新・駅長日誌Ⅱ

観光列車、駅ノート、鉄道保存施設、
廃線跡と猫ヨシヨシ。…稀に木村。
毎日更新します。

能登への旅2021 ①

2021/12/05(Sun)

さて新たな報告です。駅ノート複数回目として、そろそろ能登半島
の方も回っておこうと考え、11月初旬のと鉄道現役路線設置駅
を回ってきましたクラ駅長です。

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既存の設置駅として判明しているのが北から順に能登鹿島西岸
笠師保の3駅なのですが、予定を立ててから当日までの間にもぅ
1箇所、最近になって田鶴浜にも置かれた事が分かりました。

そして能登半島に近いIRいしかわ鉄道倶利伽羅ですね。

…当初は倶利伽羅を描いて能登半島に入り、現地で2泊して中日に
3駅回る予定だったんですが、順番を入れ替えて先に新規田鶴浜
倶利伽羅最終日に寄り道する事になりました。

例によって彦根から高速道路に入ります。今回は北陸道なんですが、
今まであまり紹介しなかった途中のパーキングエリアのネタも入れて
記事数の足しにしましょう。

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まずは福井県杉津です。周知の通りコノ付近には北陸本線旧線
(通称杉津線)が通っており、同パーキングエリアの上り線は杉津駅
跡地に造られました。

…この付近の北陸道は地形の関係で上下の車線入れ替わって
おり、下り線の方が山の上にあります。古来から見晴らしのイイ地点
だったようで、松尾芭蕉の句碑がありますな。

「ふるき名の 角鹿(つぬが)や恋し 秋の月」と書いてあります。

「つぬが」敦賀古い呼び名だそうですが、奈良時代以前の事で
あり、芭蕉は何故コレを恋しがったのか。まぁ適当なんでしょう。

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続いて石川県に入った尼御前。…「あまごぜん」と読みます。
ココで小休止と言うか早目の昼食として、能登豚のステーキ
入ったハンバーガー「はしまき」と言う物を頂きました。

はしまきお好み焼きの生地を薄く焼いて割り箸に巻いた物です。
てかコレではとかイカとかメインの具が入れれないんですが。

この辺りは源義経東北へ落ち延びる際に通ったルートであり、当時
の伝説に因んだ場所が多く点在するワケですが、尼御前はその一行
侍女として加わっていた女性の1人だそうです。

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…この先にある安宅の関難所を越えるのに、女の自分が居ては
足手まといになるとしてココの海に身を投げたと言う伝説があるそうな。
と言う事でソレを偲んだ、またしても芭蕉の句碑です。

「むざんやな 兜の下の きりぎりす」

松尾芭蕉と言う人は三重県の伊賀上野が出身地なのですが、
よく知られた「奥の細道」の行程を見るに一般的な爺さんの脚とは
思えない俊足であり、実は忍者ではナイのか?とも言われています。

ともあれソノ安宅通過。コレまた有名な「勧進帳」の舞台ですが、
長くなるので割愛します。興味のある方は各自で調べましょう

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金沢西インター北陸道を降り、恒例ののと里山海道へ向かいます。
当日は金沢市内大規模なマラソン大会をやってたらしく、市内の
中心部へ向かう道路が悉く規制されてました。

電車+レンタカーとかにしなくて良かったな。

日本海の波はソレほど高くありませんが、途中からになりました。
最初の目的地と同名の田鶴浜と言うインターで降りて、七尾湾
方向へ向かいます。…休憩込みで7時間ほどの道程でした。

→次回に続く



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No.980 軽トラック運転日報