車体幅ギリギリまで膨らませた貫通幌は、当時の私鉄電車
の流行のスタイルです。そもそもが2両ユニットで、別形式の車両
と連結する事は想定してナイのでしょう。
反対側はベンチの屋根に隠れてますが、隙間から入ってみると…
ライトが3灯に増やしてあります。コレは大井川鉄道へ移籍した
時に追加された物のようで、最初に見た側はオリジナルスタイル
に復元すべく外したのだそうな。
…私が金谷駅で撮った写真でも、パンタグラフのある6011号車に
3灯のヘッドライトがあるのが確認出来ると思います。
他にも所々に大井川鉄道の痕跡が残ってるのは御愛嬌?
車内に入れればあと1回ぐらい記事数が稼げたかも知れませんが、
懐かしい車両に再会出来て有意義な1日でした。
このまま山中温泉に泊まっては明日の駅ノートに差し支えますので、
午後は奥能登方面へ向けて、また軽トラックで走ります。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
…今回はココの「道の駅」に保存されている北陸鉄道の古い電車を
見に来たのですよ。少し前の記事に上げた通り、1999年に大井川
鉄道に乗りに行った時、最初に金谷駅で当たった車両です。
実に21年振りの再会となりました。やはり感慨深げな物を感じます。
この車両は北陸鉄道の6010系電車と言いまして、昭和38年に同社の
加南線(山中線を含む石川県南部の路線)用に製造された車両です。
しかし同路線は昭和46年に廃止され、その後は大井川鉄道に移って
平成14年まで走ってました。私が乗ったのはその時なのですね。
…製造から6年ならまだ新しい時期だろうし、その後大井川鉄道で
走ってた期間の方が長い事になりますか。珍しい経歴ですな。
その後大井川鉄道でも経年劣化のため廃車になった際、「里帰り」の
意味を込めてココに保存されるようになったそうです。
…普段なら車内も公開されてるらしく、外から見る限り山中温泉を
撮った写真などが展示されてるようですが、現在は謎のウイルスの
影響で入れない状態にされてました。
同系の車両としてはコレ1編成だけのようで「しらさぎ」と言う愛称
が付いています。アルミ車体の電車は当時としては珍しく、まさに
白鷺に似た美しい車両だった事でしょう。
ちなみに北陸本線に特急「しらさぎ」が設定されたのが昭和39年。
おお、1年差ですがこっちの方が先輩だな。記事的にも好ましい。
現状では入れませんが、車内は転換クロスシートが並ぶ仕様です。
観光地向けなのは明白であり、それが大井川鉄道でも重宝された
のだと思われます。
大井川鉄道と言う所は各私鉄の中古車を多く使ってるワケですが、
動態保存の意味も込めてか元からの車番をそのまま使うケースが
多いようで、形式や番号も変化していません。
但し車体側面の社紋だけは移籍時に外されたらしく、現在は復元
した物が取り付けられています。
パンタグラフは電車だと上がった状態でデフォなのかな?…門司港
の公園にあった電気機関車のEF30はパンタグラフがつっかえ棒で
支えてあったのでソレを思い出したんですが。
確か電車と電気機関車では構造が違った筈なのですが、調べても
出てきませんでした。まぁいいや。
北陸の田園地帯でドコまで意味があったのかは謎ですが、戸袋
レールの下までガラスを配した大きな窓の扉が特徴的です。
…そう言えばこんな感じだったな。実物を見るまで忘れてました。
そして車体幅ギリギリまで膨らませた貫通幌は、当時の私鉄電車
の流行のスタイルです。そもそもが2両ユニットで、別形式の車両
と連結する事は想定してナイのでしょう。
反対側はベンチの屋根に隠れてますが、隙間から入ってみると…
ライトが3灯に増やしてあります。コレは大井川鉄道へ移籍した
時に追加された物のようで、最初に見た側はオリジナルスタイル
に復元すべく外したのだそうな。
…私が金谷駅で撮った写真でも、パンタグラフのある6011号車に
3灯のヘッドライトがあるのが確認出来ると思います。
他にも所々に大井川鉄道の痕跡が残ってるのは御愛嬌?
車内に入れればあと1回ぐらい記事数が稼げたかも知れませんが、
懐かしい車両に再会出来て有意義な1日でした。
このまま山中温泉に泊まっては明日の駅ノートに差し支えますので、
午後は奥能登方面へ向けて、また軽トラックで走ります。
※→次回に続く
※コメント・感想は→こちらまでお願い致します。
No.786 鉄道保存施設を探る